後日談


「結局、タダ働きだったワケだなァ」

 勝手に住み着いている荒寺の縁側にぼけっと座りながら、雷封がぼそっと呟いた。いつもの、毒がある口調ではない。誰に向けて云っているのでもなく、ただ気が付いたら言葉が口をついていた、という程度の呟きだったのだろう。が、仕事を頼んだのが自分な手前、草雲には酷く耳に痛かった。

「まァ、しょうがねェッちゃアしょうがねェしなァ」

「……すみません」

「アア、いや? 別に先生にどうこう云ってるワケじゃねェンだけどさ」

「……はぁ」

 流石の俺も、仏さんだらけの村を勝手に家探しするってェのは気が引けるしよ、とそれこそ草雲が想像もしていなかった事をさらりと云い。

「それで? 今日は一体何の用で」

 矛先を、変えた。

 心の中でほっと胸を撫で下ろし、霜雪さんは? と問う。

「あいつは、紫音寺しおんじにいるぜ。仕事が無い時ァ大体あそこにこもりッきりさ。まァ、今のあいつにゃあそこが家なわけだから、何も不思議は無ェけどよ」

 紫音寺。都の外れにあるこじんまりとした寺だ。何故か、こういう事だけは無駄にすぐに覚える質である。

「――で」

 ちりん、と鈴を指で弾き。

「何が、聞きたい? どうも、ンだが」

 興味が無さそうに鈴を指で弄びながら、彼の方を見もせずにぼそりと云った。だが、その行動とは裏腹に、問いかけた声音には探るような響きが伴われている。

「云っておくが。あいつに、あいつ自身の事を聞いたってまったくの無駄だぜ。あいつは、自分の事を話すのは嫌いだし、そもそも、話そうったって話せねェンだからな」

「……話せない?」

 雷封が何故この話を持ち出したのか。それは草雲のはかりしれぬところではあるが、内容は彼が聞きたかった方向である。これを逃す手は無い。丁度上手い具合に話が進んでくれた事に密かに感謝し、少々緊張しながらも慎重に質問をする。

「話せないとは、どういう事です?」

「あいつァ……霜雪には、記憶ってヤツがねェンだよ」

「は……?」

 何処か、遠くを見るような目をして荒れ放題の庭を見つめながら雷封が云った台詞に、思わず声が裏返った。だが、それに茶々を入れるでもなく青年は言葉を続ける。そういえば、今日は草雲を全く見ていないという事に、彼はふと、気が付いた。

「あいつにゃ他人に語るだけの昔がねェ。過去ってヤツがねェンだから当然さ。だから、あいつにあいつ自身の事を聞いたって分からない――そういう事さ」

 だから、なのかねェ――。

 およそ彼らしくない、覇気のない声で云い。

「あいつが、強引にでも沙雪を封印する芝居を打つッて云い張ったのは」

 過去が無い人間には。

 過去に縛られて生きている人間の感情が、分からないのではないか――。

 多分、この青年はそう云いたいのだろう。彼は彼なりに、弟を止められなかった事を悔やんでいるのだ。

 だけど。

「……それは、違うと思いますよ」

「違うのかねェ」

「ええ。違います」

「珍しいねェ。種田草雲大先生がそんなにはっきり断言するなンて。こりゃア、明日の天気は雨だろうよ」

 淡々と、抑揚の無い憎まれ口。

 彼が草雲を見ないから、草雲も青年を見ずに色々思考を巡らせる。

 霜雪が。

 あの少年が、ムキになったのは。

 ただ――。

 ――兄に対する、劣等感コンプレックス

 普段はおちゃらけている兄の、いつも不真面目に見えるこの赤毛の青年の中に時折見え隠れする、一本きちんと筋の通った部分。それはある種の、覚悟のようなもの。

 そんな部分に負けたくなくて。

 しばしば感じる霜雪の余裕の無さは確かに、自分で自分の事が分からないという事も関係しているのだろう。むしろ、それで落ち着いていられるほうが変わっている。

 そう、考えてはいても。

 何より、この兄の存在が弟の中で大きいのだと、草雲には思えるのだ。

 劣等感コンプレックスとは、強い憧れを抱かねば生まれない感情だから。

 ああなりたい、こうなりたいと願う、憧れと羨望の裏返しの感情。

 そんな、単純だが底の見えない深い感情に惑わされ、あの聡明な少年は判断を誤ったのだろう。雷封が、そこに気付いていないとは到底思えないのだが彼の事だ。案外、誰でも気が付くような事をふらりと見落としたりする可能性も十分にある。

 だから、草雲はその考えを自分の胸の中だけに押しとどめ、代わりに違う言葉を口にした。

「霜雪さんも記憶が無いのなら。確かに、過去に縛られて生きている人間の気持ちは分からなかったかもしれません。でもそれは逆に、記憶が無い人間、過去が無い人間の気持ちなら分かる、という事になるのではないでしょうか」

「……沙雪の気持ちなら分かったと、そういう事かい?」

「ええ。私は、そう思います」

「なるほどねェ」

 見方が違うって事か、と黒衣の青年は呟いて顎を撫でた。

「……ま。今更あれこれ考えたッて、どうしようもねェ事だァな」

 そう、何かを吹っ切るように云い。

「で、先生。霜雪に関しての疑問は、解消されたのかい?」

 と、さらりと訊いた。別に、何も悪い事をしたわけでもないのに、思わず反射的にびくりとする。

「え? あ、はい、まぁ」

「あいつが何でもかんでも首を突ッ込みたがるのも。他人が触れられたくねェって思ってるところまでずかずか踏み込んでいくのも。ありゃア記憶云々って話じゃアねェな。あの好奇心は生粋のモン、生来の性格ってヤツだと思うンだがなァ」

 本人が聞いたら、一体何と云って三倍返しを食らわせる事か。

 そんな事は、考えるだけで恐ろしい。

「性格なンてよ。そう簡単に変わるモンじゃアねェだろ」

「簡単って云いますけど。記憶が無くなるっていうのはあちらこちらにおいそれと転がってるような事じゃあないと思いますけどねぇ。私だって、真逆そんな理由だと知っていたら――」

「……知って、いたら?」

 そこで雷封は、初めて草雲と真正面から視線を合わせた。にんまりと、してやったりとした表情が、そこには浮かんでいる。

「そんな事ァ、あいつに面と向かって訊けやしねェわなァ。あいつの質問攻め、容赦無かったンだろう?」

 いッつも、容赦無ェンだよ。

 ――残念ながら。

 大袈裟に、ため息をつき。

「見た目があんなだろ? アレで油断させておいて、いざ仕事になると自分が納得するか相手が干からびそうになるまで容赦しねェわけよ。ありゃア、質問される方はもちろん、見てる側だってびッくりするわなァ」

「じゃあ、いつも」

「そ。いつも、あの調子だ」

 だからよ。

 深い意味は、無ェと思うぜ。

 そう、続けて。

 雷封はすっと右手の掌を草雲へと差し出した。意図を測りかねて、草雲は首を捻る。

「あいつの記憶が無ェ事は、あいつにとって誰にも云えねェ最大の秘密なんだよ。そんな事、勝手にぺらぺら喋ったと知れたらどうなるか……考えただけでおっかねェや」

 わざとらしく、ぶるぶる震えてみせたりしながら。

「……つまり。えーと?」

 何となく、彼が云いたい事は予想がついた。残念ながら、当たっている自信もある。それだけ予想はついたが、自分からは云い出し難い。自分で口に出してしまったら、それこそ逃げ場が無くなってしまう。

 そもそも、逃げ場など、すでに無いのかもしれないけれど。

 それぐらいは多少なりともこの青年――否、兄弟と付き合いがあれば分かるというものだろう。

 雷封は不自然ににこやかな笑みを浮かべて、上目遣いに彼を見た。

「そんな、おっかねェ思いをしてまで教えてやったンだ。これでタダってェのは虫が良すぎるンじゃアねェのかい、草雲先生?」

 教えてやったも何も。

 はっきり訊きもしないのに、勝手にぺらぺら喋ったのは雷封さんじゃないですか。

 その台詞は、やはりというか草雲の胸中でのみ、綴られる事となる。

 ――そもそも。この人達と関わりを持ってしまったのが、間違いだったんだろうか。

 付き合えば付き合うほど軽くなる財布を抱え。

 でもまぁ、これも運命ってやつなんですかねぇと口の中で呟いて、草雲は苦笑いを浮かべたのだった。

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