16.真愛の友人・千葉のばら

「もういい」

「待って!」


冷たい声に、誤解されたままではいけないと直感した真愛は叫んだ。しかし玲音は無視して顔を逸らし、きびすを返そうとする。


「待っ……」


玲音へと手を伸ばし、逃げるように去る玲音の身体を掴もうとした真愛。もう一度呼びかけようと口を開いた時、目の端を影がチラついた。


「れーおーんー、くんっ!」


影は玲音に襲い掛かり、玲音の身体が大きく傾く。驚いた真愛は引こうとしていた玲音の身体を逆に押すことになった。

三人の視線が、新たに現れた人物へ一気に注がれる。


「のばらっ?」


玲音にべったりとくっついていたのは、つい先ほど玲音が話していた千葉のばらだった。

がらもののタンクトップに紫のショールを羽織ったのばらは、豊満な胸を押し付けるように玲音に密着している。動揺した玲音が引きはがしにかかるが、中々しっかりと腕をまわしているようで上手くいかない。


「千葉さん、どうして……。あぁ、そういうことか」


自室に視線をやった玲音は納得してひとつ頷いた。玲音の部屋のドアがのばらの家のバスルームに繋がっていてたというのなら、なぜここに彼女がいるのか合点がいく。


「千葉さん、ちょっと……離れろ」

「いやぁ、私玲音くんのこと大好きなのよぉ。離れたくなぁい」

「のばら……?」


(なにか……変)


のばらの態度が真愛が知るのばらとは違うのだ。のばらは突拍子もない行動を取るし、真愛の理解が追いつかないくらいの変態性も有しているが、憧れである玲音にべたべたと触るような感じではなかった。


「千葉さん」


そう彼女を呼んだ優の手には、いつの間にか冠クマちゃんが握られていた。


「優くんもかっこいいんだけどぉ、やっぱり玲音くんの方が私は」

「なんで服を着てるの?」

「……羞恥心があるからじゃない?」


のばらの黄色い声を遮ってされた優の質問には、真愛が答えた。

半眼の真愛は優に向けた視線をつま先から徐々に上げていく。問題になりそうなので特定の部位では速度を上げておいた。

そうして顔まで視線を上げた時、首を傾げることになった。


(無表情……?)


瞳はまっすぐにのばらを捉えている。

優のことだからどうせ変態に基づく理由で聞いたのだと思ったのだが……。


「僕の家のバスルームは真愛の部屋に繋がっていた。だから着る物もなくこの状態だ。聞くところによると千葉さんの家のバスルームは玲音の部屋に繋がっていたらしいじゃないか。それならどうして――自分の洋服を持っているの?」

「あ……」


確かにそうだと納得し、今度はのばらの様子を伺う。

のばらは微笑みを絶やさないまま、優の顔を覗き込んでこう答えた。


「察しのいい男っていいわよね。貴方も――食べちゃいたい」


直後、空間が歪んだ。見慣れた部屋は上下も分からない別の場所へと姿を変える。


「なんだ、これは……」

「あ、マズイ」


緊張の張り詰めた玲音の声と、珍しく切羽詰まった優の声が空間に広がった。重力を失ったタオルがほどけそうになったらしい。何があってもいいように、真愛は目をそらしておく。


「うふふ。この空間は私のテリトリーなのよぉ」


空間の間を漂いながらのばらは余裕たっぷりにそう言った。滑るように玲音に近づき腕に絡みつく。


「やめろ」

「いいえ、やめないわ。だって私、貴方のことが食べたくて食べたくてしょうがないんだもの」


色気を醸し出して笑うのばらは玲音の顔に近づき、唇を寄せる。


「ダ、ダメ!」


無我夢中で手を伸ばすが、空間を上手く移動できずむなしく空を掻く。焦燥感だけが空回った。

二人の顔が近づくのを見て、真愛の中でなにかにひびが入る。


「やーめーろっ!」


茶色の塊が目にもとまらぬ速さで空間を流れ、のばらの頭に直撃した。衝撃で腕が緩み、その隙に玲音は腕から抜けて彼女と距離を取る。


「なんなのよっ!」


痛みに涙を浮かべたのばらは鋭い目つきで邪魔者をにらむ。


「フィード!」


玲音が来てから大人しくしていたフィードだったが、この状況に陥ってぬいぐるみのフリを止めたらしい。空間に仁王立ちで浮かぶフィードに、真愛の不安や恐怖は一気に取り払われた。

フィードが飛んできた方にふと視線をやってみると、優が投球後の体勢だった。フィードを投げたのだろうと察せられる。


「人間を喰らう悪魔か……悪趣味な」

「ハンッ、そんなちんちくりんな格好している奴に言われたくないわ。前世の魂を探しに来たついでにいい精気を食べてるだけなんだから、邪魔しないでよね」


のばらは諦め悪く、もう一度玲音に寄ろうと動いた。それを阻止するようにフィードが対峙する。


「邪魔しないでって言ってるのにぃ。貴方だって見たところ未成人で、前世の魂を探しに人間界に来たクチでしょう? だぁったら仲間じゃないの。仲良くしましょうよ」

「オレはこの身体の持ち主と……マナとの約束がある。マナとレオンを守ると約束しているんだ。だから――」


真剣な表情のままに身体をひねり優を指し示す。


「精気を奪うならこの男だけにしてくれ」

「見捨てられた」


危機意識が欠如しているのか、優はあまり困った様子を見せずにそう言った。


「わぁ! ダメダメ!」


このままでは優が悪魔に献上されてしまう。


「こんな変態でも友達なの! お願い、フィード。約束に入ってなかったけど、ついでに根岸くんも助けてあげて!」

「ついで……酷い扱いだ」


そんなやり取りを経て、フィードは肩を竦める。その表情は穏やかだ。


「マナならそう言うと思った。いいだろう。ネギシも、あとこの女も一緒に助けてやる」

「この女……?」

「あぁ。ノバラとかいったな。この女も悪魔に取り付かれているだけで、ただの人間だな」

「え、そ、そうなの……? 良かった……」


てっきりのばらも悪魔だと思っていたのだが、そうではないらしい。友人の正体が悪魔でなくて良かった。

フィードとのばらに付いた悪魔が睨みあう中、状況についていけていない玲音が真愛に問う。


「真愛、どうしてあのぬいぐるみが話しているんだ?」

「……悪魔が取り付いちゃって。ごめんね」

「あ……悪魔、だと……? 嘘、だろ……」


目を見開き言葉を失くした玲音に、真愛はもう一度謝罪の言葉を重ねる。もらった物にそんな得体のしれないものが取り付いてしまって、申し訳なく感じていたのだ。


「せっかく真愛との二人だけの秘密だったのに、玲音にもバレちゃったのか」


緊張感など微塵もない声音で優はため息とともにそう吐きだした。

ほぼ全裸の男に免疫ができるまでには時間が足らず、真愛はそっと距離を取った。


「優は知ってたのか?」

「まぁね」


美しい顔をしかめる玲音を、美しい顔を破顔させて見守る優。顔だけ見れば悪くない光景だが、片やびしょぬれ、片やほぼ全裸である。

うめき声が三人の意識を一点に集めた。見ると、フィードがのばらを縄で絞めあげているところだった。


「見たか、オレのチカラを!」

「ごめん、見てなかった」


得意気に胸を張っていたフィードの背中が急速に丸くなる。赤子をあやすように抱きしめ、真愛はフィードの背中を柔らかく叩く。

――気が抜けていた。フィードがのばらを拘束しているのが目に見えていることで、すべてが終わったと思い込んでいたのだ。


「いい気に、なるなよ!」

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