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 だが、点数を奪取してすぐだった。

 

 佐々木は急遽型を変えた。

 右足が前、竹刀を腹の前に持つ正眼とは違う――左足を前にしてその両の手上に上げる。――それは『上段』と言われる剣道の構えだ。


「アイツ、小学生のクセにどんな冗談(上段)だよ」

 菊池が真剣な顔でそんなギャグを呟く。


「上段ね――大人の部では見たことあったけどな」

 ワタルもその構えを忘れるはずもない。


 大人の部で、偉く目立つ構えをしたこの剣技をワタルは忘れることがない――竹刀を既に頭上へと被り、相手が間合いに入った途端にスポンッと振り落とす構えの一つ。


 だが、この歳で使う人間など真名館では前代未聞。

 もちろん、相川はその構えに戸惑う。上段が相手の対処法など知る由もなく、――佐々木の長身からスポンッと振り落とされ市内の先がクリティカルにヒットした。


「あちゃ――」

 嫌なほど顔を歪ませてワタルはその瞬間を注視してしまう。


 卑劣であっても、勝負の世界ではそれが戦法の一つだと言わざる負えない。

 だが、それは知識がない者に対してとてもながら悲惨な敗北だ。

 

 当然、赤い旗が三本挙がる。

「――面アリ!」


 剣を収めて帰る途中、待機していた真名館次鋒の岡田が小手先で軽く相川を叩く。

 それでも、これが彼なりのフォローの仕方だ。


 当然ながら相川はショックを受けていたが、ワタルと違ってそれを表に出すことはない。

 

「あの……ドンマイ、相川くん」

 

 そう、中堅を任せれていた真名館唯一の少女である新妻が声を掛ける。

 それには、諦めたような少し哀愁を帯びた笑顔で相川は綻んだ。


「ありがとう、新妻さん」


 そんあ言葉だった――その言葉を聞いた瞬間、新妻の母性が新妻から出されたフェロモンと化学反応が起きる。


 急遽として防ぎようのない性的欲求が新妻を虜にする。

 その顔が、面白いほどに下から上へと赤く染まる。


「ああ、も、そんなことない。もう、え、え? あれ?」


 なにを隠そう、新妻は自分より新書が一冊分縦背の低い相川のことが好きで好きで堪らない。


 それを横目に菊池は岡田の試合を見届けていた。

 前へと言われ、右足から三歩前に進みそこで剣を抜き先を相手と合わせる。


 そして、始め――の合図の瞬間に岡田の気迫が体育館の端から端まで破壊するか如くの咆哮が響き渡る。

「―――キイヤァァァァア!」


 その嘶きで一歩下がった瞬間に、ここぞとばかしに岡田は竹刀を被った。

 この真名館の名物である気魄はココからできている。


 この幻想に掛かった者は彼の幻影に大きなツキノワグマを見違えるほどにだが――しかし……遅すぎる!


 いつのまにかその遅すぎる面に小学生レベルの返し技が的中すると、何もするスベなく後ろへと帰っていった。


 それを見届けた新妻はとうとう自身の出番が訪れてしまった。

 前へと出る間際、相川がもう一度小さな声で、

「がんばれ!」

 と、エールを送るのだ。


 だからというか、新妻からしたらそれは試合どころじゃなかった。


 好きな人とのコミュニケーションは 任妻の思考を沸騰させ、その股の間が理解不能なほどの違和感に襲われる。

 傍から見れば、それが欲求刺激の誤魔化しではなく、あまりに緊張してしまっているせいだと感じても仕方ない。


「彼女、試合になるといつも緊張してるね……」

 その事情を知らない相川にとって、それは彼女の緊張とは裏腹にとても滑稽に見えてしまっていた。


「……おまえ、なにか彼女が嫌がることを言ったんじゃないだろうな?」

 そう、怪訝な目をワタルは相川へと向けた。


「とんでもない! ただ、一言頑張れって応援したつもりだったんだけど……ね」


 そして、菊池は口を塞ぐ。


 この本当の理由を、彼女の悩みのはけ口である一応は頼れる真名館のリーダーの菊池は知っていた。

 とにかく、そのことは彼女の沽券に関わるためバラすワケにはいかない。


 早めに終わりそうな試合を前に速球に菊池は面を取り付ける必要があった。


「――勝負あり!」


 と、言われるまで今までで一番早かったかもしれない。


 これで、記念すべき一周年の敗北記録が生まれたが、それを悩む暇など無い。

 勝負がついても、副将と大将戦を行うのは公式でも一緒だ。

 野球の試合で九回の裏みたいな無意味だからやらないっていうことはない。



 菊池の試合が始まる。

 彼の剣道は、この真名館の中では二番目に強いのも確かだ。

 それもそのはず、菊池とワタルは彼らとの鍛錬の日数が違う。


 そのキレのある動きで、相手の面が貫かれる。


 ワタルが大将戦に備えて、面を結びなおしている頃には、前回同様に白い旗が三本挙げられていた。


 その引き際、ワタルと菊池が拳を合わせる。


「やるじゃん!」

「そんなことより、オマエも負けんなよ」


 入れ替わりワタルが試合場の前へ経つ。

 そこには、名の知らぬ小剣士、面を付けていた。

 おもわずタレに記載されている彼の名前を確認する。


 タレとは、胴下腰に巻く太ももを守るための防具だ。

 その中心には一目で誰が誰かわかるように『垂名札』という名前が書かれた布を当てることになっている。


 そこには『虎谷』と彼の華奢な図体と比べて如何にも威厳がありそうな名前が書かれている。

 その上、チーム名に『北辰堂』とワタルが知らない文字。


 とにかく三歩前へ開始線を示す白線へ向かい竹刀を抜いた。

 鏡で映すかのように、虎谷も前へと歩き、竹刀を抜いてお互いに剣先を合わせる。


「始め」と言われた瞬間――ワタルは竹刀を巻く。

 巻き込みと言われる小手先を捻る遠心力で相手竹刀を弾く初歩的な剣技。

 上級者が使うと、巻き込まれた竹刀があまりの力で宙に舞うこともある。

 

 虎谷の竹刀がその力に足元近くまで竹刀剣先が落ちるときには、ワタルは右足が宙に一歩踏み出す。

 ワタルは脳裏に打ち込むプランを組み立てる。――巻き込みからの小手、面、


 巻き込みで落ち正中線から竹刀がズレた虎谷の小手先へと竹刀が伸びるが――なんて奴だ。

 竹刀から手をあえて外すことで回避する。だが、次に面をすれば、このがら空きな面なら容易く入る。

 と、考えた矢先、虎谷も一歩前へ出る――間合いを詰められたら気剣体一致がしない。


 スポーツ剣道のルール上では竹刀の剣先から中結といって結ばれた紐の間で相手を貫かなければならない。

 それは、実際に刀を使用した果し合いで、最もキレやすく急所を打つ動作と繋がる。


 その行動に驚くワタル。

 普通なら下がってしまう状況で虎谷は攻めの姿勢を貫いたことが、この貧弱そうなガタイの彼の行動とは思えない。


 組み直しお互いの鍔と鍔がキリキリと一致する。


 そこから一歩下がって返し技を打たれる想定をする。

 面を打たれると思えば、自然と竹刀が浮かび胴ががら空きになる。


 ここは一旦引こうと、ワタルは竹刀を押さえつけたままジリジリと後ろに下がったのだが――急に押さえつけていた竹刀の重みが消え、虎谷の竹刀が宙をキる。

 その遠心力を利用した面が横面となり

 

 だが、逆にどちらも打たれないように竹刀を斜めに受け流すそうとしたが――そのことを理解していたかのような、身体軸全てをズラした小手が炸裂した。

 そのあまりの威力でワタルがガシャンと落下音を立てて竹刀を落とす。


 まるで計算されたような無駄のない動き、コイツは今までに見たことのない力量を持っているのは明らかだ。


 それでも、なにか秘策がないかと取り直しの為開始線へと戻らされた。


 だから、次は一番ワタルが得意としている戦法を試すことにした。


 ワタル虎谷の動く小手先と剣先を注視する。

 その動きだけを見ていれば、相手が飛び出す瞬間を捉えることができる。


 そして、相手が動くのを待つ。

 相手が面を振り込むの同時に刺せば、小手が入るはずだった。


 そのときになって、ワタルは気づく――彼の剣先は元から正中線から自身の喉へと当てられていない。

 本来、剣道の中段構えは、相手の喉仏に向けて構えることで、なにか崩れない限りは相手の間合いに入りこむことはおろか面も小手も狙えない。


 だが、あえて剣先がワタルの変わあたりにズラしているのだ。――まるで、面でも打ってみろと言わんばかりに。


 しかし、それには裏がある気がした。


 とにかく、コチラも狙うは出鼻を狙う。


 しかし、そう狙っていたのにだ――相手の姿がいつの間にか、音もなにも立てずに気づかないときにはワタルの後ろへ。

 あとから、虎谷の甲高く真っすぐな「メ―――ン!!」という音が残像のように残された。


「――アレ?」

 ってワタルが考えた時には、虎谷側『越谷茜小学校剣道クラブ』を示す赤い旗が二本、三本と掲げられた。



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