17.魂の出現条件と真愛の涙
身動きを制限されたのばらの身体から閃光が放たれ、油断していた四人の目を焼いた。
足の裏が地面を踏む感触を取り戻す。悪魔が作りだしたテリトリーが解けたようだ。
「まずい。逃げる気だ」
フィードが縄を引いた時には、すでに悪魔は束縛を脱していた。気の緩みが招いた失態だ。
もう一度捕まえようにも視界は真っ白で姿を捕らえることは出来ない。下手に動けば周りの人や物にぶつかってしまう。
数十秒後に、ようやく視力を取り戻した。玲音の部屋に繋がっていたクローゼットはすでに塞がり、元通り真愛の服が掛かっているだけだ。おそらく玲音の部屋に面した窓の方も、もう根岸家のバスルームとは繋がっていないだろう。
元に戻った部屋を見回し、真愛は一つの異変に気が付いた。
「窓が開いてる」
玲音の部屋の方ではなく、通りに面した方の窓が全開になっていた。開けた覚えのない真愛は急いで駆け寄り、縁に手を置いて顔を出す。
家を囲む石垣を軽やかに下りているのばらの後ろ姿が目に入った。
「いた!」
真愛があげた声に反応したフィードは、風を巻き起こしながら飛び出して行った。一瞬見えた横顔には鬼気迫るものがあった。
どうしようなどとは考えず、一瞬の間もなく決意する。
「私達も行こう」
真愛は踵を返し、急いで部屋のドアへと向かう。二人の王子も同意し、後に続く。
ドアを開けて一歩踏み出した真愛は、はたとものすごく重要なことに気付いて足を止めた。後ろの二人を振り返る。
「どうした?」
「早く行かないと見失うよ」
きょとんとする玲音と優を見て、真愛は額に手を置いて溜め息を吐いた。
「二人は部屋にいて」
「なんで?」
「真愛ひとりで悪魔を追うなんて危険だ。俺たちが付いていたほうが」
「付いてこられたら数分で警察呼ばれるから!」
濡れ鼠とはいえ服を着ている玲音はまだいい。しかし優はパーフェクトにアウトだ。
ここで揉めている暇などないのに、と真愛が苛立つ中、ドンと物と物がぶつかる大きな音がした。
「なに?」
外に出ている暇はない。仕方なく、玲音と優の背中を押して部屋に戻り、再び窓から頭をのぞかせて様子を窺う。
三軒ほど先の家の近くに立つ電柱。そのすぐ傍から煙が上がっていた。煙が上がっていてよく見えないが、少しすると小さな点が空中に浮かぶのが分かった。冠クマちゃん――フィードである。
無事な姿にホッとしたのもつかの間、砂煙が晴れた先ではのばらが倒れていて、心臓がギシッと嫌な音を立てた。
息をするのも忘れ、彼らの様子をジッと見つめる。フィードは動かない。浮かんだまま、警戒するように視線をのばらへと注いでいた。
「どうだ?」
「フィードは無事みたい。のばらは……よく分からない」
倒れたのばらの横になにかが立っている。
「あ……」
腰まである紫色の髪を
悪魔だ。頭の中でそれを認識するのと同時に、真愛は身を反転させ部屋を飛び出した。階段を転がるように下り、玄関を駆け抜けて無我夢中で走った。部屋から見えていた位置はそう遠くない。だというのに、その場所にたどり着くのに随分時間が掛かったような錯覚がある。
「フィード!」
すでに空は飛んでおらず、地面に横になっているのばらの傍にしゃがんでいた。
無防備に肢体を投げ出しているのばら。意識はないようだ。
「のばらはどうしたの? 悪魔は?」
「悪魔はノバラの身体から去った。偶然……いや、偶然ではないんだろうな」
気を失っているのばらの額に手を置き、フィードは真剣な顔で淡々と述べる。
「あの悪魔の前世の魂が出現し、それを得た悪魔は自らの身体に戻り逃げていった。……ほら、そこで猫が死んでいるだろう」
顔も腕も動かさないフィードの言う「そこ」がどこだか分からず、辺りを一周見回すと、電柱の陰に確かに猫が倒れていた。まじまじと見るのには耐えられず、真愛はすぐに視線をフィードに戻した。
「自動車にはねられたらしい。ノバラに付いていた悪魔は自分の前世の魂の出現を感じて、ここに来たのだろう」
「感じて?」
「オレたち悪魔は前世となるの生き物が死ぬ時に、魂の出現を本能的に感知することができるんだ。だからこうして前世の魂を探すことができるというわけだ」
「じゃあ、あそこで死んでる猫がのばらについてた悪魔の前世ってこと?」
「そういうことだ」
「そんな……かわいそう」
なんの罪もない動物が、前世だからといって容易く殺されてしまったことに、胸が痛んだ。
前世の魂を得るために前世を殺す。それは、もしかしてフィードにも当てはまることでは……?
それに気付いてしまい、急激に血の気が引いた。
「勘違いするな」
のばらの額に手を当てたままで、フィードが言う。
「あの猫はかわいそうなんかじゃないぞ。天寿をまっとうし、自動車にはねられて死んだんだ。あの悪魔の前世の魂となったことがいい証拠だ」
意味を理解できず黙ったままの真愛に対し、フィードはさらに言葉を続けた。
「前世というのは
「じゃあなおさら、死ぬべき時に死ぬように手を出す人が多いんじゃ……」
「来世の者に殺された場合は天寿とはみなされず、魂はその者に受け継がれなくなる。死期を早める場合のみでなく、遅めるのもタブーだ。前世の魂を手に入れたいのなら、前世の生き物の生き死に関与してはいけないとされている」
「そう……なんだ」
心をこわばらせていた不安が拭われ、真愛はホッと息を吐いた。
「もっとも本人が手を出さなかったとしても、別の誰かが影響を与えて死期を変えてしまうこともあるからな。……本当に魂の受け継ぎというのはやっかいなんだ」
真愛に呼応したかのようにフィードも息を吐いていた。のばらに当てていた手を引いたフィードは、心なしか息が上がっているようだった。
「フィード? のばらになにをしてたの?」
「悪魔が奪っていた精気を、オレの精気から分けただけだ。あの悪魔、相当好き勝手やっていたらしい。もう少し長く取り付かれていたら、ノバラの命は保障できなかった」
「え……」
――命は保障できなかった。
頭を強く殴られた気分だ。現実味のない言葉だというのに、目の前で倒れているのばらに目をやると途端に本当なのだと突きつけられる。
「大丈夫なんだよね?」
「あぁ、オレの精気を分け与えたからな。じきに目を覚ますだろう。それにしてもあの悪魔め、随分ギリギリまで吸い取ってくれたな。おかげでこっちはくたくただ」
伸びをするフィードを真愛は抱きしめずにいられなかった。
「ありがとう。本当に……ありがとう」
精一杯の感謝を込めてそう告げた。
「私、お礼にフィードの前世の魂探しに協力するから! 絶対に見つけて、フィードを成人にするから!」
涙で濡れた顔を見てなのか、真愛の言葉を聞いてなのか、フィードは真愛の手の中で淡く笑った。
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