稲光先生
「こらあ、太郎。そんなところにおったのかあ」
遠くの方から声が聞こえてきました。雷太郎君は慌てて雲の穴から顔を引き抜くと辺りを見回しました。誰の姿も見えません。しかし雷太郎君には誰が叫んだのかすぐに分かりました。
「まずい、もう見つかっちゃったか」
雷太郎君は急いで立ち上がると、声が聞こえてきたのとは反対の方向へ駆け出しました。
「待て、太郎。逃がしはせぬぞ」
先ほどと同じ声が、今度は少し大きく聞こえてきました。よく見ると、雲の彼方に小さな点のような物が微かに見えます。
「だ、駄目だ。逃げきれないや」
その点は恐ろしいほどの速度で雷太郎君に近づいて来ます。今はもう姿かたちがはっきり分かります。雷太郎君と同じ雷様です。かなり歳を取っているようですが、まるで宙を飛んでいるかのような軽やかな走りです。雷太郎君も必死で走るのですが、何しろ雲の上というのはふわふわしているので、早く走るのはとても難しいのです。
雲の上を上手に走れるようになるのも、一人前の雷様になるために必要なのですが、雷太郎君はいつもさぼってばかりいるので、なかなか早く走れるようにならないのでした。そうこうしているうちに、雷太郎君はとうとう追いつかれてしまいました。
「捕まえたぞ太郎」
その雷様は逃げる雷太郎君の右腕をわし掴みにしました。
「まったく、いつもいつもさぼってばかりおって」
雷太郎君の右腕は強い力でぎゅうぎゅう締めつけられます。あんまり痛いのでたまらず悲鳴を上げてしまいました。
「いててて、ごめんなさい、
雷太郎君はすぐさま稲光先生に謝りました。稲光先生は顔をゆがめて痛がっている雷太郎君を見ると、掴んでいた右腕を放しました。
雷太郎君は雲の上に尻餅をつき左手で右腕をさすりました。右腕には稲光先生の手の跡がくっきり付いています。
「情けないぞ、太郎。どうしておまえはいつもいつも、大切な修業をおざなりにするのじゃ。そんなことでは一人前の雷にはなれんぞ」
「で、でも先生」
雷太郎君は右腕をさすりながら立ち上がると、厳しい顔をしている稲光先生に向かって言いました。
「一人前の雷と言ったって、ボクが知っている雷ときたら、たまに雲の間を行き来するか地上に行ったりするぐらいで、それも数えるぐらいしかやらないし、じゃあ毎日何をしているかと言えば、昼寝をしたり、ひなたぼっこをしたりしているだけじゃないですか。それなら、何も毎日あんな厳しい修業をしなくたって、ボクは十分だと思う……」
「ばかものおー」
稲光先生が大声を出しました。あまりの声の大きさに、雷太郎君はまるで誰かに殴られでもしたかのように後ろにのけぞると、また、雲の上に尻餅をついてしまいました。
両手を雲についたまま稲光先生を見上げると、稲光先生の顔は怒りのために真っ赤になっています。目はらんらんと輝き、髪の毛は全て逆立っています。
「せ、先生」
雷太郎君は稲光先生の尋常ならざる怒りようを見て、口もきけなくなってしまいました。稲光先生は燃えるような目で雷太郎君をにらみつけると、大声で話し始めました。
「ひなたぼっこだと、この馬鹿者めが。あれはおまえが考えているようなものではないのじゃ。ああ、なんと情けない。一人前の雷がひなたぼっこをしておるなどと考えていようとは」
「で、でも先生」
「ええい、やかましい」
稲光先生は一体どこまで聞こえているのだろうと思われるほどの大声で、雷太郎君を威圧します。
「一人前の雷がいつも何をしているかは、そのうちに教えてやる。そんなことよりも今日の修業を始めるぞ。ほれ、早く立たんか」
稲光先生は尻餅をついたままの雷太郎君の左腕をつかむと、一息で雲の上に立たせました。
「さあ、行くぞ。次郎も待ちくたびれておるじゃろうて」
稲光先生はそう言うが早いか、雷太郎君の左腕をつかんだまま、猛然と走り始めました。稲光先生の指が雷太郎君の腕に食い込んで締めつけます。雷太郎君はまた悲鳴を上げました。
「いたた、先生、痛いですよ、放してください」
「馬鹿者、これくらいで痛がってどうする」
「でも本当に痛いんです」
「一人前の雷になるにはこれくらいは当り前なのじゃ、我慢せい。まったくこのままじゃと、次郎の方が先に試験を受けることになるかもしれんわい」
稲光先生はとんでもない勢いで雲の上を走って行きます。雷太郎君の体はもうほとんど宙に浮いています。それにしてもどうしてこんなに早く走れるのでしょう。雷太郎君の走る速さの十倍以上は出ているはずです。
雷太郎君は腕の痛みに顔をしかめながらも、やっぱり先生は凄いなあと思いました。そして、修業をさぼってばかりいる自分を少し反省しました。
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