第6話 神に愛されし猫
闇っていうのは、誰でも怖いって感じるもんだ。もし違うっていうなら、日没後の海上360メートルを飛んでみるといい。闇の中にぽつりと取り残された感覚。これはなかなか慣れるものじゃない。
「リズ、方位を失うなよ。今日は新月だ。迷ったらどこまでも洋上を飛ぶことになる」
「はい!!」
まあ、自動操舵装置はあるが、これはリズの習熟訓練でもある。だから、今回はあえての手動である。
ポートデカルタ周辺は平坦な地形だ。普通に飛んでいれば着く。
「トラさん。現在の飛行時間は?」
またか……。
「1時間40分だ。さっきから10分しか経っていない。落ち着け」
まあ、気持ちは分かるがな。俺も最初に夜間飛行した時はこんなだった。
「前方にデカルタ島視認。リズ、見えてるか?」
水平線すれすれに明かりの群れが見える。デカルタ島だ。
「はい、見えています。ホッとしますね」
リズは額の汗を拭った。
「安心するのはまだはぇえぞ。ホッとするのは着陸してからだ」
魔の11分のうち8分、これからがその時間だ。
「はい。こちらトラ……」
リズが空港と交信を始めた。
「着陸許可出ました。3番です!!」
リズがこちらを向いて言った。まあ、聞いてはいたが……。
「了解。間違えるなよ」
変な所に下りると罰金だからな。
20分後、俺たちが操る飛行艇はデカルタ島上空に進入し、空港を目指して降下していく。操縦士が1番ピリピリする時だ。
「3番見えません!!」
リズが叫ぶ。確かに見づらいが……。
「落ち着け。少しだけ高度を上げれば見えるはずだ」
そう、高度を下げすぎなのだ。墜落するほどではなかったので、気づかせるためにあえて言わなかったがな。
「えっ、高度を上げるんですか。すぐそこなのに!?」
リズがプチパニックに陥った。ダメだな。
「デカルタ管制塔、こちらトラ。着陸復行」
それだけ無線に叩き付けると、俺は一気に高度を上げた。あまり時間は掛けられねぇ。数は少ないが、夜行貨物便ラッシュが近い。
「適正な高度はこのくらいだ」
ちらっと計器を確認し、俺は空港の3番パッドに機体を下ろした。
「まっ、こんな感じだ」
見ると、リズがグッタリしていた。まあ、夜間飛行は昼間より何倍も神経を使う。疲れるのが普通だ。
「ううう、トラさんに負けた……」
なんだ、そっちか。
「当たり前だろ。飛行時間が違う」
操縦士の腕は、何時間空にいるかによって如実に表れる。いくらリズが神でも、これは変わらない。
「まっ、精進するこったな。それより、客の案内」
着陸してからもやる事はある。リズが入ってから、俺はその辺りを全てリズに押しつけていた。猫の男より(見た目は)若い女の方がいいだろ?
「はい……」
ヨロヨロと操舵室からリズが出ていき、俺は1人になった。何度も思うが、神を顎でこき使うってのは、なかなか爽快だが怖い。飛行艇乗りってのは、意外と信心深いし験担ぎするもんだ。バチ当たったらどうしようか。
カメラで見ていると、リズは客を降ろし客室の清掃作業を始めた。よく働くが、まだ操縦士を任せるのは早いな。俺は船内放送の受話器を取った。
「リズ。それが終わったら仮眠室で休め。俺は操舵室で寝る」
すると、リズが客室の受話器を取った。
『なんでですか。一緒に寝ましょうよ!!』
こら、誤解を招く言い方はよせ。
「お前なぁ、見た目年齢20才くらいの娘と同室なんてできるか!! 怖いから神年齢は聞かないぞ!!」
全く、俺の神経がイカレちまう。
『じゃあ……45才くらいにします?』
「そういう問題じゃねぇ!!」
例え見た目年齢をクリアしても、今度は性別問題がある。人でも神でも相手は女だ。同室で寝るわけにはいかねぇ。
結局、不毛なやり取りの後、俺が折れる羽目になった。寝るの寝ないの言い合っていたら、急にバカバカしくなったのだ。ったく、リズのやつ無駄に粘りやがって。
「さてと……」
最低限のシステムを残して船を眠かしつけ、俺は仮眠室に入った。狭い部屋に無理矢理押し込んだシングルベッドが2つ。元は素っ気ない部屋だったのだが、リズが勝手にやった大改装により、ピンクを主体とした壁紙が貼られ、妙にファンシーな部屋になってしまった。ただ寝るだけの部屋に、手間と金をかけてどうするんだか……。
「あっ、お疲れさまです!!」
狭い室内には、すでにリズが来ていた。
「ったく、お前との言い合いが1番疲れたぜ。お疲れさん」
俺はリズと対面する形でベッドに座った。さすがに隣は嫌だ。
「あれ、私の隣は嫌ですか。ショックですね」
リズは燐光と共に神の姿になった。いや「戻った」というべきか。やはり、こちらの方が楽なのだろう。
「神さんの隣に座るわけにはいかねぇだろ」
俺は鼻を鳴らした。
「フフフ、私に隠し事は通用しません。意外とシャイなんですね」
……
「まあ、いい。なんとでも言え。とっとと寝るぞ」
俺は寝付くために、枕元にある酒のボトルを取った。酒を飲んだ猫はおぼれ死ぬ。古くからある都市伝説だが、生憎俺は死んだことはない。
「あら、男女の営みは?」
「ブーッ!!」
俺は口に含んだばかりの酒を、思い切り噴射してしまった。
「ば、馬鹿野郎。そういうのはよそでやれ!!」
冗談じゃねぇ。馬鹿野郎!! 大事な事だからもう一回言うぞ。馬鹿野郎!!
「フフフ、冗談ですよ。でも、空では頼りになるトラさんが、地上に下りるとまるきりダメ。面白いですね」
……ああもう、好きに言ってろ!!
「寝るぞ!!」
俺はベッドに横になった。だが、眠気は来ない。くそ!!
「まだ寝るには早いですよ。なにか、武勇伝的なものはありますか。ぜひ聞きたいです」
……武勇伝か。
俺は身を起こし、ベッドに座った。
「そうだな……1番の失態は、まだ飛行艇屋を始めて間もなくだった……」
『ポートブリッジよりトラ。こちら濃霧で視界ゼロだ。他の空港に誘導する』
ポートブリッジは霧が出やすい。全くついてねぇ。
「トラよりポートブリッジ。空賊に4、5発食らってエンジン不調。他の空港までもたない。無理にでも行くぞ!!」
言ったそばから派手な爆音と共に、第2エンジンが死んだ。残った第1エンジンも怪しい動きをしている。濃霧だろうがなんだろうが、1番近くにあるポートブリッジに下りるしかない。
『ポートブリッジ。トラ、エマージェンシーを宣言するか?』
エマージェンシー。緊急事態だ。これを宣言すると、最優先の飛行が許されると同時に、地上の緊急車両が一気に「戦闘状態」になる。
もちろん、滅多に使っていいもんじゃねぇが、この状況が緊急事態じゃなきゃなんだ?
「トラよりポートブリッジ。エマージェンシーを宣言する。もう、もたないぞ」
濃霧に動作不良のエンジン1発。客がいないだけマシだな。
『ポートブリッジ。ありったけの灯火を付けた。こちらのレーダーでは、空港から南西20キロだ。真っ直ぐ突っこんでこい。高度20で灯火が見えなければ、着陸は諦めてどこか安全な場所に下りろ』
安全な場所ってどこだよ?
まあ、とにかく下りるのみ。俺は計算機で適正な降下率を割り出し、手動操縦でジワジワ高度を下げていく。辺り一面真っ白でなにも見えない。
『ポートブリッジ。降下率が早すぎる。1キロ手前の芋畑に突っこむぞ!!』
「なんだって!?」
言うのが遅いんだ。馬鹿野郎!!
それ以前に、俺の計算が間違えていた。それが事実だ。それを飲み込む前に、第1エンジンも吹き飛んだ。
「全エンジンが停止。もう立て直しは出来ない。このまま突っこむ!!」
せっかく買った飛行艇なのに、ローンだけ残してお釈迦かよ。ますますもってついてねぇ!!。
そして、飛行艇は広大な芋畑に突っこんだ。頭から突っこんで半回転してひっくり返った状態で停止。自動消火装置で火が消えていたはずのエンジンが十分消火されておらず、機体は一気に燃え上がった……。
「ってまあ、俺にも若い頃があったのさ。生きていたのは奇跡だってな。で、このボロ船を買ったわけよ。免停空けにな」
俺は猫用タバコに火を付けた。あれは最大の汚点だな。
「ああ、あれですね。その奇跡を起こしたのは私なので、よく覚えていますよ」
神姿のリズがニコニコ笑顔でそう言う。……ちっ、お前かよ。
「じゃあ聞くなよ。お前が喜びそうな話しなんて、他に持ってねぇぞ」
神相手になに話せばいいんだ。ったく。
「では、私から。なんで空を飛ぶんですか? あんな事故に遭ったのに……」
そうきたか……。
「格好いいことは言わねぇ。他に世界を知らねぇんだ。空以外のな」
食い扶持を稼ぐために飛ぶ。ただそれだけだ。
「うーん、分からないです」
まっ、簡単に分かられちゃ困るがな。
「今度は俺の番だな。お前、最高神とゴタゴタがあって地上に下りてきたって言ったが、アレは嘘だろ? 本当の事をいいな」
俺の言葉にリズがぴくっと肩を振るわせた。
「アハハ、まさかそんなわけが……」
分かりやすい奴だな。
「言いたくねぇなら構わねぇが、ちょいと気になってな」
俺は2本目の猫用タバコに火を付けた。まっ、神のみぞ知るってな。
「あ、あの……。ここは私の体で……」
「要らん」
リズはそのままベッドからずり落ちた。ったく。
「女神的にショックです。それ」
ヨロヨロとベッドに座り直し、ガックリと肩を落とすリズ。
「むしろ、俺の方がショックだぜ。まさか、神がこんなのだとは……」
やれやれ……。
「それも酷いですよぉ。えっと、話しを戻して、私がここにいる理由ですが、最高神の指示なんです。今度、地上に視察団が送られる事になりまして、その輸送をトラさんにお願いしようかと……それで、言い方は悪いですが下見に」
ほう、それは豪儀だな。
「で、俺の評価は? まあ、神さん乗っけて飛ぶなんて怖いがな」
ふん、俺だってこういうことは多少は気になるさ。
「もちろん、最高神に強くプッシュしておきました。人間時で3ヶ月後くらいにやってきます。報酬は金貨1000万枚でいいですか?」
平然と語るリズの言葉に、今度は俺がベッドからずり落ちた。
「ば、馬鹿か!! そんな大金受け取られるか!!」
まれに金貨輸送の仕事もあるが、見たことねぇぞ。そんな大金!!
「妥当だと思いますよ。すでに、トラさんの家に届いているはずです。返金は出来ません。最高神に喧嘩売るなら別ですが……」
……これだから神は!!
「ま、まあいい。俺だって神に喧嘩売るつもりはねぇよ。で、リズの任務は終わりか?」
俺はリズに聞いた。
「はい、任務は終わりました。ですが、トラさんの前からは消えませんよ」
……ん?
「なんだ、帰るかと思ったんだが、まだ何か用事か?」
なぜか分からないが、リズの顔が真っ赤である。
「お前、酒飲んだだろ? 違うか?」
「朴念仁!!」
いきなりぶん殴られた。神パワーで。
思い切り壁に叩き付けられた俺は、そのまま気絶したのだった。猫じゃなかったら死んでるぜ……。
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