28.傷つき倒れる仲間たち

「……ご、めんな……」


絞り出されたフィードの声は、泣いているせいだろう、にごっていた。


「ごめ……オレのせいで……ごめん……」

「謝って許されると思っているのか?」

「思って……ない。……殺してくれても……構わない」

「やめっ……」


自分の命を贖罪しょくざいのために差し出そうとするフィード。制止の言葉が口をついて出そうになったが、息が詰まって最後まで言い切ることは出来なかった。今フィードが感じている痛みがどれ程のものなのか、想像を絶し、安易な言葉を掛けられないのだ。


「そんなことしやしないよ、フィード」

「……んで、だよ……殺したいくらい憎い、だろ……?」

「もちろん、憎いさ。生き地獄を味わわせたいくらいに、な」


顔にかかっていた長髪を払いながらラックは立ちあがった。口元にはゆがんだ笑みを携えている。


「俺の邪魔できないよな、フィードには」

「……」


フィードは四つん這いになったまま、動くことはなかった。


「一生未成人であることが確定した以上、生きる道はただ一つ! 魔界を転覆させ、成人制度を打ち砕くだけだ。これはそのための第一歩だ。まずは……裏切り者の始末をしてやる!」


拳を握り、力強く前を向いたラック。鋭い視線が、前に立つ芹香へ向けられる。


「芹香!」

「消えろ!」


ラックの掌が強い光を放ち、鋭く尖った金属片が十数個出現した。


「……っく」


左右へ視線を走らせた芹香は、しかし逃げることなくその場に留まった。左後ろに優、右後ろに真愛がいるのを確認したからだろう。

小さな凶器は真っ直ぐに芹香に向かって、空中を滑るように飛んで行く。


「いやっ! 芹香ああああああぁぁぁぁぁぁ――――――っ!」


真愛が叫んだ。

空中を飛ぶ金属片が芹香を……。

――キィン。


「そんなこと、させるわけがないだろう」


得意気なのがよく分かる、自信のみなぎる声。

金属片は芹香を傷付けることなく、手前でなにかにぶつかって落ちた。


「なんだとっ?」


ほぞを噛んだラックが、自分の魔法を妨害した相手――玲音へ怒りのこもった視線を向ける。


「フィードの他にも悪魔がいたのか……っ!」

「おまえが気付けなかったことに落ち度はない。気を落とすな」

「おのれっ!」


やけになったらしいラックは、芹香を襲った金属片と同じものをもう一度出現させ、今度は狙いを玲音に変えて攻撃を仕掛ける。

甲高い音が三回響き、金属片は玲音の足下に散らばった。


「……っはぁ」


ラックの攻撃を防ぎきった玲音だったが、そのまま床に片膝をつき、肩を上下させて荒い呼吸を繰り返す。


「玲音くん!」

「……魔力を使うのも、難しくなっているのか」


走り寄った真愛は、玲音の顔を見て息を飲んだ。土気色をした顔には、無数の脂汗が浮かんでいたのだ。いつもの玲音とは違う尋常じゃない様子に、心がざわつく。


「どうやら、もう仕舞いらしいな」


玲音が動けないと分かり、自分の優位を確認したラックは再び余裕を取り戻す。彼は三度手をかざし、金属片を出現させて標的に向ける。狙いは――芹香。


「随分と悪運が強いようだが、それもここまで」

「ターゲットは俺じゃなくて良いのか?」


苦し気に、しかし高飛車に玲音が聞く。


「ふん、貴様に今更なにができる? その様子だと放っておいてももう死にそうじゃないか。だったら、死ぬ前に友人の死体を見せてやる方がよほど面白いというものだ」


くつくつと声を漏らしてラックが笑う。


(もう、ダメなの……?)


フィードが動けなくなってしまった今、悪魔であるラックに対抗できる手段はないと言える。そもそも、フィードに頼りきりで事件を解決しようとしていたことが、間違っていたのかもしれない。


(フィードの優しさに甘えてたんだ)


正義感が強く、悪魔なのに真愛や他の人間たちにも優しくしてくれた。フィードしてみればなんの接点もないのばらを、真愛の友人であるという理由で助けてくれたのだ。真愛にとってみれば感謝に耐えないことだった。

しかしその結果、フィードは友人であるラックの未来を奪うことになってしまった。優しいフィードには耐えられないことだろう。

……フィードが優しい?


(そうだ。フィードは優しい)


悪魔なのに優しいフィード。では、その友人は?


「……っ!」


(確率は低いけど……やってみる価値はあるかもしれない!)


決意を浮かべた顔を上げ、真愛はラックから守るように芹香の前に手を大きく広げて立つ。


「どけ、邪魔だ。それとも、まとめて貫かれたいのか?」


眉をわずかにひそめて、ラックは低く言った。


「ラック、あなた後悔するよ」

「なに?」

「私とフィードは友達だもん。友達が別の友達を傷つけるのなんて、フィードが見たいと思うの?」

「なにを言いだすかと思えば……人間であるお前なんかを、フィードが本当に友達だと思ってるわけがない」

「そうかな? そうじゃないっていうのは、ラック、あなたが一番よく知ってるんじゃないの?」

「どういう意味だ」

「あなたの前世だった千葉のばらは私の友人だけど、フィードとはまったくの無関係なの。フィードは私を友人だと思っていたから、のばらのことも助けてくれたんじゃないかな。そうだよね、フィード」


真愛の問いかけに、フィードは沈黙を貫いた。


「そうだって……信じてるよ」


言葉上だけではない。真愛は本心から、フィードが自分を友人だと思ってくれていると確信していた。そして友人だからこそ、返事すら出来ない状態のフィードを心配に思う。彼は故意に人を無視するような悪魔じゃない。


(人間の私には、前世の魂の価値は分からない。でもフィードの気持ちなら、きっと少しは理解できてる)


理解できている。それはつまり――。


「私はフィードと一緒にいて、フィードという悪魔を知って、思ったの。悪魔と人間だって、友達になれる!」

世迷言よまいごとを……」

「ラック、貴方だって本当はそう思ってるんじゃないの?」


ほんの一瞬。ほんのわずか。ラックの瞳が揺れた。


「うるさい。そんなに友が大事だというのなら、まとめて貫いてやる。ありがたく思え!」


(……ダメ、か……)


芹香に向けられていた小さな金属片が形を変える。複数の小さなかけらだったものが大きな一つの凶器へと変貌し、鋭利な先端が真愛を見据えていた。


「まとめて死ぬがいい」

「真愛、どけ!」

「どかないよ!」


芹香に後ろから肩を掴まれたが、それでも真愛は芹香の前から動かなかった。

凶器が真愛たちに襲いかかる。


「……っ!」


固く目を閉じた真愛の耳に届いたのは、なにかがぶつかり合う音だった。


「え……」


そっとまぶたを上げて、真愛は声を漏らした。

激しい摩擦音を立てて散る火花。目の前まで迫る凶器が透明の壁にぶつかって、火花を散らしていたのだ。

しかし命拾いしたことに安心する間もなく、透明な壁は火が消えるようになんの前触れもなく消滅した。障害物がなくなり、凶器が真愛の身体に容赦なくぶつかる。


「……うぐっ」

「真愛! ……っく!」


真愛と芹香は二人揃って後方に飛ばされた。


「危ない!」


そんな二人を守ろうと、優が腕を広げ、右腕で芹香を左腕で真愛を受け止めた。それでも堪えきれずに、優を下にして三人で床に転がる。


「ごめん、根岸くん。大丈夫?」


かばってくれた優に感謝と謝罪を述べながら、真愛は急いで優の上からどいた。


「役得……じゃなかった、平気だよ」

「あ、うん、平気そうだね」


真愛と芹香二人分の衝撃があったはずだが、優は真愛の知るいつもの優であった。


「真愛、なんでこんな無茶したんだ! どこか怪我してないかっ?」


泣きそうな顔で怒鳴る芹香に、真愛は自分の身体を確かめた後でゆっくりと横に首を振る。


「吹っ飛ばされたけど、怪我っていう怪我はなさそう」


真愛の前に表れた謎の壁にぶつかり、尖った先端が大幅に削られていたことで大きな被害を与えられなかったらしい。


「また命拾いしたな。しぶとい奴らめ」


高圧的な態度でラックは真愛たちに言い放つ。


「だが、それも本当にこれが最後だ。見るがいい!」


指をピンと伸ばしてラックが示したのは、真愛たちの後ろ。


「……? え! 玲音くんっ?」


振り向いて、真愛はその光景に目を見張る。

ついさっきまで苦しげにしていた玲音。彼は床に伏していた。

血の気が引き、真愛は慌てて駆け寄った。うつ伏せに倒れていた玲音の身体を丁寧に持ち上げて、表情を確認する。


「玲音くん! 玲音くん!」


固く閉じられた瞳。長いまつげが揺れるばかりで、肝心のまぶたはピクリとも動かない。


「無駄だ。もうその男は死んでいる」

「なに言って……」

「攻撃を防がれた俺だから分かる。あの魔法の消え方は俺の魔力が上回ったものでもなければ、その男の魔力が尽きたものでもない。命が喪われた時のものだ。その男も本望だろう。命が尽きるその瞬間まで友を守っていたのだからな」


真愛は絶句し、腕の中の玲音を見つめる。彼が動くことはなかった。


「そんな…………玲音くん。早すぎるよ」


もうすぐ寿命が尽きると確かに玲音は言っていたが、その『もうすぐ』がその日のうち……十数分後だなんて誰が覚悟できるだろう。

一切の動作はないが、身体はまだ温かい。単に眠っているみたいだ。


「悲しいか、娘。だが悲しむことはない。すぐに後を追わせてやる」


ラックが腕を持ち上げ、魔力を集中させる。


「邪魔者に無残な友人の死をくれてやれなかったのは残念だが、最後まで守ろうとした者たちをあの世に送ってやれば少しは悔しがるかもな」


笑うラックと、身構える優と芹香。そして――無防備なままの真愛。

抵抗する気すら起きなかった。命の危機だというのに、悲しみと喪失感が膨れ上がり真愛に思考することを許さないのだ。


(もう……どうでもいいや……)


なす術もなく、真愛はラックを見つめて最期の時を待った。


「――来る」


音を失った放送室に、小さな小さな声が発せられる。その声に反応して、ラックの動きが止まった。声のした足下へと視線を移す。

フィードが、立ち上がっていた。

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