後日談


「はぁ……。ここ数日、兄さんはそんな事をしていたわけですか」

 もう一度ため息をつき、薄茶色の髪の少年は小さく首を振った。一房だけ長い前髪に結わえられた紅い飾りが一緒に揺れる。

 紫音寺の開け放たれた一室で、沙雪は雷封の義理の弟である霜雪そうせつに先日の顛末を報告していた。彼女は雷封と契約を結んではいるが、あの兄にあまり感化されて欲しくないという霜雪の個人的かつ分かりやすい理由で、紫音寺に居候をしている。その彼女が、先日ふらりと夜に姿を消したので、一体何をしていたのかとまるで保護者のような質問をする事になったのだ。

「椿白零絡みという事は……どうせ報酬は無し、でしょう?」

 その名前を口にした時に、一瞬だけ嫌そうな顔つきになる。

「んー……。それが、そうでも無いみたいだよ。今回は、単なる手伝いと云うより正式なお手伝いだったみたいだから」

「何ですか、それは。どっちにしろ手伝いじゃありませんか」

「何かね、椿さんの昔の馴染みが絡んでるって事だったらしくてさ。だから、真面目に仕事してたらしいの、二人とも」

「……まじめ」

 思わず、棒読みになった。

 椿白零はともかく、兄には全く以って似合わない言葉だ。似合わなさすぎて笑えてくるほど、真面目のまの字も似合ってない。

「まぁ、あたいは最後の最後に一寸だけ呼び出されただけだから、詳しい事まではあんまり知らないンだけどね。どうせなら、本人に聞いたら?」

「いえ、遠慮しておきます」

 息ぴったり。これ以上無いほどの即答だった。

 二人の間に、微妙な空気が流れる。

「……椿さんって、綺麗な人だよねぇ。あたい、自信無くしちゃうなぁ」

 話題を変えようと思ったのだろう。沙雪はにかっと困ったような笑い顔を浮かべて、ぽりぽりと頭を掻いた。

 それを見て、霜雪は再びため息をつく。

「沙雪、誤解しないように云っておきますが、椿白零は」

、でしょ? あたい、見てすぐに分かったよ。だから、余計に自信無くしちゃうンじゃん」

 霜雪の言葉に被せるように云い、男の人でもあんなに綺麗になれちゃうンだもンなぁ、と大袈裟に肩を落とした。ふざけているようで、案外と本当に気になっているのでは、と霜雪は思う。

「しかし、椿白零もまだまだですねぇ。貴女のような子供にまで見破られるんですから。夢紡ぎの名が泣きますよ」

「あ、大丈夫。先生は全ッ然気が付いてなかったから。どうせなら、気が付かない方が幸せだったよ」

 ……やっぱり。

 またもや、深々とため息をつきながら。まぁ、正体を教える義務なんてこれっぽっちもありませんから、気が付くまで放っておきましょうと心の中で呟き、表では別の言葉を口にした。

「それで。その種田草雲大先生は、落日庵に住み着くつもりですか」

 どちらにせよ、呆れた口調だ。沙雪も小首を傾げ、理解出来ないと云った風に眉を寄せながら頷く。

「どうやらそうみたい。実際、会って話したのは一回しかないのに、何であそこまで拘ってるのか分かんないよ」

「まぁ……草雲さんの思考など、分からない方が良いと思いますよ」

 馬鹿にしてるのか本気なのか分からない、一本調子の口調で云うと霜雪は、ふっと視線を外に走らせた。

 普通なら。

 普通なら、いくら面識があった人物の家とは云っても、惨劇が行われた場所だ。一度は仕掛けとは云え、二度も惨劇の舞台になっている。そんな場所に、わざわざ進んで移り住む輩がいるとすれば、かなりの図太い神経の持ち主か心臓に毛が生えてでもいるか、それとも何かを期待でもしているのか――いずれにせよ、そんなところだろう。

 でも、この場合はどれも当てはまらないですね、と霜雪は心の中で一人ごちる。何となくではあるが、草雲の気持ちが分からないでもなかったのだ。

 彼にとって、落日庵は居心地の良い場所なのだろう、と霜雪は思う。惨劇がどうとか、そんな事は関係ない。ただ、。多分、そんな曖昧な感覚で、草雲は移り住んだに過ぎないと彼は思うのだ。

 もちろん、あの先生の事ですから、多少の気持ちを感じていないわけは無いでしょうけど、とまた胸中で続け、少年は深い紫の瞳をそっと閉じた。

 では。

 ――私にとって、居心地の良い場所とは?

 一瞬、何かが目の端に映って過ぎ去って行ったような感覚。思い出せそうで思い出せない、掴み取れそうで指の間から全てが零れ落ちて行ってしまうようなこんな感覚は、今までも何度も経験済みだった。

「……もう、何処にも存在していないのかも、しれませんね」

 ぽつりと、そう呟く。沙雪が不思議そうな顔をして、彼を見た。

「何が?」

「いえ、何でもありません。独り言です」

「……ふーん?」

 白い少女が訝しげな声を出す。だが、彼女もいい加減霜雪の性格を掴んでいるので、彼が独り言だと云ったら独り言なんだと思う事にした。それ以上追求したところで、絶対に語りはしないからだ。

 少女が自分から目を逸らしたのを感じ、霜雪は少し黄色く変色した畳に視線を落とす。

 ――惨劇が、行われた場所。

 その言葉に、何処か酷く惹かれるものを感じながら、まぁ、そのうち何か思い出すでしょうと強引に思考を断ち切った。



 全く、自分も大概物好きだなぁと思わないでもない。

 綺麗に片付けられた室内を見回し、必要最低限しかない自分の荷物を確認するかのように見つめた後、草雲はそっとため息をついた。

 もちろん、千花には猛反対された。雷封や椿も流石に呆れたといった口調で「好きにしろ」としか云わなかった。否、多分、云えなかったのだ――と思う。

 何故、移り住む気になったのかは、自分でもはっきりとしない。ただ――気が付いたらそう口にしていただけの事――だった。

 所狭しと並べられていた人形を寺に預け、自分の荷物だけになった部屋の中は何だかがらんとして味気が無い。色も多少、くすんでしまったようにさえ感じられる。

 その中にぽつんと存在し、動き回る自分がまるで異分子のように思えた。

 沢山あった人形の中でも紅蘭だけは、青嵐と一緒の墓に眠らせた。事実、本人の骨を使って造られているものであり、寺に預けるよりそちらの方がずっと自然に思えたからだ。

 ……まぁ。

 化けて出たりする事も無いでしょう、と草雲は一人苦笑いを浮かべる。こんな事、今更になって考える方が十二分に笑えると彼は思う。

 ――私が、ここで夢を織らせて頂くわけにはいかないでしょうか。

 もちろん、人形師の真似事など出来はしません。私は、私のやり方で、夢を見せているのです。

 ――夢物語。

 初めて会った日に、椿に云われた言葉だ。あの時は全く実感が湧かなかったが、今となっては自分の書いた文章に、世界に憧れるという気持ちが少しだけ分かったような気がする。

 時として、この世はあまりに残酷過ぎる。

 だから。

 がたりと、戸が開いた。

 主に断るでもなく勝手に入ってきた雷封は、すっかり物の無くなった室内を一瞥してほんッとに先生金目の物って何も持って無ェのな、と何処かずれた感想を云い。

「ほれ。引越し祝い」

 そう云って押し付けた包みの中には、饅頭が詰められている。引っ越し祝いと云いつつ、押し付けた本人はすでに一つ頬張っていた。

「はぁ……有難う御座います。真逆これ、御代踏み倒してきた物じゃあ、ありませんよね?」

「んあ? そンな事してねェッて」

「はぁ。それなら、良いのですが」

「そうそう。ちゃアんと、先生にツケとくッて事で話つけて来たからよ。存分に食えや」

「……は?」

 ごく当たり前、といった口調であっさり云われたので、一瞬頷いてしまうところだった。饅頭が思いっきり喉に詰まり、草雲は目を白黒させながら盛大にむせる。

「……そ、それは、踏み倒し、と……」

「一緒なわけないじゃンか。先生なら信用出来るからッて事で包んでもらったンだぜ? 流ッ石種田草雲大先生。人望厚いねェ」

 悪びれた様子もなくけらけらと笑うと、それじゃ遠慮なく、と二つ目に手を伸ばす。もらったはずの草雲はむしろ食欲を失って、呆然と赤毛の青年を見つめていた。

 ――結局。

 結局、この人と関わりを持ったのが私の――。

 運の尽きなのか、それともツキ始めなのか。

 ……分からない。

 やっぱり、分からない事だらけだ。

 ――夢物語。

 もしかしたら、自分ももうすでに夢物語の中に入り込んでしまっているのかもしれない。境界など、極めて曖昧模糊として自分が望めばすぐに越えてしまえるものなのだから。

 ――嗚呼。

 やっぱり、分かりませんねぇと小さく呟いて。

 今、確かに分かっている事は、確実に財布が軽くなるという事だけですか、と心の中で一人ごち、いつも通りの情けない笑みを浮かべたのだった。

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