30.失敗した授受と前世の正体

ラックが着ているものによく似たデザインのローブを身にまとう、フィードらしき青年。彼は鋭く視線を左右に走らせた後、右手で大きく空をいだ。するとどうだろう、今まで放送室だったこの部屋が一瞬にして異空間へと姿を変える。

この状況には覚えがあった。のばらに付いていた悪魔も同じように空間を変化させていた。相違点は、重力が残っていることくらいだ。

魂の抜けた玲音の亡骸なきがらを抱えたまま、真愛は質問をぶつける。


「な、なにをして……」


いるの? いるんですか? 相手の正体がはっきりしないせいで、語尾が迷子だ。


「……帰る」


ぼそりと低い呟きを落とし、真愛たちに背を向ける。


「待て」


眉間にシワを寄せたラックが彼の前に回り込んだ。そのままめつけること数秒。険しい顔のままでラックは言う。


「フィード……いや、違うな。何者だ、貴様」

「邪魔だ。俺の道を塞ぐな」

「声はフィードのようだが、話し方は違う……フィードをどこへやった?」

「そこをどけ。目障りだ」


二人して互いに言いたいことを言い、会話として成立していない。

にらみ合いの末、緑髪の青年が強行手段に打って出た。警戒していたはずのラックの肩をいとも簡単に掴み、ボールでも投げるかのようにそのまま空中へ放る。

紫のローブをはためかせ、グルリと一回転したラックは、悔しげに顔を歪ませて着地した。

緑髪の青年の方は何事もなかったかのように歩みを再開させる。

玲音の重い身体をそっと横たえ、真愛は立ち上がって彼の後を追った。小さな恐れは胸の内に存在していたが、追わなければいけないと思ったのだ。


「待って、ください。貴方は……フィードじゃないんですよね。なら、誰なのか教えてください!」


フィードではないのなら、フィードはどこへ行ってしまったのだろう? 疑問の尽きないこの状況下では、どんな些細な情報であろうと聞いておきたい。


「俺は――」


言葉を止め、彼は一層視線を鋭くした。目だけ動かして、空間を睨みつける。

真愛は首を傾げ、彼の視線が刺さる先に目を向けた。


「……?」


茶色とグレーの混ざり合う不気味なマーブルが広がるだけで、変わったものは見当たらない。

いったいなにを見ているのだろう? そんな疑問を抱いたのは一瞬だった。


「おぉ、怖い怖い。そんなに睨まないでくださいよぉ」


人を食ったような声が響いたかと思うと、人ひとり分ほどの穴が空間に空いた。そこからひょっこりと声の主が姿を見せる。


「どうも~」


左手を高々と挙げて登場したのは、以前バールオッドを逮捕して、愛華薔薇学園の魔法を解いてくれた警官悪魔だった。確か名前は――。


「スタージさん……でしたよね」

「おやおやおや、おんやあぁ……よく覚えてらっしゃる、えぇっと……蝶子ちょうこさん!」


人差し指をまっすぐ立てて、迷いなくスタージは言い切った。


「誰と間違えてるのっ? 私名乗った覚えないので、多分思い出せないですよ」

「それはそうですね。……あぁ、名乗らなくて結構です。覚える気はありませんのでぇ」


スタージのふざけた態度に脱力して、真愛は小さく息を吐く。緊張が解けたせいで、今までの疲れをどっと感じてしまった。


「さて、雑談はここまでとしましょう。でないと逃げられちゃいますからね」


声から楽しげな音が失われ、代わりに厳しさがにじみ出す。

前回同様問題を起こした未成人悪魔の取り締まりに来たのだと、勝手に思っていた真愛は、スタージの行動に驚かされた。スタージは未成人であるラックではなく、フィードと思われる青年の方に近づき、腕を掴んだのだ。


「ダメですよ。今の君をこのまま魔界に帰すわけには」

「俺に、触るな!」


ラック相手にしたのと同じく、スタージに対しても掴んで投げるという物理攻撃にでた。

不気味な背景を背に、空中で華麗にバランスを取ったスタージは、着地と同時に反撃に移った。二度三度拳を交わしたのが真愛の目には見えたが、おそらく実際はもっと多いはずだ。

互角の戦いを繰り広げる二人だが、スタージは動きやすそうな制服、片や大きな動きが不可能な裾の長いローブである。


「ふぅ。授受失敗だというのに、強いですねぇ」


一時的に距離を取ったスタージが、額に浮かんだ汗を拭った。発せられた言葉には少しだけ呼吸が混ざっていて、劣勢を伺わせる。


「待て! 今、授受失敗と言ったかっ?」


離れた場所で様子を見ていたラックが大きな声を上げた。


「えぇ。言いましたが? 君だって気付いているのでしょう? 前世が現世の人格を食らっていることに」

「……っ!」


苦渋の表情でラックは拳を握りしめる。強く握りすぎて、血色が失われていた。


「前世が現世の人格を食らう……?」

「肉体を失ったとはいえ、魂には記憶や人格が残っているのです。その魂が現世の魂よりも強力な場合、肉体の主導権が前世の魂に移ります。……今の彼のようにね」


真愛の呟いた疑問に答えると、スタージは身をひるがえして戦闘を再開した。

ぶつかり合う二人を眺める真愛の頭の中で、スタージの言葉が反響する。


(肉体を乗っ取る。……前世の魂ってことは玲音くんなんだよね……?)


真愛は緑髪の青年を凝視する。激しい動きのせいですぐにフレームアウトしてしまい、慌てて追いかけること数回。

視線。顔つき。体の動き。細かく彼の動きを観察していく。


(やっぱり、違う!)


疑惑が確信に変わった。彼は玲音ではない。

鋭い目つきと硬い表情。出会ってから今日まで、玲音のそんな顔は真愛の記憶にないのだ。


「あれ玲音じゃないね」


隣にやって来た優が視線を緑髪の青年に向けたまま言った。真愛は首肯して同意を示す。王子として一年ほど一緒に学園生活を送っていた優も、どうやら別人であると感じているらしい。

そしてもう一人の王子様も真愛の肩を叩いて一つ頷いた。

玲音そばにいた三人が三人とも、緑髪の青年を玲音ではないと感じたのだ。

優と芹香の意見に背中を押され、真愛は迷いなく一歩踏み出した。


「どうする気?」

「止める。あの人が誰なのかを確かめたいの」

「危険だからやめた方がいいと思うよ」


優が顎をしゃくった先では、スタージと彼の戦いが激しさを増している。もし間に入って攻撃を受けたりしたら……生身の人間である真愛ではひとたまりもないだろう。


「大丈夫。私に考えがあるの」

「考え?」


眼鏡の奥で目を丸くした優に、真愛は笑顔を返し、落ちていた冠クマちゃんを拾って見せた。


「もしかしたら……この子も見納めになるかもね」


王冠を被ったクマのぬいぐるみ。大切な人に貰った大事なもの。

迷いを振り切り、真愛は走り出した。右手で冠クマちゃんを掴み――。


(チャンスは一瞬!)


真愛の動体視力では彼らの戦いの細かい部分までは分からない。だからこそ二人が比較的大きく距離を取る場面を見逃してはならないのだ。

近くで打ち合う二人。


(まだ)


呼吸を止めて真愛は打ち合いを見守った。二人がググッとより近づく。


(今だっ!)


腕に力を込めてまっすぐに投げた。

二人が距離を取る。

冠クマちゃんは緩やかな放物線を描いて、ちょうど二人の間に滑り込んだ。


「おやっ?」

「っ?」


集中の外から突如投げ込まれた物体のせいで、スタージも青年もほんのわずかに動きが乱れた。青年が半歩下がって、攻撃の体勢に移る。


「ちょっと待って――――っ!」


全力をもって駆け、スタージめがけて飛びかかった。


「うわっ! っと、と……」


さすがと言うべきか。真愛の全力の体当たりを受けてもブーツのかかとを二回鳴らして後ずさっただけで、スタージは転ぶことなく受け止めた。

スタージにぶつかった直後、背後でなにかが焼ける音がした。しかしそんなこと今はどうでもいい。


「スタージさん!」

「この距離なんですから、そんな大声出さなくても聞こえてますよぉ。というか、なにしてるんですか? 悪魔同士の戦いに突っ込んでくるなんて……自殺願望でもおありで?」

「一旦待ってください! 私、あの人と話がしたいの!」


振り返り、緑髪の青年へ目を向けると、彼はただ立ったまま気だるげにこちらを見ていただけだった。すでに攻撃をしようという気配は消えている。

真愛の考えていた通り、二人は人間に危害を加えようとしているわけではない。むしろ自分たちより弱い人間という存在に対して、被害を出さないように気を使っている。

公安局という立場がある以上人間に手出ししないと踏んで、スタージを選んで飛びかかったが、もしかしたら緑髪の青年の方であっても戦いに割って入れたかもしれない。


「別に構いませんけど……相手が応じてくれるかどうか」

「ありがとうございます」


争いをやめてくれればそれでいい。真愛には緑髪の青年が話し合いに応じてくれる確信があったのだ。先ほど真愛が話しかけた時、彼は二度とも反応をしてくれた。二度目はスタージの出現で流れてしまったが、話を続けていれば答えてくれた可能性が高い。

真愛はゆっくりと足を進め、緑髪の青年へと近づいた。向かい合い、瞳を見つめて問いかける。


「お願い、答えて。……貴方は、誰なの?」

「俺は――グレイグルンド」


真愛の期待した通り、彼は質問に応じてくれた。だがしかし、名前を聞いても分かるはずがない。重ねて問おうと、真愛が口を開こうとした時のことだ。


「グレイグルンドだとっ?」

「グレイグルンドですってっ?」


大きな声が二か所で上がった。

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