雷太郎君の望み

 雷太郎君は稲光先生の顔色が変わったのを見て少したじろぎましたが、勇気を出して話し続けました。雷次郎君が心配そうに二人を見つめています。


「ボクはもうずいぶん修業をしてきましたし、いろんな呪文も覚えました。雲の上を走るのはまだそんなに得意ではないけれど、雷の道の作り方を覚えれば、それはあまり問題ではないと思います。聞いた話によれば、ボクくらいの歳の雷だって、たくさん地上に降りているそうですし、それならボクだってもうそろそろ試験を受けて、地上に行かせてくれたっていいと思うんです。それにボクは」

「ボクは地上に興味がある、と言いたいのじゃろう」


 稲光先生が鋭い目付きで雷太郎君をにらみながら言いました。自分の言いたかったことを先に言われてしまったので、雷太郎君は言葉を詰まらせましたが、気を取り直して話を続けました。


「そうです。ボクは地上に興味があるんです。だってこの雲の上には何も無いじゃないですか。でも地上は違います。色々な物があります。色々な知識だってあるはずです。それならこんな何も無い場所で修業しなくたって、地上でやった方がいいと思うんです。ボクは修業が嫌で地上に行きたいんじゃないんです。もっと色々な事が知りたくて、それで」

「ばかものめがあー!」


 稲光先生が今日一番の大声を出しました。まるで暴風のような怒鳴り声をまともに受けて、雷太郎君と雷次郎君は空高く舞い上げられてしまいました。


「わあああー!」


 二人は叫び声を上げながら空から落ちて来ると、頭から雲の中に突っ込みました。雷次郎君は腰の辺りまで雲の中にめり込んで足をじたばたさせています。雷太郎君も肩の辺りまでめり込んでいたのですが、何とか体を引き抜くことができました。


「太郎」


 雷太郎君の頭の上で声がしました。見上げると稲光先生が立っています。雷太郎君は稲光先生の様子を見て腰を抜かしてしまいました。稲光先生の全身は青白い光に包まれてまぶしく輝いています。体のあちこちからバチバチと音を立てて火花が飛び散っています。髪の毛はすべて逆立ちその先端には赤い輝点が宿っています。顔も光に包まれているのでその表情は分かりませんが、青白い光の中に赤い輝きが二つ見えます。目が光っているのです。


「せ、せんせい……」


 こんなに怒った稲光先生を見るのは初めてでした。ようやく雲から体を引き抜いた雷次郎君も稲光先生の様子を見て度肝を抜かれたようです。雷太郎君のそばに近寄ると、ぶるぶる震えだしました。


「太郎、おまえは大変な考え違いをしておる」


 火花を飛ばしながら稲光先生の声が低く響きました。


「なるほど確かに地上にはここには無いたくさんの物がある。だが、地上はおまえが考えているほど我々雷にとって生きて行くのにたやすい場所ではないのだ。雲の上を満足に走れぬ者がどうして地上を走れよう。雲と雲の間に雷の道を作れぬ者が、雲と地上の間にどうして雷の道を作れよう。おまえの力ではたとえ地上へ行ったとしても何一つ得るものはないだろう。例えて言うなら筋力を付けさせるために赤ん坊に重量挙げをやらせるようなもの……」


 ちょっと例えが変だったかなと思ったようです。稲光先生は話をやめて首をかしげましたが、すぐに続けました。


「とにかく、今のおまえでは地上へ行くのは無理じゃ。地上に憧れるおまえの気持ちはよく分かる。しかし、まずはここで修業に励むことじゃ。雲の上でやらねばならぬ事はまだまだあるし、それをやってから地上へ行ったとしても遅すぎるということもあるまい」

「……はい、分かりました」


 雷太郎君は渋々返事をしました。本当はまだ言いたいことがあったのです。しかし今ここでそれを言ったとしても、事態はさらに悪化するだけですし、それにもうこれ以上、稲光先生を怒らせたくはなかったのです。


 雷太郎君が素直に返事をしたので、稲光先生の怒りも治まったようです。体を取り巻いていた青白い光は徐々に薄くなっていきました。光の下から現れた稲光先生の表情は、いつもの厳しく穏やかな顔です。そばで震えていた雷次郎君も安心した顔に戻りました。


「さあて、それでは今日の修業を再開じゃ。二人とも、いつまでもそんな所に座っているんじゃない。早く立て。始めるぞ!」


 稲光先生が威勢のよい声を張り上げました。雷太郎君と雷次郎君は稲光先生の声に持ち上げられるように、ゆっくりと立ち上がりました。


 それから二人は稲光先生の指導のもと、いつもように修業に励みました。一口に修業と言ってもたくさんの項目があります。雷雲と普通の雲の見分け方に始まって、雷雲の切り取り方、それを操る方法など、数え上げればキリがありません。二人は黙々と今日の課題をこなしていきました。


 ふと気がつくと、もうお日様はだいぶ西に傾いています。足元の雲もだいだい色に染まっています。


「おや、もうこんなに暮れかけてきたか」


 稲光先生は空を見上げました。明るい一番星が輝いています。


「 よろしい。今日の修業はここまでじゃ。二人とも気を付け!」


 雷太郎君と雷次郎君は練習の途中でしたが、すぐに中断して背筋を伸ばし、気を付けの姿勢をしました。


「では、今日の修業はこれで終わる。一同礼!」

「ありがとうございました」


 二人は声をそろえてそう言うと深々とお辞儀をしました。修業の後ではそうする決まりになっているのです。


「うむうむ、明日も頑張るのじゃぞ」


 稲光先生はにっこり笑いながら二人の頭を撫でました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る