29.魂の行方
消えてしまいたいと思っていた。できることなら、五百年の時を
大切な友人の輝かしい未来を奪ってしまった罪は、なにをしても償いきれない。自分は友人よりも傷ついてはいけないはずなのに、立ち上がる気力さえ湧いてこなかった。
外界のすべての情報を拒み、内に引きこもる。なにが起きているかなんて知りたくない。すべてを投げ出して、生を放棄していた。
――だというのに。
(この感覚は……)
呼び声と表現すればいいのだろうか。五感ではない器官が、なんらかのシグナルを捉えていた。
――来る。
――なにが来るのだろう?
沈む気持ちをも無視できる強烈な存在感。得体のしれないその存在に、フィードは強く惹かれていた。
立ち上がって、今なにが起きているのかを把握しようと努める。
(あれは……)
自分が外界を拒んでいた間になにがあったのだろうか。真愛の腕の中で玲音が身を預けて眠っていた。眠っていた……? いや、違う。彼は生を終えたのだ。
(オレを呼んだのは……あれだ)
玲音だ。正確には玲音の肉体がフィードを呼んでいた。
☆ ☆ ☆
「フィ、フィード……?」
今まで絶望を背負い、魂が抜け落ちたかのように動かなかったフィードが、重い足取りながらも真愛に向かって歩いてくる。
よたよたと頼りなく動くフィードを、真愛も優も、芹香も……そしてラックさえも止めようとはしなかった。スイッチを入れたかのように突然動き始めた彼が、いったいなにをしようとしているのかを、見届けたかったのだ。
真愛の腕の中で横たわる玲音を、フィードは黙ったままで眺めた。
「来る」
「来る、って一体なに……が……っ?」
思わず真愛は玲音を放り出しそうになってしまった。玲音の身体の中から光が溢れだす。
「こ、これは……まさか……」
ラックが動揺を隠さない口調で言った。
「来る」
フィードの声を合図にするように、玲音の腹のあたりから一層強い光が漏れだした。じわりと浮き上がってきたそれは、時間が経つにつれて輝きを失い、小さな綿の塊であることが判明した。
真愛もここに来てようやくなにが起こったのかを悟る。
「これって、まさか……」
「玲音の魂だっ!」
床に激突しかねない勢いで芹香はかがみ込み、綿の塊に顔を近づける。
「玲音くんの……魂……」
それは本当に綿あめみたいで、芹香が間違えて口にしたというのも頷けた。
ごく自然な動きで、フィードは玲音の魂に触れようと手を伸ばす。
「――裏切るのか」
手が止まった。
腕を組んだラックが険しい表情でフィードを見下ろしている。激しい炎の燃える瞳が、強い怒りを示していた。
「裏切るのか、フィード。俺の前世の魂を喪失させておきながら、自分だけ成人する気か?」
「ち、ちがっ……そんなつもりじゃ……」
「では、その手を下ろせっ!」
激情を抑えきれなかったのだろう。音を響かせないはずの放送室の中で、ラックの声は鋭く響いた。
小さな身体を大きく震わせて、フィードは手を下ろした。それを見て、それで良いとでも言いたげにラックは頷く。
「面白いことになったものだ。気が変わった。小娘、その男が好きだったか?」
「……え」
「ならば、その魂はお前が食らうがいい」
「なにを言ってるの……?」
ラックからの突然の指名は真愛を混乱させた。
「人間が魂を食べたらどうなるか、知っているだろう?」
「……どうなるっていうの?」
素直に聞き返した真愛に、ラックは少々面を食らったようだ。馬鹿にしたように鼻で笑い、芹香に視線を向ける。
「話していないのか。全て話したわけでもないのに、よくも受け入れてくれたなどと言い切れたものだ。それこそお前が得た
歪んだ笑みを携えて視線を切り、顔を真愛へと向き直す。
「小娘、よく聞け。人間が魂を食せば、一時的な魔力とその者の記憶を手に入れることができる」
「魔力と記憶……?」
(本当なの?)
疑問を視線に乗せて芹香に問うと彼女は頷いて、
「黙ってて悪かった。その話は確かに本当だよ」
と言った。
「じゃあ、芹香も魔力と記憶があるの?」
「魔力はもうない。まぁ、人間が魔力を持っててもしょうがないよ。使い道がないからね。記憶の方は……あるよ」
そう答えた芹香はなんとも複雑な表情をしていた。
「芹香が食べた魂って……?」
「うちの飼い犬なんだ。モモっていう名前だったんだけど……あの子の生きていた時の記憶がうちの中にはある。あの子がうちや家族のことをどう思ってたとかの感情も含めて」芹香が自分の胸をトンと突いた。「全部ここにあるんだ」
優しく慈愛の籠もったその表情から、モモという飼い犬が芹香たちに向けていた感情の温かさが伝わってくる。
「だからこそ、うちは魂をバールオッドから奪ってしまったことを後悔できなかった。彼には悪いけど、モモの記憶を手に入れることができて……よかったと、思ってるんだ」
なるほど、と思う。魂を得て幸福を感じてしまったがために、芹香はより強い罪悪感を抱いたのだ。
玲音の胸の上で微かな光を発する魂を眺め、真愛はポツリと呟いた。
「もし私が玲音くんの魂を食べたら、玲音くんの記憶を見ることができるってことなんだね」
玲音が人生の中で、感じたことや思ったことを知ることができる。そこにはおそらく、きっと真愛に向けられた感情も含まれていることだろう。
知りたい、と思うのは罪だろうか。好きだった相手に自分がどう思われていたのかを知るチャンスなんて滅多にない。思いが通じ合った関係の者同士でさえ、言葉や態度といった媒体を挟まなければならないのだ。それを取っ払って直に心を知ることができるなんて……。
「……」
一瞬喜びかけ……しかし冷静な頭がそれを拒否した。玲音の心的プライバシーを尊重してではない。単純に恐怖に駆られたのだ。
偽りない感情を知ることができるのは一見とても魅力的だったが、裏を返せば、一切の否定を受け付けない絶対的事実を直視する義務を負うということになる。
もし、玲音が真愛に否定的な感情を持っていたら?
おそらく、ほとんどない。ほぼ0だろう。
自ら事情を話してくれた玲音の態度を思い出すと、自分が嫌われていたとは思えない。だがしかし……フィードの件もある。『すべて』を知るのが怖い。大部分は好意的でも、一部でも否定的な気持ちがあれば気になってしまうだろう。
好かれていた自信があるのだからわざわざ暴き立てて知る必要がないというポジティブな理由と、ひとかけらの否定的感情も受け付けないというネガティブな理由は、真愛を一つの決断へと導いた。
「いらない」
真愛は力強く首を振る。顔は少し強張っていた。
「この魂は本当の持ち主であるフィードが受け取ればいいと思う」
この言葉も嘘ではなく本心だ。魂を食べたらどうだと言われ、その後のことを想像し拒否してしまったのは事実だが、魂を本来の持ち主であるフィードへと思っているのもまた真実なのだ。
真愛の答えを聞いて、ラックがつまらなさそうに溜息を吐く。体重を掛けていた機材が同時にみしりときしんだ。
「そう強情になるな。その男と死に別れて悲しいのだろう? 魂を得て、それこそ一心同体となれば、その辛さもなくなるというものだ」
「……私には重すぎる」
「そうか、魂を拒否するなら仕方ないな」
真愛が考えていたよりもあっさりとラックは引き下がる。しかし、それがなぜなのかすぐに知ることとなった。
「では、フィードに聞くとしよう。フィードはその魂を受け入れるか? その男の魂を食し、俺をおいて、成人になることを望むか?」
「……っ」
こと前世の魂に関して、ラックの標的は最初からフィードだった。フィードのせいで前世の魂を失い、成人するチャンスを永遠に失ったラックは、きっかけを作ったフィードを許しはしない。そしてまた、フィード自身も許されることを望んでいないのだ。
唇をかみしめたままフィードは反論しない。
「弱ったな。その魂は行き先がないらしい。本来受け取るべきフィードも拒んでいるぞ」
低い笑い声を忍ばせて、ラックが言う。
「どの口がそれを言うんだ。フィードに受け入れないようにさせているのはお前じゃないか!」
「黙っていろ、芹香。……あぁ、そうか。お前に勧めないことに、苛立っていたのだな。しかし、二つもの魂を得ようとするというのは……そっちの小娘と違って強欲なものだ」
「違う!」
「強がらなくてもよい。芹香もその男が好きだったのだからな。気を回せなくて、済まなかったな」
言い淀み、芹香は顔を朱に染めた。真愛は思わぬ事実に唖然として、彼女の顔を眺める。
「芹香……」
「うちは! 友達として玲音も真愛も優も大好きだ! それに、真愛の友達だっていうならフィードだって大切な友達だ! だから、うちも玲音の魂はいらない!」
真愛の追及をかわしたかったのだろう。芹香は目一杯張り上げた声で、自らのスタンスを主張した。
「じゃあ、僕がもらうよ」
静かに。平坦に。その声は真愛の耳に届いた。
少し離れたところに立っていた優は玲音に近づき、その胸に浮かぶ綿の塊を持ち上げた。
「根岸くん!」
「なに?」
咎めるような真愛の声を、なんでもないように聞き流す。彼は今にも魂を口に放り込んでしまいそうだった。
「その魂はフィードの……」
「そのフィードがいらないと言っている以上、構わないと思うんだけど。それに、真愛も芹香もいらないんだよね? だとしたら、僕がもらい受けることになんの問題があるの? いいよね、フィード?」
残酷にも直接フィードに確認をし、彼が頷くのを待った。
「………………あぁ」
「フィードっ?」
身体を小刻みに振るわせてフィードは肯定した。
「それじゃあ許しも得たことだし……いただきます」
自分の人生に影が落ちる瞬間を見ていられなかったのだろう。フィードは顔を床に向けて、優から目を背けた。
――瞬間、優が動いた。
魂を口に含んだ優は、素早くフィードを持ち上げて右手で冠クマちゃんの顔を思い切り左右から挟んだ。無理やり小鳥のくちばしみたいに変形させられた口に、自らの口を重ねる。
「――――――――――っ!」
事態についていけないフィードはジタバタと暴れて抵抗するが、それすら優の想定内らしく、小さな身体を力で抑え込む。
舌を使って器用に魂をフィードの口に押し入れ、それを飲み込ませた。ごくんとのどが動くの見届けてからフィードを解放する。
「……な、なんてことをするんだっ?」
自らの身体を抱きしめ、顔を青くしたラックが言った。それは前世の魂を食べさせたことを指しているのだろうか。それともその方法を咎めているのだろうか。
しかしどちらにしても、真愛も同感だった。
「フィード……固まってるよ」
立ったまま、石のようにピクリとも動かない。一応つついてみると指先に柔らかい感触があったので、本当に石になってしまったわけではないようだ。
「こうでもしないと受け取らないだろうからね」
ハンカチで口元を拭いながら、優は笑った。口ではフィードに恩を着せるような言い方をしているが、おそらく内心ではS心が満たされていることだろう。
フィードの――冠クマちゃんの身体が光を帯び始める。
「これがフィードの言ってた成人……」
もはや誰も手出しすることはできず、ただ進んでいく事態を見守るだけだ。
光は一層強くなり、目を開けていられなかった。まぶた越しでも痛いほどの強烈な光を放つせいで、真愛は腕で顔を覆ってしのぐ。
それから数分。
凶暴な光が収まるのを感じてゆっくりとまぶたを上げると、そこには……見慣れない、緑髪の青年が立っていた。足下には冠クマちゃんが転がっている。
「フィード……なの?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます