27.親愛なる友よ

しばらく聞こえていた嗚咽おえつが止んだ頃、ちょうど放送室の扉が見えてきた。

ポケットからキーを取り出した芹香が、真愛たちを振り返る。少し腫れたまぶたが先ほどの名残を感じさせるが、もう涙はない。


「開けるよ」


カードキーを差し入れると、ピッという音が鳴り、ドアの横にある小さな画面に『開錠』の二文字が表示された。芹香が先頭切って押し入る。

以前来た時と同じ緊張を感じながら、真愛も足を踏み入れた。


「やぁ、芹香。君は本当に裏切るのが得意だね」


柔和な声音に反して、芹香を追い詰めるような言葉だ。

声の主に目を向ける。赤い長髪を緩くまとめた男性が、機材に寄りかかるようにして立っていた。悪魔の正確な年齢は分からないが、真愛たちと同じ年頃に見える。服装はバールオッドほど突飛ではなく、濃い紫のローブを身に着けていた。


「裏切ってなんかいないさ。芹香は初めから一貫して僕たちの仲間だからね」

「そうだな。芹香はずっと他人のことを思いやり、優しさを持って接している。一ミリたりともブレてない」


三王子仲間の言葉に後押しされて、芹香は「ありがとう」と照れたように小声で言い、悪魔の前に立つ。


「みんなうちを受け入れてくれた! だから、お前の言いなりにはならない! 今すぐこの学園に掛けてある魔法を解除しろ!」

「ハハハ、嫌だと言ったら?」

「こっちにだって考えがある」


ほう、と愉快げに目を細めて、悪魔は笑う。


「アリがゾウに勝てるとでも? 生物としての規格が違うのに、一体どうするつもりなのかな?」

「アリの味方をしてくれるゾウを連れてくれば良いだけの話だ……フィード!」


芹香の力強い呼び声に、真愛は視線を手元に落とした。勝気で正義感の強い彼のことだ、すぐさま紙袋から飛び出してくるだろう。


「……?」


予想に反し、フィードは紙袋から頭をのぞかせたまま動く気配はない。


「フィード?」

「どうしたんだ、フィード。出て来ないのか?」

「え……」


赤い悪魔がフィードの名を呼んだ。思わず真愛は悪魔へ視線をやる。


「出て来るといい。俺はお前がどんな格好であっても馬鹿にしたりしないよ。未成人が仮初の身体を使うのは決められていることだからね」

「フィード……もしかして、知り合いなの?」


真愛の問いには、フィードの表情が答えていた。丸い目をさらに大きく見開き、頭を全く動かさずに、ジッと悪魔を凝視している。こんな様子の彼を見るのは初めてだった。


「……んでだ……」


掠れた声で、フィードが呟く。


「なんで、人間に魔法を掛けたりしているんだ! ラック!」


悲鳴にも似た怒鳴り声を叩きつけ、フィードは紙袋と真愛の腕を乗り越えて赤い悪魔へと向かって飛び、相手の足下に着地した。


「随分と小さな身体になったもんだな」

「答えろ、ラック。どうして人間に危害を加えたりしたんだっ?」

「悪魔が人間を相手にする時、その目的はエネルギーの搾取さくしゅが常識だろう」


やれやれ、と肩を竦めるラックと呼ばれた悪魔。


「どうしてだっ?」

「……見たところまだ未成人のようだが、前世の魂は見つかりそうか?」

「今は関係ないだろう、そんなこと!」

「ここまで話して気付かないのか?」


腕を組み、溜息を吐き出したラックは呆れた様子で首を振る。

フィードとラックは、真愛が思っていたよりも近しい関係のようだ。やり取りを見ていると、知人というより友人、親友といった仲の良さを感じた。


「もしかして」


顎に手を当てた優が、ポツリと言う。


「このラックという悪魔は、以前の悪魔……バールオッドと同じ境遇なんじゃない?」


(同じ……?)


バールオッドは放送に魔法を乗せて、生徒たちに魔法を掛けていた。ラックも然り。

バールオッドの目的は、人間のエネルギーを集めること。ラックも然り。

バールオッドがエネルギーを集めていたのは、成人できなくなり、魔界転覆を考えて。ラックも……?


「それって、この悪魔も成人できなくなったってこと?」


一つの可能性に辿り着き、真愛は優に聞き返す。ラックを見据えたまま、優は素早く頷いた。

放送室に静寂が訪れる。フィードは、自分の十倍くらいありそうな相手を力なく見つめる。


「……本当、なのか?」


先ほどまでの威勢が削がれていた。弱々しい声色で尋ねる様は、友人の未来が途絶えたことを認めたくないと明確に物語っている。


「――あぁ」


感情の読み取れない声で、ラックは肯定の意を示す。その瞬間、フィードがその場に崩れ落ちた。


「そんな……嘘だろ……。どうして……一体、何があったんだ?」

「前世になるはずだった者が、命を救われ死ぬべき時に死ななかったせいで、俺への転生が消失した」


組んでいた腕を解いたラックはしゃがみ込み、フィードと視線を合わせる。首を傾けると同時に長い髪が緩く揺れた。


「なぁフィード、俺の前世が誰だったか分かるか?」


光を失った昏い瞳を瞬かせ、ラックはフィードの様子を伺った。困惑して、ただ見つめるしかないフィードは、その問いかけの意図を掴めないまま沈黙する。


「ち」


ラックの口元が小さく動き出した。


「ば」


常なら無意識に浪費してしまうようなわずかな時間が、今は途方もなく長く感じる。


「の」


嫌な予感がチラッと頭をよぎる。


「ば」


お願い、違って!

祈りながら、おそらく最後である一文字を待った。


「ら」


――千葉のばら。

ラックが口にしたのは、真愛の友人の名前だった。

心臓が、浅く、早く暴れている。息が詰まって、呼吸もままならない。


(だって、そんな……)


のばらは生きている。フィードが助けてくれたから。

――フィードが助けてくれたから。つまりそれは――フィードのせいでラックは前世の魂を失ったということ。

ぎこちなく首を巡らせ、硬い表情のまま真愛はフィードを視界に入れる。途端、涙が溢れた。次いで、胸にツンと痛みが走った。

跪いたままの格好で、フィードは絶望していた。絶望しているとしか表現できない雰囲気が、彼にまとわりついている。


「フィ……」

「う、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……っっっっ!」


悲痛な咆哮の後に訪れた静寂は現実感が乏しかった。熱に浮かされたようにふわふわと頼りない認識能力を振り絞る。


――この悪夢は、現実である。

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