第七章 真実との戦い

26.弱さと強さと優しさと

放送室にのびる廊下を、芹香を先頭にして優、玲音、真愛が続く。玲音の事情を聞くという想定外の出来事を経たものの、当初の目的通り放送室を目指していた。


(玲音くんはいいとして……どうして芹香まで?)


真愛と同じく放送室に向かっていた玲音と芹香は、そこに悪魔がいると知って魔法を解こうとしていたらしい。その説明を聞いた時、真愛は猛烈な違和感に襲われた。


(芹香はどうして悪魔の存在を受け入れられたの?)


玲音の話を聞いていた時もそうだ。真愛や優はすでに悪魔の存在を知っていたから、玲音が魔法を使おうとしたり、悪魔であると告白した際にも受け入れることができた。しかし芹香は違う。……違うと思っていた。

悪魔の存在を知らないにもかかわらず、芹香は驚きを見せることなく話を聞いていた? いや、そうじゃない。もしかして芹香は――以前から悪魔の存在を知っていたのではないか……? だとすれば、それは何故?


「芹香」


無意識のうちに、真愛は前を行く芹香の背中に呼びかけていた。ビクッと肩を揺らした後、彼女は振り返る。


「なに、真愛」


その顔には平時と同様の笑みが浮かんでいた。これから悪魔と対峙たいじしようというのに、芹香は緊張のない表情を見せたのだ。


「芹香は、悪魔の存在をいつから知ってたの?」

「……いつかは聞かれると思ってたけど、そんな単刀直入に聞かれるとは思ってなかったなぁ」


頬をきながら、いかにも困ったような顔で芹香は言った。


「まぁでも、ちょうど良かったのかもしれない。……放送室に着く前に伝えておいた方が、ややこしくならないだろうし」


笑顔を引っ込めた芹香が歩みを止めると、それに合わせて全員がその場に立ち止まった。


「玲音にはもう話してあるんだけど…………学園に魔法が掛けられたこの事件、うちが原因なんだ」

「え……」

「信じたくはないけど、悪魔を手引きしてこの学園に魔法を掛けさせていた犯人が君ってこと?」


優が素早く聞き返す。「信じたくはないけど」と言ったのも本心だろうが、優はすでに芹香を疑っていたのかもしれない。

芹香はどこか諦めたような表情で頷いた。


「そう。うちが悪魔に放送室を貸して、魔法を掛けられるようにしたんだ。……軽蔑した?」


その瞳に「軽蔑しないで」とメッセージが込められているように感じ、真愛は即座に首を振って否定を示す。


「なにがあったの……?」


この学校の中に、悪魔に協力している人物がいるのは覚悟していた。そして芹香が悪魔の存在を以前から知っていたのではないかと疑った時に、嫌でもその可能性に気付かされたのだ。芹香が悪魔の協力者なのではないか、と。

けれど真愛の知る芹香は、他人への気遣いが出来て、誰よりも優しい女の子だ。実際、真愛が雨の日の屋上にいた時には、自殺でもするのではないかと心配して駆けつけてくれたのだから。


「事情があるんでしょ?」


芹香は自分のために人を傷つけたりしない。確信があった。

一分の疑いもない眼差しで、真愛は芹香を見つめる。芹香はにごりない視線を受け止めきれずに、眉を下げて小さく笑った。


「優しいね。うちのことを信じてくれるんだ」

「友達だもん。当たり前でしょ」

「真愛だけじゃないよ。僕だって、理由もなく芹香がそんなことをするとは思ってない」

「優まで……。ありがとう、二人とも」


スンと軽く鼻をすすった芹香は、晴れやかな笑顔を浮かべる。


「玲音も、うちの話聞いて、それでも友達だって言ってくれたし……うちは本当に友達に恵まれてるな」

「話を聞いたうえで、当然の判断をしただけだ」


落ち着いた声音で、傲慢に言い放った玲音。だが、瞳は慈愛に満ちていた。

廊下に広がる静寂の中、よく通る声をひそめて芹香は話し始めた。


「うちが、悪魔の存在を知ったのは、四月の終わりくらいだった」


真愛がフィードと出会ったのは五月の初旬なので、時期はそう変わらない。


「フィードっていったよね。君は前世の魂がどんな形で出現するか知ってる?」


今まで真愛たちに気を使って気配を消していたフィードに、芹香は唐突に声を掛ける。真愛の腕の中の紙袋からよいしょ、とフィードが身を乗り出した。


「当たり前だ。それを知らなかったら、前世の魂を探しになど来れん。白い綿の小さな塊として、死亡と同時に出現するんだ」

「……そうだね。そして出現した魂は持ち主が定まるで具現化し続ける。……バールオッドは転送時にトラブルがあったらしくて、こっちに来た時には、前世の魂は出現して……………もうなくなった後だった」

「バールオッド?」


真愛が聞き返す。


「うちが最初に放送室を貸した悪魔の名前だよ」

「あの悪趣味な服装の悪魔のこと?」


優がそう聞いた時、真愛の脳裏に放送室で出会った悪魔の容姿が鮮明に蘇り、吐き気までも思い出しそうになった。頭を振って、彼を追い出しておく。


「そうだね、確かに見た目は……控えめに言って目を覆いたくなるような気持ち悪さだったけど、中身はそんなに悪い奴じゃなかったよ」


真愛はなにも返せない。

学校全体に人を好きになる魔法を掛けて、人間からエネルギーを得ようとしていた悪魔。事件が長引けば芹香が危惧していたように、自殺者だって出ていたかもしれないのだ。その事件を仕掛けた悪魔を『悪い奴じゃない』と言われて納得できるはずもなかった。しかし真愛自身、フィードという悪魔と生活を共にし、そして彼を『悪い』と感じたことはない。


「悪魔にとって前世の魂を失うことは、生きる上で大きなハンデになることは間違いない。そんな大切な前世の魂を失うきっかけを作ったうちをね、バールオッドは許してくれたんだ」

「失うきっかけ?」

「フィードが言っただろ、前世の魂は白い綿の小さな塊だって。うちはそれを綿菓子と間違えて食べた」

「えっ! 綿菓子っ? 食べっっ?」


思わず声を大きくした真愛。その目は驚きに見開かれている。


「うそっ……そんな」

「笑っちゃうだろ。そんなくだらない勘違いで、うちは一人の悪魔の一生を潰したんだ」


些細なきっかけが生んだ、笑えない結末。


「その悪魔は良い奴だな。俺だったら怒り狂って殺してる」


物騒ながらも実感が籠もりに籠もったフィードの言葉に、芹香はまぶたを伏せて首肯しゅこうした。


「だろうね。大体の悪魔がそうじゃないかな。悪魔じゃないうちには想像することしかできないけど、前世の魂は命に並ぶほどに大切なものみたいだ」

「だから放送室を貸して、学校に魔法を掛けるのに目をつぶったの? 罪滅ぼしのために」


真愛が聞いたところ、優の声色はいつもと変わらなかったが、芹香は責められていると取ったらしい。一瞬言葉を詰まらせ、そして、芹香は頭を下げた。


「ごめん、みんな。うちだけがいい思いをして、バールオッドに損害を与えた状態に耐えられなかったんだ」


顔を上げた芹香は、真愛が見たことがないほど真剣な表情をしていた。


「馬鹿だよな。放送室を貸して罪悪感を打ち消したところで、被害に合うのはうちじゃなくて学園のみんなだ。結局うちはなにも差し出さないで、ただ自分本位で迷惑を掛けただけだ」


辛そうな顔をする芹香に、真愛は歩み寄って手を取った。思ったよりも柔らかいその手は、玲音や優のものとは違う。三王子の一人として男性のようにみられてしまいがちだが、芹香はれっきとした女の子なのだ。


「真愛?」

「そんなに自分を責めないでよ」

「けど」

「多分ね、私も芹香と同じことをしたと思う。私は放送委員じゃないから、放送室を貸すことは出来ないけど、自分にできることを探して、少しでも相手の望みを叶えようとするよ。……その時はね、きっといっぱいいっぱいになっちゃって、他の誰かに迷惑を掛けるとかまで頭が回らないと思う」


芹香の行為を、真愛には糾弾きゅうだんできない。優しい芹香が自分のせいで成人できなくなってしまった悪魔に対して、冷酷と紙一重の理性的な決断など不可能だ。それが彼女の短所であり長所である。


「魔法の影響でみんなが傷ついてる時、芹香はすごく辛そうだった。後悔してたんだね」

「……そうだよ。一見大した影響もなさそうな魔法でも、それによって人は傷つく。目の当たりにしてようやく学んだんだ」


襟足をかき上げながら、芹香は投げやりに言った。


「でもうち馬鹿だから、その学んだことを生かせなくて、今回の『一番好きな人と二番目に好きな人を入れ替える魔法』を止められなかった……。しかも、最低の理由で」


ぐっと唇をかみしめる。あまりにも強くかみしめたせいで、唇が一部鮮血に染まった。


「え?」

「今放送室にいる悪魔に言われたんだ。悪魔を手引きしたことを周囲にバラすって」

「それって、脅し……っ?」

「そう、脅し。今度は罪悪感よりももっと酷い。自己保身の為だけに……放送室を貸してしまった」


言葉の最後は震えていた。

ついに耐えられなくなったらしく、芹香は顔を覆って涙を流す。


「ごめん、泣くつもりはなかったんだ。だって泣いたら卑怯じゃないか。うち、自分のことしか考えてないみたいで……あぁ、この言葉も自己保身からだ」


王子と呼ばれ、男子生徒と同様の扱いを受け、それを喜々として受容してきた芹香。彼女の背丈は真愛よりもずっと高い。だというのに、今はとても小さく見える。


「――そうだね、泣くべきじゃないよ」


芹香を断罪する言葉を吐いたのは優だった。自然、周囲の視線は優に集中する。


「今まさに自分の犯した過ちを正しに行こうとしているじゃないか。悪魔の魔法を止めるんでしょ? 泣いてる場合じゃない」

「優……」


グズグズと泣きながら、芹香は優を見上げた。顔は涙でぐしゃぐしゃになり、綺麗な顔が台無しである。

そんな無様な芹香の様子を目視した優は、眼鏡を直しながら溜息を吐き、そのままズボンのポケットに手を突っ込んだ。


「ほら、顔を拭いて。行くよ」


真愛にした時よりも些か乱暴に芹香の顔をハンカチで拭い、そのまま芹香の腕を引いて歩きだした。

この場で優だけが芹香をただの女の子ではなく、一人の人間として扱ったのだ。弱音を吐き続けるのをよしとせず、責任を取らせようとする。


「優、ごめん。あと……ありがと」

「礼なら、全部が過ぎてから受け取ることにするよ。だからそれまではなにを言っても聞いてあげない」


芹香を責めた優の意図を読み取れなかった真愛だったが、芹香の態度で腑に落ちた。優は芹香を卑怯者のままにしておきたくなかったのだ。

ただ相手を認めて受け入れるだけが優しさではない。真愛がしたのとはまるで違う方法を用い、芹香を勇気づけた。優を、初めて尊敬できた気がする。


(ただの変態じゃなかったんだ……)


少し先を行く優の背中を眺めて、真愛はそんなことを思った。

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