9.学園の異変と真愛の決意
「やっと来たか、遅かったな。……ん? 真愛も一緒だったのか」
校舎一階にある一番端の日当たりの悪い教室で、机に突っ伏したまま顔だけをドアへ向けた玲音が、呑気にそう言った。
部活や委員会でもないのに生徒が空き教室を勝手に使用するのは、本来禁止されている。しかしそこは学園のアイドル三王子、教室の鍵を借りる際に先生に報告すれば空き教室を使っても良いという特別許可が下りているのだ。部活の活動場所のように一つの場所に決めてしまうと、生徒が集まってしまうため日々移動できるこのシステムは三王子からも好まれている。
残っている生徒に見つかって騒がれることを警戒し、三人とも室内に入りドアを閉めた。そう長居するつもりもないのでそのまま出入り口付近に立ち止まる。
眠たそうな目をして気怠げに身を起こした玲音は緩慢な動作で帰り支度を始めた。エネルギーが
「玲音くん、何かあったの?」
「んー……」
鼻に
そうした二人のやり取りを見て、芹香が説明を始める。
「お疲れおんに変わって、うちが答えてあげようじゃないか!」
「なんだお疲れおんって……」
「うちが異変に気付いたのは最近のことなんだけど、玲音はもっと前から感じてたみたいなんだよな」
呆れた様子の玲音による小声のツッコミは芹香によってかき消された。一瞬不満気な顔を見せた玲音だったが、続けて言葉を発することもなく帰り支度を再開する。
「ファンの子たちの間には抜け駆けを禁止する約束事があるらしいんだ」
「知ってる。三王子不可侵の掟でしょ?」
「そうそう、そんな名前のやつ。んふふ」
掟名がツボに入ったらしく、声に笑いが混ざる。
「その、ふふっ……三王子ふっ不可侵のおほっ……掟があったから、今までこっちが困るような想いを告げられることはなかったんだ」
「前半が不真面目だから後半の言葉が軽く聞こえる。やり直し」
非難めいた優のダメ出しに、芹香は肉づきの少ないすっきりとした頬を膨らませた。普段は大人っぽい印象の芹香だが、こうして見ると少年のようにも見える。
「しょーがないじゃん! 変な名前なのが悪い! ……でね、その掟のおかげで今までは特に問題が起こらなかったんだけど、ここ一週間くらいで状況が変わったんだよ。うちらに本気で告白してくる生徒が出始めたんだ」
「あ……」
魔法に掛かり玲音を追いかけた自分を思い出し、そのついでに一人の女子生徒が脳裏に浮かんだ。見ていられなくなって帰ってしまったので顛末は知らないが、周りに注意されながらも玲音に気持ちを伝えようとしていた女子生徒が居たではないか。
「真愛も知ってるよな、あの時珍しく俺のところにいたみたいだし」
「え、気付いてたの?」
まるで真愛の思考を見透かしたようなタイミングで、鞄に荷物を入れ終えた玲音から声が飛んできた。ギクリとしてぎこちなく顔を向けると、幾分かシャッキリした顔つきになった玲音が目を細めてククと笑う。
「当たり前だろ。何年一緒にいると思ってるんだよ、近くにいれば気配で分かる」
「あー……ごめんね」
「なんで謝る?」
群れていた人物が男女半々だったことで、性別に関係なく人気のある玲音が群れの中心にいるのではないかという予測は出来ていた。しかし玲音だと確証が持てたのは彼の顔を確認してからだ。元気のない時なら敬遠したくなるような人数に囲まれていた玲音が、取りたてて目立つわけでもない真愛に気付き、真愛の方が中央の人物が誰なのかに確証を持てなかった。気付くのが当然といった態度をされては申し訳なくなってしまう。
「知ってるなら話は早いよ」
疑問を乗せた視線を送る玲音とそれに対して困ったように笑う真愛の間に身体の位置を変え、芹香はピンと人差し指を立てて説明を続けた。
「いわゆる告白ってやつが頻発してるってこと。その度に周りの空気を読みつつ断らないといけないから、精神的に疲弊しまくりなの」
そう言った芹香の目元にもうっすらと隈が出来ていることに気がついた。
「そっか、三人とも大変なんだね。モテすぎるのも困るものなんだ」
別次元の容姿を持つ三人の苦労は真愛には想像することしかできない。
「そうでもないよ」
振り向くと、ドアに背中を預けた優が腕を組んでこちらを見ていた。
「モテるのは純粋に気持ち良い」
グッと親指を立てた拳を突き出してくる様子だけを切り取ると熱を感じるのだが、顔の方は相変わらずの無表情でレンズ越しの瞳は涼やかなままだ。そのチグハグな様に、真愛は「はぁ」と曖昧に返すことしかできない。
「モテるのは純粋に気持ち良い」
「あぁ、やっぱりそう言ったんだ」
二回言われてようやく内容を飲みこめた真愛は驚きを込めてそう言った。
氷雪王子と呼ばれる優がそんな俗っぽいことを言うなんて想像していなかった。
支度を整え肩に鞄を掛けた玲音は椅子を机に押し込み、真愛たちの立つドア付近に合流する。宇宙を彷彿とさせる黒髪を揺らして笑っていた。
「そうか真愛は知らなかったんだな、優が生粋の変態だって」
「…………」
(へ、変態?)
真愛としては素直に聞き返したかったところだが、正直その話を聞きたくなくもあった。
「人聞きの悪い言い方はよして。大体女子にモテたいと思うのが変態なわけ? なんのひねりもない健全な嗜好でしょ。僕から言わせると男子にモテたいって言う方が変態……あぁ」
淡々としていたが普段の口調よりわずかに早口で話していた優は、突如言葉を切り大きく頷いた。
「確かに男子からモテたいと思ってる玲音から見れば、僕が変態に見えるのかもしれないね」
ハラハラしながら見守っていた真愛は氷雪王子の口元が弧を描くのを見逃さなかった。先程フィードに対して発揮されたSっ気が思い起こされる。どうやら優が笑うのは相手をいじめたい時が多いらしい。
今まで知らなかった優の一面を目の当たりにして絶句していると、肩をトントンと指で突かれる。後ろを向くと、真愛の耳元に顔を寄せて悪戯っぽく笑う芹香の顔があった。
「面白くなりそうでしょ」
「……慣れてるんだね」
二人を止める気配を見せず、むしろもっとやれと言わんばかりの態度を取る芹香に幾分か安心した。
ふむと考えた玲音は顔を上げて視線を優のそれと交わらせる。
「俺は男子にモテたいと思ったことも、女子にモテたいと思ったことも一度もない。ただモテるだけだ」
「ぶふっ!」
我慢しきれなかった芹香が噴き出した。唾液の被害を受けた真愛がじろりと睨んでそででそれを拭う。「ごめん、ごめん」と悪気なく謝る彼女を一瞥し、目を玲音たちへ戻す。
「なにそれ、自慢?」
「いや、事実を単に述べてるだけだ」
幼馴染である真愛は、どう聞いてもナルシスト発言にしか取れないその言葉を玲音は大真面目に言っているのだと知っていた。小さい頃から人を惹きつける才能を発揮し、真愛の知る普通とは異なる人生を歩んできた玲音にとってみれば、人に好かれることは日常生活の中に当たり前に組み込まれているのだろう。
「にしては男子にもちやほやされて喜んでるよね」
「なにが言いたいんだ、優。別に男子相手だからってわけじゃないし、女子相手でも喜んでいるだろう」
「喜んでるんだ……あ」
つい本音が零れ落ちていた。
「え?」
真愛が二人の間に挟んだ声はか細いものだったが、二人ともそれをしっかり拾い言い合いを止めた。
しんとなる教室に、しまったという思いが真愛の胸に溢れてくる。これではまるでちやほやされて喜んでいる玲音を責めているみたいじゃないか。いや確かにその通りではあるのだが。しかしそれをこうもストレートに表現するつもりなどなかったわけで。
「あ、いや、そのさ……玲音くんってどんなに褒められても当たり前みたいなところあるじゃん」
「嫌な奴みたく言うなよ」
「あー、えーと。褒められて当然にかっこいいし、優しいし、頭もいいし、運動神経だっていいじゃない。そんな人だから嬉しいなんて思ってると思わなくて驚いちゃったよ。あはははははは」
自分でも強引な誤魔化し方だったと感じていた真愛は次の追求に備えて、動揺しないよう、そして余計なことを口走らないよう身構える。しかしそれは
「そ、そんなに褒めるなよ」
口元を腕で隠し、細めた目元だけをのぞかせている。褒められ慣れているはずなのに、その照れ方は初々しい。
(玲音くん……可愛いなぁ)
しかし愛おしさと同時に不安も感じた。現在、愛華薔薇学園にはおかしな魔法が掛けられているのだ。褒められただけでこんな風に照れるのであれば、なにかの弾みで玲音は告白に応じてしまうのではないか。
――あたしは全部玲音様のものです!
耳によみがえるのは、玲音に迫っていた女子生徒の声。あの時以来玲音と一緒にいるのを見ていないので、おそらく玲音は断ったのだろう。だから、現在は平気だ。だが、未来は――。
――ズキン。
胸が痛む。魔法に掛かって恋をしていた時よりも、もっと激しい痛みだった。玲音とその横に立つ誰かを想像するだけで、心の中に黒い
駄目だ。
「特別褒めたつもりはないよ。ホントのことを言っただけだし」
何気ない普段の顔を作って会話をしつつ、真愛は密かに決意を固めた。
――この魔法、絶対に解いてみせる。
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