8.二人の王子と真愛の関係
「放せ! 気持ち悪いんだよ! オレに男とキスする趣味はない!」
「そう。それは良かった」
動くぬいぐるみに嫌悪を示すこともなく、それどころか愉快気な様子である。作戦が上手く運び、真愛の隠し事を暴き立てたことに喜びを感じているようだ。
「キスを嫌がらせに使うなんて、王子と呼ばれる人のすることじゃないと思うんだけど」
恨めしさを前面に押し出した声音だというのに、優はそれに堪えることもなく普段の無表情に戻った。
「嫌よ嫌よも好きのうちっていう言葉知ってる?」
「言葉は知ってるけど、使いどころは今じゃないよ!」
「そうだぞ! オレは本気で嫌がっている! っていうかいいかげん放せ!」
「嫌? そう嫌なのか」
再びフィードに優の顔が近づく。ポリエステルボアでできた体が微妙に毛羽立っているのは、人間の身体でいう鳥肌が立っている状態だろうか。
「うわあぁぁぁ――――ッ! やめろぉぉぉぉ――――ッ!」
「嫌なんでしょ?」
「分かってんならやめろ!」
暴れもがいて優の拘束を抜けようとするが、優も優で冠クマちゃんを強く握っていて状況は変わらない。
「根岸くん、もう勘弁してあげて。フィードは本気で嫌がってるから。好きを素直に言えなかった時の嫌じゃないから」
ピタリと距離が縮むのが止まる。分かってくれたのだろうか。
冠クマちゃんをしっかりと握ったまま真愛に向いた優はうんと頷いた。
「知ってるよ。嫌がってるヤツにやるから楽しいんじゃないか」
「サディスティック!」
真愛は叫んでいた。氷雪王子はドSであった。
「え、何? さっきの嫌よ嫌よも好きのうちって言ったのは何だったの?」
「知ってるかどうか聞いただけさ」
さらりとそう答え、視線を冠クマちゃんへと戻す。
「もう! やめなって言ってるでしょ!」
華奢に見えるが案外筋肉の付いている優の腕を掴み、真愛は実力行使にでた。力が強く、優の手を解いてフィードを助け出すには至らなかったが、ひとまず距離が縮むのを防ぐことはできた。
――その頃、真愛と優が争いを繰り広げる校舎脇に跳ねるように近づく影がひとつあった。地面が土に変わり、足音が消える。
優から冠クマちゃんを取り戻そうとする方にばかり意識がいっていた真愛は、声を掛けられるまでその人が来ていたことに気づかなかった。
「何やら面白そうな揉め事はっけーん!」
特徴的な声をすぐ近くで聞き、真愛は煉瓦色のチェックのスカートを翻し身体ごと振り返った。目に飛び込んできたのは爽やかな笑顔。見知った顔を認めて彼女の名を呼んだ。
「芹香!」
「よっ!」
にっこりと美しい顔を崩して笑うのは、真愛の友人であり三王子の一人でもある芹香だった。細身の身体に白いワイシャツを身に付け、すらりと長い足には真愛のスカートと同じ柄のスラックスを履いている。襟足まであるこげ茶色の髪が彼女が笑うのに合わせて揺れた。
「なーにしてるのかな~、こんなところで~」
芹香の笑顔の種類が変化する。顔の作りが変わったはずはないのだが、爽やかな雰囲気が一転、いやらしい笑みになった。
半眼になった真愛がペチンと小さな音を立てて芹香のおでこを叩く。
「なんて顔してるの、ファンの子が見たら泣くよ」
「エヘッ。いいじゃん、ここには真愛と優しか居ないんだしー。このメンツの前でくらい素でいさせてくれよ」
すでに真愛が叱った顔ではなく、無邪気な笑顔になっている。ころころと変わる表情がなんだか微笑ましく、一緒になって真愛も淡く笑んだ。
「いったい何の用なんだい、芹香」
「……んにょ?」
真愛がマヌケな声を漏らしたのは、優の言葉に対してではない。散々いじめていた冠クマちゃんを、前触れなく真愛の手に押し付けてきたためだ。
「ねぎ」
「わざわざこんなところまで来たってことは、僕を探してたんでしょ?」
優に掌で口を覆われ、途中までしか言葉を発することは許されず、仕方なく真愛は上目遣いで優へ疑問を示す。しかしそれすら取り合ってもらえない。
「うん。玲音も帰るって言ってたから、三人で帰ろうと思って呼びに来たんだけど……もしかしてお邪魔だったかな~」
言葉の後半に含み感じ、口元に伸ばされていた優の手を振り払い、真愛は勢いよく首を横に振った。あまりの勢いに、乱れて揺れる髪が視界をチラつく。
「ぜんっぜん! 芹香が思うようなことはないから!」
「だろうね~。真愛は玲音と相思相愛だもんね~」
真愛と玲音が幼馴染で、高校生になった今も昔と変わらず仲が良いと知った芹香は度々真愛や玲音をそのネタでからかうのだ。真愛たちが「はいはい」と軽く受け流すまでが一連の流れとして定着していた。――確かに定着していたのだ、ついこの間までは。
「え、え? そ、そ、そう見える?」
いつもの返答が出来ず、顔を赤くした真愛はしどろもどろでそう返すのが精一杯だった。言った芹香も見ていた優も真愛の様子に表情が固くなる。
動揺を隠せず素直に反応した真愛だったが、優と芹香の顔から何を思っているか読み取ることは出来た。
「ち、違うから!」
反射的に嘘を吐いた。つつけば壊れる脆い嘘で否定して、隠して。そうしないと、みんなで築いた関係が壊れてしまう気がしたのだ
どうにかこの場が上手く過ぎますように、と祈らずにはいられない。
「……というわけで」
訪れかけた沈黙を押しとどめたのは優だった。
「僕と真愛は芹香が考える下世話な関係じゃないよ」
「あ……。そうなの~。あーやーしーいーぞー」
顔をこわばらせていた芹香は、やや遅れたものの優の言葉に反応した。優と同じく気づかなかったフリを貫くことに決めたようだ。
「冗談はこれくらいにして……玲音を待たせてるんだ。行こうよ、二人とも」
微妙な空気に耐えられなかった芹香は逃げるように歩きだした。
特にこの場に留まる理由もないので、冠クマちゃんを紙袋に丁寧に入れて芹香の後を追って足を進める。二歩、三歩と進んだ時、肩に手が置かれた。
「そのぬいぐるみのことは黙っていてあげるよ」
低くそう呟いた優は何事もなかったかのように真愛を追い越していった。
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