第二幕・夢織人―ゆめおりびと―
序章
タンタントントン、タン、トントン。
夢織人は、夢を織る。
つらつらつらつら、夢を織る。
丹精込めて織り上げて、
今宵は誰に、見せましょか。
タンタントントン、タン、トントン――。
どうにも、落ち着かない。
わいわいがやがやと人々の活気に溢れる大通り。絶える事の無い人の流れを見つめながら、
季球の都、
「お、先生。きちんと時間通りに来てるたァ、感心だねェ」
そんな軽い声が、後ろから掛かった。振り向いて、クセのある赤毛に黒い着物の見慣れた顔を見、ほっとするやら気が抜けるやらで「そんな当たり前の事を云わないでくださいよ」と呆れたように云う。
「大事な用があるって呼び出したのは
「先生騙して一体何の得があるよ。俺だって暇じゃアねェのよ? 遅れたのは悪かったけどさァ、色々やる事もあンのよ」
「いえ、まぁ。私も別に、何か用事があったわけではありませんから」
そう云われると反論出来ない辺り、本当に自分は押しが弱いなぁなどと心の中で苦笑いを浮かべつつ、草雲は本題に入った。
「それで。私に用とは、一体何なのです? 雷封さんから私に用事があるなんて、珍しいじゃないですか」
それを聞いた雷封が一瞬、複雑な表情を浮かべたように見えたのは草雲の見間違いだろうか。
ちらり、と嫌な予感が顔を覗かせる。
「ん? ああ。まァ、実際用事があンのは俺じゃアねェンだけどさ」
先生に、会いたいッてェ人間がいるのよ。
突然、きゃあ、と橋の向こうで悲鳴が上がった。悲鳴に続いて、金属同士がぶつかり合うようなキン、という高い音も聞こえてくる。
「な、何でしょう」
「さァ?」
ばたばたと逃げてくる町人にぶつからないように気をつけながら、草雲は騒ぎの中心へと目を凝らした。
どうやら、五、六人の剣客が斬りあっているらしい。ちらちらと見え隠れする赤い袴の小柄な剣客が一人で応戦しているように見えるが、動きが速い為戦い慣れしていない草雲の目にはそれ以上の情報は見て取れなかった。それでも、何とか状況を把握したいと目を細めてみたりするが、もちろん効果は微塵もない。
そんな時。
ちらりと、目の端を掠めた純白の着物。
戦いから目を逸らし、その着物の人物に視線を移した瞬間。
草雲は、まるで術にでも掛かったかのように相手から目を離せなくなってしまった。
赤い袴の人物に守られるように佇む、その儚げな姿。
戦いが巻き起こす風になびく、淡い桃色の髪。
「おーおー。昼間ッから元気なこったねェ」
隣から、暢気に野次馬を決め込んでいる雷封の聞き慣れた声が聞こえ、はっと我に返った。欄干に腕を乗せ、身体を預けるような格好で呆れたように騒ぎを見つめている赤毛の青年に「落ち着いている場合ですか!」と思わず怒鳴ってしまう。
「助けなくて、良いんですか?」
「何でそんな面倒くせェ事する必要あンのよ。関係無いところで勝手にやってる喧嘩じゃねェか」
「そんな! だって、どう見たって多勢に無勢じゃないですかっ!」
「まァ、苦労してるみてェだけど。でも結構強いぜ、あの子」
「そーゆー事じゃなくて! ほら、女性を守るのはこの世界が出来てから、いや、出来る前からもそしてこれからも未来永劫変わる事の無い男の最も大切な使命だって決まってるというのはこれ以上無いという程常識中の常識じゃないですかッ!」
「……は?」
一瞬、時間が凍りついたと思ったのは決して草雲の思い込みではないだろう。目を点にして、まるで未確認生物でも見るように自分を凝視している雷封を確認し、草雲は身体中の血が頭にのぼって来たんじゃないかと思う程顔が熱くなるのを感じる。
ああ、出来るなら、川の水で頭を冷やしたいですよ。
「あ、いや、その、ですね。ほら、やっぱりその……ですね」
「……ツケといてやるよ、先生」
ぽん、と肩に手を置いて。
青年は奇妙に素直な笑みを残し、傍らに立てかけてあった錫杖を持つと軽い足取りで橋の向こうへと向かった。
戦いは、あっけなく決着がついた。
「はい、これで終わり」
どさりと重たい音を立て、男の身体が地面に崩れ落ちる。ふぅ、と一度大きく息をつき、草雲の所へと引き返そうとした時だった。
――キン。
辺りに響く、冷たい金属音。
「……助けてやったのにさァ。これはないンじゃねェの?」
「黙れ。助けてくれと頼んだ覚えはない」
振り上げた錫杖の柄に、曇りの無い輝きを放つ刃が当たっている。それを握っているのは、まだ歳若い少女であった。
少女は刀を引かぬまま雷封を睨みつけ、強い口調で云う。
「それに、お前も刺客じゃないとは云い切れない。敵の敵は仲間だとは云えないからな」
「そりゃ、ご尤も。俺も、そう云われると思ってたンだけどさァ」
あンまりに連れがうるさいもんだからね、と雷封は大袈裟にため息をつくと空いている右手で橋の上を指差した。指の先には、この展開に一人わたわたしている草雲がはっきり見える。
「だからさァ。文句なら、連れに云ってくれる? 俺はね、加勢してやってくれッて頼まれただけなんだからさァ」
連れ? と呟いて、橋の上を見た少女の顔が驚きの表情に変わる。
「……兄様」
その一言に、今度は雷封が目を丸くする番だった。
「……兄様、だァ? 先生さっき、そンな事ァ一言も」
そこまでぼやき、先程の草雲の様子を思い出して思わず苦笑いを浮かべる。
あんな状態じゃ、周りなんか見えてなかったンだろうな。
「で。俺の依頼主が偶然にもあんたの兄さんである事も分かったンだし。俺が、
「な……っ。どうして、翡翠様のお顔を知っている?」
「あのな……」
「
雷封にみなまで云わせず、少女の後ろから掛けられた柔らかな声。その一言で、千花と呼ばれた少女は渋々ではあるがとりあえず刀を収めた。それを見て、草雲も急いでこちらへやって来る。
「ほ。一応、助かったと礼を云っておくべきなのかな、この場合」
「いいえ。それはわたくしの台詞です」
聞く者すべてを安心させるかのような穏やかな声で真光寺翡翠は云い、無駄の無い優雅な動きで一礼した。雷封は面倒臭そうに冷めた顔をしてそれを眺め、いらいらした様子でがしがしと頭を掻く。
「悪ィンだけど。俺、堅っ苦しいの嫌いだから」
「雷封さん! 何て事を云うんですかッ! この方に失礼じゃないですかッ!」
鼓膜がびりびりと震えそうな程の大声で草雲が抗議した。堪らず耳を押さえ、このセンセ、こんなに大きな声が出せたのねと中々に失礼な事を考えながら斜め後ろの方でじとーっと冷ややかにやり取りを眺めている妹も目に入っていない様子の草雲に話を振った。
「だってよ。俺は先生に頼まれて手を貸してやッただけじゃねェか。だからよ、俺が礼を云われンのは筋違いだろ?」
「あ、いえ、そんな」
照れンなよ。
うっかり突っ込みそうになったところをぐっと堪える。ここで先生を凹ませてしまったら、この堅苦しい女にもっと付き合う事になってしまう。
……ッたく。
先生の様子が面白ェからって一寸付き合ってやったら。
よりにもよって、真光寺翡翠かよ。
こんな事になるんだったら、もう一寸身を入れて状況を確認しておくべきだったと悔やんだところでもう後の祭りである。てっきり、斬った張ったしている妹の方(その時は妹だと知らなかったのだし)に見惚れているものだとばかり思っていたのだ。
時間を戻せないのなら、いかにしてこの状況から脱するか。それを考えるのが得策というものだろう。
「そんなわけでさァ。礼を云うンなら先生に云ってくれ。俺は、この先生に頼まれて渋々手を貸してやっただけなンでね」
そう思い、手っ取り早く草雲に押し付ける事にした。真光寺翡翠とは関わりたくない。それが、雷封の本音だった。
「でも、お二方が助けてくださった事に変わりはありません。助かりましたわ」
「いやぁ……。私は、何もしていませんが」
「……ほんっとにその通りよね、兄様?」
「……へ?」
目の前の翡翠でもなく。傍らで、呆れたように(実際呆れているのであろうが)自分を見つめている雷封でもない。斜め後ろから掛かったまったく予期していなかった声に、草雲は一瞬で現実に引き戻された。
……な、何で。
「何で、千花がここにいるんですッ!?」
「それはこっちの台詞よっ。だらしなく鼻の下伸ばしちゃってほんとみっともないったら」
「み、みっともないは、余計です!」
恥ずかしいやら居心地が悪いやらで顔が赤くなったり青くなったり忙しい。多少むくれているような、およそ草雲らしくない表情を浮かべ、しらーっと自分を見上げている妹を見やる。
「それで。どうして貴女がここにいるんです」
「仕事よ、仕事。あた……私は、翡翠様がお出かけになる時の用心棒ってわけ」
「……翡翠、様? もしかして……し、しんこうじ、ひすい……ッ?」
「……気付いて無かったのかよ」
心底呆れた口調で雷封がぼやく。まったく、おめでたいねェと口に出さずに続け、大袈裟に肩を竦めた。
「え、いや、だって、ほら。……ねぇ?」
真光寺翡翠と云ったら、ここ
代々、季球を導く神託を授かるという真光寺の娘にして歴代の巫女の中でも特出した能力を持つと云われる、美しい盲目の巫女。
そんな、国の最重要人物とこんな街中であっさりばったり出会っちゃうなんて誰も夢にも思わないじゃないですか……ッ。
……ももももしやこれは、運命……?
いやいやいや、そんなそんな、真逆。
頭の中でごちゃごちゃと色々考えたり程よく脱線したりよく分からない事を口走ってみたりしながら、結局は気になって遠慮がちにちらちらと翡翠の顔を見てしまう。それを感じたのだろう。翡翠は、自身の髪の色と同じ、淡い桜のような笑顔を草雲に向けた。
「千花さんの、お兄様?」
「え、あ、はい。種田草雲と申します。一応、そういう事になるかと……」
「一応って何なのよ」
ぼそりと突っ込んだ千花の言葉に翡翠はくすりと笑い。
「初めまして。真光寺翡翠と申します。千花さんには、よくお世話になっておりますわ」
「いや、えと、何だか、こちらこそお世話になっているようで」
「そんな事はありません。千花さんにはお話相手になって頂いたりと、本当に色々とお世話になっているのですから。……そうだわ。千花さん、今日はこの辺りで構いませんから、お兄様と少しお話でもしていらっしゃったらどうかしら」
「……え、でも」
「ここから真光寺までは然程遠くありませんし。積もるお話もあるのでしょう?」
積もるお話なんて、あるの? という言葉が顔に表れたのだろう。千花はばつが悪そうにぷいっと草雲から目を逸らした。お陰で、行き場を失った視線を何となく雷封に合わせてみたりする。が、彼の弟ならともかく、この赤毛の青年が上手い助け舟を出してくれるはずもない。むしろ、「勝手にしろ」と全身全霊で訴えかけられているような気にすら、なる。
案の定。
「まァ、先生の好きにしてもらって構わねェけどさ。ただ、何時になッても構わねェから、先生一人でも今日の用事さえ果たしてもらえりゃアよ」
「確か、私に会いたいという方がいらっしゃるのでしたねぇ」
「ああ。別に、迷うような場所でもねェし。先生の名前を云えば、分かるからよ」
「じゃあ……」
お言葉に甘えましょうかねぇ、と草雲は呟き。どうやら積もるお話があるらしい妹へと視線を移す。彼女は心配そうな表情を浮かべ、翡翠と倒れている刺客とを交互に見比べていた。
「……やっぱり、心配です、よね」
こんな昼日中、街中で堂々と襲って来るような連中がいるというのに、一人で真光寺まで帰すなんて。
じぃっと、自然に視線が一ヶ所に集まる。
視線の先にいるのは、何とも面倒臭そうな顔をした、黒衣の青年。
「……おい」
「あんた、さ。手を出したからには最後まで責任持ちなさいよね」
「あのなァ。そりゃむしろ、先生に云ってほしい台詞だぜ?」
「雷封さん、お願いしますよ。別に良いじゃあないですか、減るもんじゃなし。用事があるという方には、私が一人で会いに行きますから」
「頼んでもいないのに人の喧嘩に手を出せる程、強いんでしょ? だったら、翡翠様を真光寺まで送って行くなんて簡単じゃない」
「……千花。もしかして、根に持ってます?」
「ううん、全ッ然」
「目が、笑ってませんよ……」
畳み掛けるように云う兄妹から目を逸らし。儚げに佇む季球の巫女を見やる。
よりにもよって。
真光寺翡翠を、送る?
しかも、二人っきりで?
「何で」
そーなンのよ。
その台詞は、雷封の心の中でのみ続けられる事となる。
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