3人の救世主

 遠くでインターフォンの音が鳴った。何度も鳴った。俺は毛布にくるまり耳を塞いぎしつこく鳴りやまないインターフォンをそのまま無視し続けた。静かになったと思ったら、今度は俺のスマホが鳴った。スマホの画面を見ると相手は先輩だ。通話ボタンを押してスピーカに切り替える。


「家にいるよな?今すぐ玄関開けろ!」


 電話の向こうで怒鳴る先輩の声が鼓膜を震わせる。

 俺は、仕方なく先輩に言われた通り玄関を開けた。すると、入ってくるなり先輩が俺に言った。


「今日行くって昨日連絡しただろ?お邪魔します。」

「お邪魔しまーす。」

「・・・お、お邪魔、します、」


 メールを確認すると、確かに昨日先輩から連絡があったようだ。だが、俺は来ていいと返事をしていない、でも断ってもいなかった。つまり、俺は今日先輩たちが来ることを知らなかった。ただ、一つだけはわかった。先輩は俺の返事がイエスだろうがノーだろうが、返事が来なかったとしても来るつもりだったのだろう。

 たぶん、先輩は俺の様子を看かねて来た。そして、先輩の後ろからぞろぞろと続いたのは、一緒に連れてきた妹さんと、かつてのインターン生だった。今の酷い俺の姿を見た後ろの2人は驚いているのだろうか、二人を見ると固まっている。


((まぁ、そうなるよな、))


 先輩は以前会っているので特に反応はなく、自分の家に入るような軽い足取りでリビングへ行った。固まっていた2人も恐る恐る俺の横を通り先輩の後を追う。俺は自分の部屋に戻ろうとしたら、先にリビングに行ったはずの先輩に捕まり強制的にリビングへ連れて行かれた。


「線香あげていいか?」

「私も、いいですか?」

「ぼくも・・・」

「どうぞ、ご自由に・・・」


 みんなが妹に線香をあげている間、俺は椅子に座ってぼーっとその様子を眺めていた。

 いつの間にか、先輩が俺の隣に座っていて、話しかけてきた。


「なぁ、墓参り行ったか?」

「・・・いいえ、」

「そっか、今から一緒に行くか?」

「行きません・・・用が済んだなら帰ってください。」

「用ならまだ終わってない。」


 いつの間にか先輩が勝手に用意したお茶がテーブルの上にあって、みんなくつろぎ始めた。


「あ、あの、まだ何か?」

「俺たちは、お前を助けたいんだ。それで来たんだ、」

「今の後輩さん、リアル生きてるゾンビですよ!ちゃんと人間に復活してください!」

「ぼk、ぼくは、妹ちゃんの、し、し親友だから、妹ちゃんのため、です!」

「・・・俺のことはほっといて、」

「お前に拒否権はない!」

「異論反論は承りません!」

「妹ちゃんからのお願いなので!」

「・・・(溜息)」


 黙ったままでいると、先輩が暴走し始めた。


「まぁ、まずその恰好をどうにかして、部屋も掃除して、あとは、」

「ちょっと、待ってください。勝手に触らないでください!・・・頼むから、何もしないでくれ!」

「いきなり怒鳴んなよー、掃除って言っても捨てるとかはしねぇーよ、普通の掃除だから安心しろ。」

「もぉ、ビックリさせないでくださいよー!そんなに元気があるなら大丈夫ですね!」

「綺麗になったら、妹ちゃんも喜びますね。」

「勝手に触られるの嫌だったら、お前が自分でやれ。」

「・・・はい。」


 この後、何だかんだ先輩たちの言われるがままに掃除をした。ある程度片付くと後は俺たちに任せて、次は自分を綺麗にして来いと言われたので、洗面所へ行く。

 久々に鏡に映る自分の姿を見た時は、一瞬誰だか分らなかった。髪はボサボサ、放置していたヒゲは伸び放題だった。まずはシャワーを浴び髪の毛を洗い乾かしヒゲを剃った。すると、浮き彫りになった容姿が現れた。ほとんど食事をしていないためやせ細り肋骨が見えて頬はコケているのがわかる。そして、睡眠不足が作ったクマがくっきりできている。実年齢より10歳は老けて見えた。


((・・・まるで死人だな、))


 それでも、数時間前の自分より随分マシになった。スエットではなく適当な服を着てリビングへ戻ると、先輩たちのお陰で部屋も綺麗になっていた。

 皆それぞれに休憩していた。


「お疲れ様です・・・」

「お疲れー、お前も綺麗になったな、まぁ、元はいいからな!」

「さっきより人間らしさがあります!」

「妹ちゃんも、喜んでますよ!」


 皆、死人のような俺の容姿をみても驚かず褒めてくれた。それは、今の俺にとって僅かな救いだった。

 そして、俺はこんなに動けたことに驚いた。今まで最低限の事すらもやっていなかったせいか疲労が半端ないが同時に清々しさも感じていた。


「皆さん、ありがとうございました。」

「おう。来た甲斐あったなー、」

「3キロくらい瘦せたかなー、あー、お腹空いたー、」

「ぼく、妹ちゃんの役に立てた。生きてて良かった・・・」

「お礼にご飯をと思ったんですけど、しばらく買い物に行っていなくて何もなくて・・・すみません、」

「じゃぁ、今から買い行くか、」

「ぼ、ぼくは、妹ちゃんの傍に居たいので、」

「それじゃ、俺と妹が買い出し、お前とインターン生は留守番でいいか?」

「はっ!?・・・何で頑張ったのに、罰ゲームなのー、」

「妹よ、今日は俺に付き合ってくれ、頼む!」

「仕方ないなー、じゃぁ、最新ゲーム機、」

「お、おう・・・交渉成立!」


 先輩が俺を留守番にしたのは、俺がこの家の主だからか、それともリアルゾンビと勘違いされかねない人間を外に出すのは危険だと判断したのかはわからないが、俺は家に居られることに安堵した。


「行ってらっしゃい、気を付けて、」

「行ってきまーす。」


 先輩と妹さんを送り出し、インターン生と二人きりになった。インターン生は仏壇の前に座ると一人でボソボソ喋りはじめた。きっと、妹に向かって話しているのだろう。俺は、ソファに座ってぼーっと外を眺めた。

 この場所が、妹の最期だった。俺は、今でもその記憶を思い出すと息が苦しくなる。でも、涙はでない。胸が痛み、頭が痛くなる。


((部屋に戻ろう・・・))


 俺は、インターン生に気が付かれないようにそっとリビングを出て自分の部屋へ行く。


((・・・何やってんだろ、俺、))


 妹の死から約2年、荒んだ生活をしていた俺に差し伸べられた先輩たちの半強制的な助けによって、俺に纏っている黒い霧が薄くなっていくような、なにか変化が起きそうな気がした。

 俺は、ずっと閉めていたカーテンを開けてみた。

 陽が差し込み部屋を露わにした。

 

「まぶしい・・・」


 俺は、あの日から逃げてきた現実とちゃんと向き合わなければならない時が来たのかもしれない、初めてそう思えた。


――――――

 先輩と妹さんが帰ってきた。


「飯つくるぞー!お前がいないと始まらねぇーぞー」


 階段下から先輩に呼ばれ、俺はリビングへ行く。

 テーブルの上には買ってきた食材が山盛りに置かれていた。


「私は食べる専門なので、パスー!」

「俺とこいつに任せろ。な!」

「あ、はい。で、何つくる予定ですか?」

「えーっと、何がいいかな?」

「質問を質問で返さないでください。」

「お前に任せる!」


 先輩は料理に関して無計画だ。そういう人だったことを忘れていた。


「まぁ、これだけ食材があれば、ある程度の料理はできますね。」


 とりあえず、先輩にはサラダを作るように伝え、俺は複数の料理を同時進行で進める。簡単かつ人数分も考えながら作っていく。料理をするのは凄く久しぶりだったが、俺は夢中になっていた。気が付けば先輩をほったらかして、キッチンを独占していた。


「なぁ、俺いる意味ないよね?妹と遊んでていい?」

「はい。」

「じゃあ、後よろしくー、」


 俺は、その後も一人で料理を作ることに夢中になって最終的に10品作っていた。 

 正直、あの日以来まともに料理をしていなかったため味も何もかもが不安だったが、みんな、お腹が空いていたこともあり美味しいと言ってくれた。妹さんは隠れ大食いなのか残さず全部平らげた。インターン生は時折泣きながら食べていてちょっと怖かった。先輩は俺の料理を食べたことがあるので特に感想は何もないが、何も言わない=美味しいということなので俺は本当に安心した。


「ごちそうさまでした!」

「後輩さん料理上手なんですね!あっ、片づけはやります。」

「ぼくも、やらせてください。」

「いえ、気を使わないでください。さすがに、そこまでは、」

「今更何を言ってるんですか?それに、こんなにおいしいご飯を食べさせてくれたお礼です。」

「説得力ないですよ?今回は、妹ちゃんと同じ物を食べさせて頂いたお礼です。」

「・・・じゃぁ、お言葉に甘えてお願いします。」

「二人とも、食器割らないように気を付けろよ。」

「はーい、」

「はい。」


 妹さんとインターン生が食器の片づけをしてくれている間、俺は先輩と話をしたくて俺の部屋に移動した。


「先輩、今日はありがとうございます。」

「ちょっとは役に立ったか?」

「はい。かなり、」

「そっか、良かった。少し強引だったかもしれないが、こうでもしないとお前がずっと暗闇の中から出てこないんじゃないかって心配で、夜しか眠れないからさー、」

「ちゃんと寝てますね。ご心配をおかけしてすみません、」

「で、何か話があるんだろ?」

「・・・妹の墓参りに、どうしても行けなくて、」

「行きたい気持ちはあるのか?」

「・・・ぼんやりと、」

「まだ、気持ちの整理がついてないか?」

「それもあります。けど・・・怖いんです、」


 俺は、妹が死んでから一度も妹の墓参りに行っていない。はじめは、仏壇の前に座ることもできなかった。だが、ある日、両親に妹の写真を置いて欲しいと言われたことがきっかけで、今では日課になった。だから、墓参りも何かきっかけがあれば行けるとそう思っていたのだが、今もまだ行けないままだ。


「すまん!お前の本当の気持ちは、お前にしかわからねぇ、俺にはわからねぇ、」


 俺は、誰かに共感して欲しいわけではない、わかって欲しいとも思っていない。だから、同情ではなく本心で言ってくれる先輩の言葉は素直に聞き受け入れることができた。


「はい。」

「ただ、俺は、たとえ墓だとしても妹に会いたいと思う。」

「・・・墓だとしても、ですか、」

「墓石の下に遺骨があるから、そこに行けば会えそうだろ?」

「・・・先輩らしいですね、」

「魂がどこに行ったとか、もうこの世に無いとか、そういう難しいことは考えても仕方ないしな、」

「・・・そう、ですね、」


 俺は、先輩に話して良かったと心から思った。

 先輩との話を終えリビングに戻ると、妹さんとインターン生は各々時間を過ごしていたようだ。


「密会ですかー?」

「そうだ、男同士の密会だ。」

「二人とも、後片づけありがとうございました。」

「いえいえ、食器割ってませんからね。」

「妹が食器を割らないなんて、キセキだな、」

「割るのは兄貴のだけだよ、」

「ひどいなー、物を大切にしろって教えてきたはずなのになー、」

「あ、あの!・・・い、妹ちゃんの、お、ぉおお墓参り、ぃ行きたい、のですが!?」


 突然だった、インターン生の発言に俺だけではなく先輩も妹さんも驚いている。


「えっ・・・(小声)後輩さん?」

「そ、それは、また今度にしたほうが、(小声)おい、お前なんか言え、」

「だぁっ!す、すみません!調子、乗り過ぎです、つい楽しくて嬉しくて、む、無神経なこと言ってしまい、あぁぁぁごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・」


 俺は少し呼吸を置いた後、沈黙を破った。


「・・・行こう。」

「えっ!?」

「うそっ!?」

「・・・ほ、本当ですか!?」


 俺は今しかないと思った。今だと思った。いつか、いつか行くと思っているだけで自分を守って今日まで一度も行かなかった。だから、俺はインターン生の申し出を受けることにした。一人で行くより皆で行ったほうが暗くならないだろうし、途中で逃げることができない状況を作ってしまえばいい。

 今まで逃げてきた現実と向き合うチャンスだ。ずっとこのままでいたら、きっと妹に嫌われる、「おにぃちゃん、いつまで、そうしているつもりなの?」と愛想をつかされてしまう、そう思った。


「なぁ、無理するところじゃないぞ?」

「後輩さん、本気?」

「ぼ、僕はなんてことを・・・すみません!すみません!」

「皆さん、俺に付き合ってくれませんか?」


 3人はそれぞれ顔を見合わせてから、俺を見て言ってくれた。


「もちろんだ!」

「はい!行きましょう!」

「ぼ、僕の突然の無礼を・・・うぅ、皆さん、ありがとうございます!」


 俺は妹の死を受け止められずにずっとその現実から逃げて生きてきた。

 2年経ってしまったが、ようやく妹の墓参りに行くことができた。


「うぅ、ごめんな・・・」


 俺は、妹の墓の前で泣いた。人目も気にせず泣いた。次から次へと溢れ出し止まらない涙は妹の墓の上にぽたぽた零れ落ちる。

 妹が死んでから初めて泣くことができた。

 3人はそんな俺に気を遣っていつの間にか先に帰っていた。


「また、会いに来る。先輩も妹さんも親友も皆会いに来るから、いつもみたいに笑顔で迎えような。」


 俺は、亡くなる直前に妹が言ってくれた最後の言葉をずっと思い出さないようにしていたらいつの間にか、その言葉は俺の妄想だ、あの妹の姿は幻覚だと思うようになってしまっていた。だが、今の俺はあの大切な言葉を妹の姿を肯定して、夢でも妄想でもなく鮮明に思い出すことができた。


 あの日、俺の腕の中で眠る前に妹は言ってくれた。


『私、お兄ちゃんの妹で幸せだよ。』


 俺は、妹に触れるように墓石に触れる。


「・・・俺も、妹の兄で幸せだよ。」


 俺にまとっていた黒く渦巻いていたものが徐々に消え、霧が晴れるように気持ちがすっきりした。

 俺は、猫背にしていた背中を立たせて前を向いて歩き出す。

 夕日が眩しかった。

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