夜空の下で
修業が終われば後は自由な時間です。何をしても構いません。のんびり寝そべって夜空に輝く星を眺めても、雲の上で踊って歌っても、あるいは習った呪文を使って修業の続きをしても、もう何をしても叱られることはありません。
「えい、やあー」
雷次郎君は今日の復習をしていました。雲の操り方が思ったようにうまくできなかったのです。そのすぐ横では雷太郎君が寝そべって雷次郎君を教えています。いや、教えていると言うよりぼんやり眺めていると言った方がよいかもしれません。
「やああー、えい!」
雷次郎君は熱心に雲を操っています。修業の取り組み方では雷次郎君の方が雷太郎君よりも熱が入っているのですが、雷太郎君はお兄さんだけあって、やはり何事も雷次郎君より上手にできるのでした。それで雷次郎君につきあって復習を見てあげているのです。
「えい、それえー」
雷次郎君は操っていた雲を遠くに飛ばしてしまうと、一息ついて顔の汗を拭いました。
「ふうー。なかなかうまくできないなあ。兄ちゃんはあんなに上手なのに」
雷次郎君は雲の上に腰を下ろして雷太郎君の方を振り向きました。
「ねえ、兄ちゃん、あれっ」
雷次郎君は驚いた声を出しました。振り向いた方には誰もいなかったからです。
「おかしいなあ、確かにさっきまでここにいたのに」
雷次郎君はまた立ち上がると辺りを見回しました。もう日が落ちてだいぶ経っているので雲の上を照らすのは月明りだけです。雷太郎君の姿はどこにも見あたりません。
「兄ちゃーん」
雷次郎君は大きな声で叫びました。しかし返事はありません。遠くの雲の上でうっすらと光って見えるのは稲光先生です。稲光先生は雲の上に正座をして夜空を見上げています。
「兄ちゃーん、兄ちゃーん!」
雷次郎君はまた大声で雷太郎君を呼びました。声が少し震えています。やはり何の返事もありません。雷次郎君は一人ぼっちで取り残されたような気がして、なんだか心細くなってきました。
「ここだよ、次郎」
突然、雷次郎君の足元から声が聞こえてきました。雷次郎君はびっくりしましたが、すぐにしゃがみ込むと、足元の雲の中に顔を突っ込みました。雲の中には雷太郎君がうつ伏せになって埋まっています。雷次郎君の顔から不安の色が消えました。
「こんな所にいたのかあ。兄ちゃん、もう寝るの?」
雷次郎君はそう言いながら自分も雲の中に潜り込みました。
ところで雷様というのは、体が疲れてしまった時はどうやって元気を取り戻すのかと言うと、何かを食べたり飲んだりするのではなくて、雲の中に入って眠るだけでよいのです。ですから雷太郎君が雲の中に入って横になっているのを見て、てっきりもう寝るつもりなのかと思ってしまったのでした。
「ちがうよ」
雷太郎君はそう言いながら顔をずらし、その下を指さしました。黒い穴がぽっかり開いています。
「なあんだ」
雷次郎君は雷太郎君が何をしていたのか分かったのでにっこり笑うと、雷太郎君の横に一緒に寝そべりました。
「兄ちゃん、また地上を見ていたんだね」
「次郎も見るか」
「うん」
雷次郎君は自分の頭で雷太郎君の頭を押しました。雷太郎君は雷次郎君が穴をのぞき易いように体を横にずらしてあげました。
「わあー、キラキラしている。きれいだなあー」
雷次郎君は大きな歓声を上げました。これまでにも何回か雷太郎君の作った穴から地上の様子を見たことはあるのですが、今日のように夜の地上を見るのは初めてだったのです。雷太郎君は雷次郎君が喜ぶのを見て嬉しそうな顔をしました。
「ねえ、地上にも夜になると星が出るんだねえ」
「星?」
雷次郎君の言葉に雷太郎君は不思議そうな顔をしました。
「うん。あんなにたくさん出ているよ」
雷次郎君は穴をのぞいたまま下を指さしました。雷太郎君はますます不思議そうな顔をすると、自分の頭で雷次郎君の頭を横に押しやって、穴をのぞき込みました。
地上は真っ暗でした。黒い板が置いてあるように見えます。その板の上にたくさんの光が、点々と、あるいはごちゃごちゃと固まって、またあるいはまっすぐな列となって、きらきらと輝いています。動いている光もあります。
「なるほど星か。でもあれは空の星とは違う、別の星らしいんだ」
「別の星? 空の星とどう違うの?」
「ずっと見ていないと分からないけど地上の星は動かないんだ。空の星はみんな一緒になって東から西へ動いていくのに、地上の星は動かない。動いても単独で動いたりする。それに突然消えたり光り出したりする。空の星とは全然別物なんだ」
「へえ~、そうなんだ」
雷太郎君の説明を聞いて、雷次郎君は一層熱心に雲の下を凝視しました。言われた通り、一点だけで動いていく星があったり、何の前触れもなく突然輝き始める星があったりします。
「面白いねえ。どうして地上の星はあんな変わった光り方をするんだろう」
「教えてくれないんだ。稲光先生は何も教えてくれない。地上に行ったことがあるんだから絶対知っているはずなのに、何も教えてくれない」
「兄ちゃん……」
思いつめたような口調で喋る雷太郎君の言葉を聞いて、雷次郎君はその顔をのぞき込みました。真剣な表情をしています。
「何も分からないんだ。こんな所にいたって知りたい事は何一つ分からない。雷の道の作り方だって自分で学ぶしかないんだ」
雷太郎君の口調はますます強くなっていきます。
「地上に行かなきゃ駄目なんだ。ここにいたんじゃ何も分からないんだ。ここで苦労したって地上に行ったらまた苦労しなきゃいけないんだ。それなら最初から地上で修業したほうがいいだろう。稲光先生が許してくれないんなら、それでもいい。ボクは自分一人で地上に行ってやる」
「兄ちゃん……」
雷次郎君は心配そうに雷太郎君を見つめています。今日の雷太郎君はいつになく興奮しているようです。雷太郎君は不安げに自分を見つめる雷次郎君に気づくと少し笑いました。
「次郎が心配することはないんだよ。これはボク一人の問題なんだから」
雷太郎君は笑いながら右手を伸ばすと雲の穴の上に置きました。そして何かつぶやきながらその手を動かすと、雲の穴は周りの雲に覆われ始め、みるみるうちに消えてしまいました。もう少し夜の地上を見ていたかった雷次郎君は、名残惜しそうにため息をつきました。
「さあ、もう寝よう、次郎。明日も修業があるんだし」
雷太郎君は仰向けに寝転がると目を閉じました。雷次郎君はしばらくの間雷太郎君を見つめていましたが、やがて同じように雲の中で仰向けに寝転がりました。
「兄ちゃん、もう眠った?」
雷次郎君の問いに返事はありません。雷次郎君は左手を伸ばして、目の前の薄い雲を左右にかき分けました。雲に穴が開いて空の星が見えました。
「ボク、空の星も地上の星も誰かが作っているような気がするんだ。どうしてかは分からないけどそんな気がするんだ。兄ちゃんは地上へ行きたがっているみたいだけど、ボクはいつかあの夜空に雷の道を架けて、誰があの星を輝かせているのか調べてこようと思うんだ。あんなにきれいに光っているんだから、きっと、とても良いことのために光っているんだと思うよ。そして、もし星の作り方が分かったら、ボクも星を一つ作ってみたいなあ……兄ちゃん、もう眠っちゃった?……おやすみ、ボクも眠るよ」
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