アフターストーリー

1年目の冬

 ―――あの怒涛の日々から数年後。―――


 四季は巡り季節は冬になった。その日はとても寒い日だった。朝の冷たく澄んだ空気と昇り始めた太陽の光でキラキラ光る外の景色を窓から眺める。このひと時はとても穏やかで綺麗だった。


 俺の隣でその景色を一緒に見ている妹は、俺に笑顔を見せた後、目を閉じるとゆっくり力が抜け俺に寄り掛かった。

 俺は、妹の名前を呼ぶ。何度も何度も呼ぶが反応がない。

 俺は眠ったままの妹を抱きしめ、しばらくそのまま動けずにいた。


 しばらく後、主治医の先生に電話をするとすぐに先生が来て治療ではなく死亡確認をしていた。救急車ではなく葬儀屋が来た。両親に連絡をしたら今日の便ですぐに帰国するとのことだった。まだ気持ちの整理もついていないまま葬儀屋との事務的な話が始まり、なにもわからないまま終わると葬儀屋はまた明日来ると言って帰った。そんな俺に付き添ってくれた主治医の先生も帰った。

 妹を見ると、顔は白い布で隠され布団の上で寝たまま動かない。俺は白い布を取り、妹の頬に触れるとまだほのかに温かい体温を感じた。

 

「おやすみ、」


 俺は、いつものように妹と一緒に眠った。



 朝、インターフォンの音で目が覚めた。訪問者は、海外にいるはずの両親だった。どういう風の吹き回しか、と思いながら出迎えた。


「妹はまだ寝ているから静かにしてね。」


 父と母は俺を見て「こいつは何を言っているのか?」という顔をしたが、お互いの顔を合わせた後、「わかった。」と返事をした。

 この家に家族が揃うのは何年ぶりだろうか。家族で過ごした最後の日は曖昧な記憶でほとんど思い出せない。

 妹は、まだ起きない。俺は、妹の名前を呼びながら起きるように言うが、反応が無い。よく眠っているのは薬の副作用かもしれないと思うようにした。今度、主治医の先生に相談しよう。


 父と母に呼ばれ、何かと思えば俺のことについて聞かれた。仕事の事、事故の事、妹の事、俺が話終わると、今度は両親が海外の話をしてくれた。そんな他愛のない会話をしたのはとても久しぶりで楽しかった。

 両親と話をしていると、インターフォンが鳴った。母が出迎えた訪問者は葬儀屋と言った。俺は、どうして葬儀屋が来たのかわからなかった。両親が生前式でも頼んだのかと思った。俺の両親は新しいことが好きで少し変わっているところがある。だから、帰国したのはこのためかと思った。俺は、眠っている妹の傍で本を読みながら両親と葬儀屋が話している内容をぼんやりと聞き流していたが、ある言葉が脳を刺激した。


「はい。家族葬でお願いします。」

「お花は、お兄ちゃんに決めてもらいましょう。飾りも、」

「そうだな、あの子の事は私達より知っているからな、」

「でも、お兄ちゃん、あの子が亡くなっていることを、」

「時間が経てばアイツも、」


 俺は、考えるよりも前に両親に聞いていた。


「誰が亡くなったの?親戚の子?」


 その問いに、父も母も葬儀屋も誰も答えてくれない。すると、玄関の方から足音が聞こえリビングのドアが開き、そこに現れたのは主治医の先生だった。


「先生、いらしてたんですか。」

「すみません、入るタイミングを失いまして、」

「こちらにお掛けになってください。」

「あの、お兄さんとお話がしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「どうぞ、よろしくお願いします。」


 先生は父と母に問い、返事をしたのは父と母だった。

 今度は、その場に突っ立ったままの俺に先生が話しかける。


「お兄さん、別の部屋に案内してもらってもいいですか?」

「はい。俺の部屋でいいですか?」

「はい。」


 俺は先生と2階へ行き、俺の部屋に案内する。


「どうしたんですか?俺の経過観察のことですか?そうだ、妹の事で相談があるんですけど、」

「お兄さん、僕の話を聞いてくれますか?」

「はい、聞きます。」


 先生は深呼吸をすると、俺の眼をまっすぐ見て残酷な言葉を口にした。

 

「妹さんは、亡くなったんです・・・死んだんです、」


 俺は、先生の言った言葉が頭の中で何度も何度も繰り返された。その言葉の意味を理解するのにどれくらい時間が経っただろうか。いや、本当は受け止めきれていないのだ。だが、先生が、こんな酷く笑えないことを言うわけがない。でも、俺は妹の死を信じられなかった。


「な、何を言って、るんですか?・・・妹が、死んでるなんて、そんな、」

「お兄さん、ごめんなさい。妹さんを助けてあげられなくて、ごめんなさい、」

「やめてくださいよ、先生、僕の妹は、まだ、」

「ごめんなさい、本当に・・・」


 俺は、泣きながら土下座して謝る先生を無視して部屋から飛び出し、階段を転ぶ勢いで駆け下り、そのまま家から飛び出し走った。どこまでも走った。足がもつれて坂になっている草むらへ転げ落ちた。

 吐く息が白い。気が付けば夜で真っ暗の中ひとりだった。

 俺は起き上がり、雪が落ちてくる空を見上げ目を閉じた。

 夢でも見ているのだ、きっと、あの時のように嫌な夢を見せられているだけだ、こんな酷い夢だが夢はいつか終わる、そう言い聞かせ気持ちを落ち着かせた。


 その夢は、家に帰ってからも続いた。

 先生は、僕に合わせる顔がないのか帰ってしまった。まぁ、いきなりあんな酷いことを言ったらそうなるのもわかる。だから、先生の事は責めていない。もちろんこれは夢だから気にすることはない。

 リビングへ行くと、両親に話をしようと言われテーブルで向かい合った。

 両親は俯きながら話し始めた。妹の病気の事を知っていたこと、俺に内緒で連絡を取っていて病状が悪いことも、もうすぐ死ぬことも妹から聞いて覚悟していたと話した。


「本当に、すまない・・・」

「お兄ちゃん、ごめんなさい、」


 夢だとしても親から謝られることは気分がいい事ではない。

 俺は、妹がなぜ一番近くにいる俺に病気の事を隠していたのか、そのことが知りたいのだが、その問いには答えてくれなかった。夢だから仕方ないと思った。


 妹が死んで5日後、妹は火葬された。納骨の時に残った骨はまるで作り物のようだった。その後、告別式も家族だけで行った。夢だとわかっていながらもすごいリアルを感じていた。両親は葬儀が終わり落ち着くと仕事で海外へ飛び立った。

 すべてが終わった後、俺は、早くこの嫌な夢から覚めたくてひたすら寝た。

 

 目が覚め、妹の布団を見るともぬけの殻だった。俺は家中くまなく探したがこの家のどこにも妹の姿が無い。

 早く夢から覚めろよと自分の顔を殴った。


「いっ、てぇー・・・」


 もしかしたら、外に行ってしまったのかもしれない。俺は雪が降る中探した。だが、見つけられなかった。一旦家に帰ることにした。

 俺は、両親、主治医の先生、先輩、先輩の妹さん、親友のみんなに連絡をした。

 

 インターフォンが鳴り、モニターを見ると先輩だった。

 玄関を開けると、いきなり先輩が俺に抱き着いてきた。


「先輩、気持ち悪いので離れてください、」

「うるさい!黙れ!」

「・・・あの、妹みませんでしたか?」

「・・・」

「どこにもいなくて、」


 先輩は、俺から離れると、泣きながら言った。


「・・・妹さんは、亡くなったんだよ。もう生きてねぇだよ!妹の死を受け入れられなくても、現実から目をそらすな!妹の死から逃げるな!妹さんが浮かばれねぇだろ・・・会えなくても、お前が想い続けている限りずっと妹さんはお前の傍にいるよ・・・」


 ((両親も先生も先輩も、みんな揃ってなんだよ・・・夢の中だとしても俺の妹を勝手に殺すなよ・・・))


「・・・俺の、妹が死んだ?なんて、う、嘘ですよね?どうして・・・どうしてみんな、そんなひどい事ばっか言うんだよ・・・俺の妹返してくれよ!どこにいるんだよ!・・・なぁ、先輩!俺の・・・妹は・・・」  


 あの日、自分の腕の中で眠った妹が、妹の最期だったという事実を受け止めきれず、信じたくなくて、俺はずっと夢だと自分に暗示をかけていたのだ。だが、それは夢ではなく現実だったのだ。

 

 ――――――1年後――――――


 妹が死んだ現実を生きている俺は、空っぽになった。

 大好きだった仕事は全く身が入らず、何も手につかない日々を繰り返し、終いには出勤できなくなり自主退職した。先輩が庇いきれない程に落ちぶれ、今は無職のおっさんになっていた。

 今の俺の生活は最悪だ。生活リズムは滅茶苦茶になり不眠になった。食事もほとんど摂らず、1日のほとんどをカーテンを閉め切った自分の部屋に籠って過ごしている。何もせずただそこにいる。

 家の中は妹と暮らしていた頃のままで何も変えていない。もちろん、妹の部屋には入っていない。いや、入れない。この家で変わってしまったのは俺だけだった。

 そんな俺の唯一の日課は、リビングにある妹の仏壇の前に座ること。それ以外することが無いのではなく、できないのだ。

 数週間に一度、外へ出てあてもなく歩く。誰にも会いたくないので決まって出かけるのは夜中だ。


「・・・行ってきます。」


 もう「行ってらっしゃい」の声もハグも、頭なでなでも、笑顔で送り出してくれる妹の実体はないが、いつも近くにいるような気がするのだ。

 俺は、先輩に「現実から目をそらすな。妹の死から逃げるな。」と言われてようやく現実と向き合い始めてから、毎日頭の中で呪文のように繰り返している。


”俺の妹はもうこの世にいない”

”妹は死んだ”


 俺は、過去に事故に遭った後遺症で記憶を失ったが、妹や先輩、色々な人たちから刺激を受け気が付いたら記憶が戻った。でも、妹の病気のことは知らなかった。俺が妹の病気を知らなかったのは、俺には絶対内緒だと妹が先生や親、周りの人間すべてに頼み込んだからだった。妹が病気だと知ったのは、亡くなる1年前に緊急搬送されたからだ。皮肉にも主治医は俺がお世話になった先生だった。

 妹が病気になったのは俺が事故に遭う前だったと先生は言った。その頃の俺は仕事ばかりで妹の事を何も見ていなかった。今思えば、”ブラコン”だと勘違いしていたアレコレは俺との思い出を作るため、妹は自分の生きた証を残したかったのかもしれない。

 自分が病気であるにもかかわらず、兄が事故に遭いさらに自分の記憶を失っていると聞いた妹は「これからは病気の事を簡単に隠せる、良かったー!」と言ったそうだ。


 妹が死んでから俺は妹の事ばかり考えていた。妹は”ブラコン”だったわけではなかったのかもしれないということ。自分の生きられる残された時間を知っていたから、俺との時間を大切に一緒に過ごしたかっただけなのかもしれない。事故に遭って記憶を失った俺との生活は、妹にとっても人生の”まさか”だったのかもしれない。自分の記憶だけが無いと知った時、妹はどんな思いだったのだろうか。俺の前では気丈にふるまっていたが、きっと俺の知らないところで泣いていたのかもしれない、苦しい気持ちも辛い気持ちも抱えながら、ましてや自分の病気と闘いながら、俺に自分の記憶が戻って欲しい一心で、懸命に生きていたのかもしれない。

 そんな妹に対して、当時の俺は自分の事ばかりで、妹に対して冷たくしてしまっていた。それでも、妹はいつも笑って、いつも気遣ってくれていた。

 今更どんなに願っても、妹に「おにぃちゃん」と呼ばれることも、妹が俺に触れてくることも、俺が妹に触れることも、二度とないのだ。

 妹がブラコンだろうがなんだろうが、俺にとっては大切な妹で、家族であることに変わりないのだと今更ながら気が付いた俺への罰なのかもしれない。

 

 妹が死んで1年目の冬が過ぎた。

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