15.水も滴る宇宙王子

「なにが起きてるの……?」

「ふむ、これも悪魔の悪戯の一種だな」

「フィード?」


いつの間にか足元に茶色い身体が寄ってきていた。真愛が開けたクローゼットを覗きこむように身体を傾ける。


「扉が別の空間につながるように変化させられている。厄介な」

「また悪魔の仕業か」


背後に人の体温を感じて振り返ると、思いの外近くに優の顔があった。おおむね身体を拭き終えた優が突っ立っていたのだ。眼鏡がない分距離が近く感じる。視界をちらつく肌色に、真愛の喉の奥に悲鳴が込み上げた。


「ね、ねね根岸くん!」

「困ったな。さすがにこのままいるわけにもいかないし」


腰に巻いたタオルと肩に掛けたタオルだけが優の身体を隠す役割を担っていて、なんとも心許ない。

現状を打破すべく優が思案し始めた時、玲音の部屋に背を向けていた真愛になにかがぶつかった。

再び玲音の部屋へと視線をやると、そこには――。


「玲音くんっ!」

「……今度は真愛の部屋か。さっきよりまともだな」


奇妙な格好の玲音がいた。奇妙といっても裸ではない。優とは違い上下とも洋服を着ているのだが、ただなぜか頭からつま先までひどく濡れている。ひと目で分かるほどに変色した洋服を上から下までしっとりとまとわりつかせ、髪からは雫がしたたっていた。


「やぁ玲音。こんなところで会うなんて珍しいな」

「……それには同意だ。まさか真愛の部屋で優に会うとは思ってもみなかったが……」


言葉を詰まらせた玲音は、不審なものでも見るかのように目を細めて、口元を引きつらせた。


「それよりも、優の格好の方が珍しいよ。他人の家でそこまで脱ぐとは……正気か?」

「ここで脱いだわけじゃない。脱いだままここに来たんだ」

「それは尚更おかしいだろ!」

「玲音こそ、なにその格好。服がビショビショじゃないか」


まったく他人に指摘をできる格好ではないのだが、優はそんなことを気にせず、玲音の格好を疑問視する。


(どっちの格好もおかしいんだけどね)


ともあれ優の方は事情を把握している。真愛は玲音に話を促した。


「玲音くん、なにがあったの?」

「……聞きたいか?」


玲音はうんざりと顔をしかめた。


「十分くらい前のことだ。俺は出掛けようとして自室のドアを開けたんだ。普段ならすぐ右手に階段が見えるが、その時は違った。まったく知らない光景が広がっていたんだ。それからすぐに、そこがどこか分かった。千葉さんちのバスルームだ」

「千葉さん……あぁ、のばらのことね」


千葉のばら。一年生の時に出席番号が近く、真愛と芹香とのばらでよく話していた。芹香は別になってしまったが、今でも真愛とは同じクラスで仲のいい友達だ。

三王子の中で、のばらは玲音が好きらしい。それを知った時、後ろ暗くなった真愛は、幼馴染であることを打ち明けた。

――なにその美味しい設定! 詳しく話して!

身を乗り出したのばらは興奮気味にそう言ってきた。その反応は少し予想外で安心したのを、真愛は今でも覚えている。


(バスルームに侵入されても許しそうな気がするんだけどな)


普通なら許さないところを、嬉々として受け入れてしまえるのがのばらの長所だ。しかし玲音が頭から服からずぶ濡れになっているところを見ると、許さなかったのだろう。予想外だが、予想外のことをするのがのばらだと思えば、ある意味予想通りだ。


「なるほどそれで『きゃあ、宇田川くんのえっちー』というセリフと水が飛んでくる展開になったわけか。羨ましい。僕も玲音の立場が良かった」


のばらのセリフを想定した部分を裏声で言った優。表情は涼し気なもので、言葉と顔がまったく一致していない。

玲音が首を振った。いつもは羽のように軽やかな黒髪が、水を吸って重たげに揺れる。


「その想像はハズレだ。あの女はなぜか濡れた身体のまま不躾に俺に抱きついてきたんだ。そのまま湯船に引きずり込まれてこのありさまだ」


心底疲れたといった様子で溜め息を吐いた玲音は、その漆黒の瞳にタオル二枚の優を映した後、眉間にしわを寄せた。


「で、おまえらはなに? なんなんだ、その格好は」


心なし低めの玲音の声を聞いて、優は涼やかな表情のまま目を細めた。またか、と思うと同時に、そんな姿をしていて一体どうして他人をからかう気になれるのかと疑問にも思うのだった。


「気になる?」

「そりゃあ、な。どんな状況を辿ったら同級生の家でそんな姿になるのか気になるだろう」

「真愛が相手だから気になったとかじゃなくて?」


その言葉に反応したのは玲音だけではなかった。


(な、なに言ってんの?)


まるで玲音にとって真愛が特別な人のようだ。

玲音の返事が聞きたくて……正確に言えば、玲音に特別だと言ってほしくて、真愛は固唾を飲んで成り行きを見守った。


「……いや、優がタオル二枚で女子と二人きりだったら真愛じゃなくても気になるな。芹香や千葉さんでもどうしたのか聞いたと思うが」

「そう、残念だ」


肩を落とした優が一瞬真愛へ視線をくれた。


「残念」

「……っ!」


それが一度目の自分の気持ちを発した「残念」とは違い、真愛に対する「残念だったね」というメッセージであることはすぐに分かった。優の態度に対する怒りと羞恥で顔に熱が集まる。


「質問に答えろよ、優。なんでそんな格好で真愛の部屋にいるんだ」


真愛の部屋と玲音の部屋の中間地点にいた玲音は完全に真愛の部屋に入り、優と対峙して真剣な眼差しで射抜く。それをいなすように、優はもう一度笑った。


「答えがたいから答えてないんだけど、察してくれない?」

「はぁ?」

「僕と真愛の秘密なんだ。だから答えられない。……いつもだったら察して必要以上に迫ってこないのに、真愛が絡むと周りが見えなくなるんだね」


苛立ちからだろう、玲音の眉間にしわが深くなった。


「ふざけるなよ。別に俺は真愛のことじゃなくたって……」


優に向かって放たれた玲音の言葉は震えていた。玲音の態度を目の当たりにして、どこか期待してしまう気持ちを押さえられない。

――もしかして。


(もしかして玲音くん、私のことを……って違う! 今はそんなこと考えてる場合じゃない)


図々しい思考を無理やり切り上げ、二人の間に割って入る。


「根岸くん! なんでそう誤解を与える言い方を」

「いいの? バレても」


愉悦に細められた視線で足元に横たわる冠クマちゃんを示す。真愛は狼狽えた。フィードのことはあまり人に話したくない。特に冠クマちゃんをプレゼントしてくれた玲音には知られたくなかった。


「よくはない。けど……」

「真愛、なんなんだよ。俺には話せないことなのか?」

「玲音くん……」


誤解をされたくないけれど、話すこともできない。部屋着のズボンを両手で握り唇を軽く噛んで、真愛は手詰まりなこの状況を打破しようと言い訳を模索する。

真愛の言葉を待つ間に訪れた沈黙。それはさほど長い時間ではなかったはずだ。しかし、玲音の機嫌を完全に斜めにするには充分だった。

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