10.姫王子の憂い
雨の日の屋上というのは、多くの場合人気がないものだ。物好きな人間でもない真愛は、今日まで雨の日に屋上に出るようなことはなかった。雨の日の屋上事情など知らない。
「……うわぁ、予想以上に寂しい」
灰色の濃淡で作られた雲が近くに見える。そこから細い雨がポツポツと屋上に降り注いでいた。足元に気をつけながら屋上を一周するが、誰もいないようだ。
「フィード、出てきていいよ」
水色の生地に寒色系の水玉模様の入った傘を右手首と肩で支え、紙袋を胸の位置まで持ち上げた。そこからひょこっと冠クマちゃんが顔を出す。
「屋上か。確かにここからなら一気に魔法を掛けられるな」
フィードによると、標的を特定せず不特定多数に掛ける場合には広い範囲に効果が出る位置で魔法を使うのが常識らしい。学園内を一気に見下ろせる場所として頭に真っ先に浮かんだのが屋上だったのだ。
ピシャピシャと水を踏みつつ柵の近くに歩み寄った。そこから柵に沿って屋上を一周する。その間フィードは気を張っているのが目に見えて分かるほどにキョロキョロとせわしなく周りを観察していた。
出発地点に戻ってきても、未だにフィードは難しい顔をしたままだ。
「……どう?」
遠慮がちに尋ねる真愛に、フィードは首を横に振った。
「ここに魔力の痕跡は感じられない。おそらく魔法を掛けたのはここではないな」
「そう」
無意識のうちに溜め息が出た。露骨にがっかりした真愛の腕を、フィードが優しく叩く。
「そう落ち込むな。魔法を掛けた者がいることは事実なのだから、どこから掛けたのかは必ずはっきりする。それにマナとレオンのことは守ってやると約束しただろう」
「……うん」
自分や玲音の命は、フィードが助けてくれる。その点は信用している。玲音への恋心を自覚した真愛が不安に感じているのは、命の方ではなく、玲音の気持ちの方だった。魔法に掛けられるのはフィードが防いでくれるにしても、魔法に掛けられた生徒に告白されて揺れる心までどうにかしてくれるわけではない。
玲音の気持ちの向く先を考えると、今の空模様のように薄暗い気分になるのだ。
早くこんな汚い気持ちを拭い去りたい。その気持ちが真愛を突き動かし、早い解決のための原動力になっていた。
念のためもう一周したがやはり手掛かりは得られず、雨の屋上を後にしようとした時のことだ。
「やっぱり真愛だ」
屋上と校内を隔てる引き戸が開けられ、そこから芹香が顔を出した。人と会うなど思っておらず、真愛の背中に緊張が走る。
不自然にならないようあまり顔を動かさずに手元の紙袋に視線を落とし、冠クマちゃんが出ていないことを確認する。すでに彼は紙袋の中に身を隠していた。
「どうしたの? こんな雨の中屋上に用事?」
幾分か安心した真愛は、芹香が手に持っている傘に目をやりながらそう聞いた。わざわざ傘まで用意しているのだから、屋上に出るためにやって来たのだろう。
――もしかすると生徒や先生の中に悪魔が紛れ込んでいるかもしれない。
フィードの言葉が真愛の小さな思考の中で大きな存在感を見せる。疑いたくなどない、信じていたい。
「渡り廊下から屋上にいる真愛が見えたから、何やってんだろうって思って来ただけだよ」
けろりとそう答えた芹香に変わった様子はない。
「え、見てたの?」
「うん。だってこんな日に屋上に人がいたら目立つからね」
「……そりゃそうね」
屋上に誰もいない日を選んだのだが、それがかえって目立つ要因になってしまったらしい。とはいえこの雨ではそんなにはっきりと姿が見えることもないだろうし、声も聞こえるはすがない。
「ところで真愛は何してたの?」
当然の疑問だろう。けれどまさか、魔力の痕跡を探してましたとは言えまい。
「別に、ただ雨雲を近くで見たかっただけだよ」
「ハハッ、なんだそれ~」
陽気な芹香は笑ってくれたが、つくづく自分はごまかし方下手だと痛感した。
雨が強くなり、真愛は芹香を促して校舎へと入った。しっかりとドアの鍵まで閉めて、階段を降り始めた……のだが。
「芹香、戻らないの?」
「最近うちらに特別な好意を伝えてくる人が増えたって話したよね」
まったく予想をしていなかった話題に、真愛は困惑しつつ足を止める。振り返ると、彼女はあまり見せることのない真剣な眼差しでこっちを見ていた。強い視線に射抜かれた真愛は言葉を失ってしまう。
「告白してくれた子の中には、ショックで学校を休むようになっちゃった子もいるし、その場で髪を切ったりとかもあったな」
「芹香?」
「今はまだ大きな怪我をしたって話は聞いてないんだけど、もしも……」
ヒュッと芹香の喉が苦しげに鳴った。
「もしも自殺とか……する子が出たらって思うと……」
絞り出された言葉。痛切な瞳。
なぜ芹香は真愛を見かけたからといって、わざわざ屋上まで来たのだろうか。真愛は今、その答えを知った。
「うちのせいで人が死ぬなんて……」
「芹香のせいじゃないよ!」
好きな人にフラれて、その後どうするかは個人の勝手だ。フッた側の責任にはならない。
「……うん、そう……だね」
芹香は笑顔を作ろうとして失敗していた。きっとどんな慰めの言葉を掛けても芹香の心の奥には届かないのだろう。
恋をする魔法と聞いて差し迫ったものを感じなかったが、真愛が思っていたよりもずっと危険な状況だったらしい。
(早く魔法を掛けた場所を見つけないと)
みんなに掛かった魔法を解きたいという気持ちはさっきとまったく同じだというのに、今度はもっと前向きな気持ちでそう思えた。
未だ顔に陰りをのぞかせ、芹香はボソリと呟く。
「ごめん、変なこと言ったね。真愛は別にうちらの誰かに告白したわけでもないのに」
「私は三人とも好きだよ」
冷や水を浴びせられながらも、芹香に玲音を好きだと悟られるわけにはいかず、真愛は精一杯笑顔を作った。それに合わせて芹香もようやく笑顔を見せる。
「ありがと。……うちらの誰か、なんて言ったけどさ、真愛が本気で好きになる相手は玲音なんだろうな」
軽い口調で言った芹香。彼女がそう言うのであれば、真愛の返答も一つに絞られる。
「あー、はいはい」
今度は上手く言えたが、内心ひやひやしている。
「あら、クールな反応。玲音が見たら傷つきそうだな」
「っ……んなわけないって!」
「んー、そうかな。だって真愛が玲音を好きなように、玲音だって真愛のこと好きだと思うし」
今まで何度も経験しているちょっとした雑談なのにも関わらず、ひとつひとつの言葉に反応してしまう。答える時に「ただの幼馴染ならこう答える」と逐一考えなければならず、真愛は自分の心が変わってしまったのだと改めて実感した。
「もー、別に私と玲音くんはただの幼馴染だって」
幼馴染でなくなりたいと願いながら、真愛は言う。
屋上のドアの前で立ち止まっていた芹香はようやく歩き始め、階段を数段降りたところにいる真愛のところまでやって来た。
「いっつもそればっかり。でも二人を見てるとお似合いだな、って思っちゃうんだよね。他の子にはそんな風に思わないのに。玲音に告白しにくる子とかには、この子に玲音はあげられないって思うほどなのにさ」
「娘を持つ父親みたいなこと言うね」
「……っぷ」
細身をくの字に曲げた芹香は小刻みに震え、犬のように荒い息の音を立てる。
「っはっはっは、面白い! いいね、うちが玲音ちゃんの親父」
完全復活を遂げた芹香に一切の遠慮を感じない強さで背中を叩かれ、数発のうち一発が胸に響いてむせる。
「痛っ! 痛い! 芹香!」
「あはははは、ごめん、ごめん」
「もう!」
目の前で大口を開けて笑う姿に、先程の陰りは見えない。心配して駆け付けてくれた友人の笑顔を見て心底ホッとした。
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