第二話

 女は近衛を見つけて緊張を解いた。よほどに安堵したらしく、表情が一度に柔らかくなった。優しげな、母のような懐かしい雰囲気を纏った女だ。ストレートの長い髪は豊かで艶やかなのに、どこか所帯じみた苦労を感じさせる。薄幸な生い立ちが滲んで見える、そんな風情のある女だった。

 あの変人とどんな関係性で繋がっているのかは知らないが、勝手に同情の念が湧き上がってしまうくらいに、女は薄幸そうに見えた。

「良かった、待っていてくれたのね。もう帰ったかも知れないと思って、ひやひやしたわ。」

 急ぎ駆け戻ってきたらしい、息も荒いままでそう告げた。儚げに見えたのはその一時までで、女はすぐに豹変した。


 椅子を引く挙動はたおやかだったが、どこか放埓な、挑発する気配がある。席に腰を落とす際にはなお一層と、彼女の魂胆は明らかになった。

 ほんのりと上気した頬には匂い立つような色香が醸し出されている。後れ毛が頬に張り付いて、そのひと房を小指でぬうように耳へ掛ける仕草でさえが妖艶に映った。彼女は微笑んだ。蠱惑的な紅い口元に引き込まれた。

「暑いわ、……ちょっとご免なさい、」

 きっとわざとに違いない、女は薄く目を細めるとやにわに胸元をせり出して、近衛の前に突きつけた。薄手白のブラウスが、合わせの部分で左右に微妙な隙間を作った。ベージュの花柄、刺繍の入った布地に包まれた、汗ばんだ膨らみが覗く。豊満な胸に散る水滴を彼女は水色のハンカチでしっとりと拭った。


 見せ付けるような仕草の後に、彼女は身をよじり、横へ置いたハンドバックの口を開いてそこへハンカチを仕舞いこむ。横向きの姿勢からも、たわわな彼女の胸元が近衛へと向けられ、深い谷間を覗き込んでと誘っている。

 女の態度の端々には、何かの企みが感じ取れた。

「驚いたでしょう? 頭のおかしなジジイだとでも思ったんじゃない?」

 彼女は横向きの顔で視線だけを彼へと向けた。上目遣いに流し見て、長い睫毛の影で言葉の真意を隠していた。

「自己紹介がまだだったわね、わたしは絢。詳しい話をする事は出来ないわ。御主人様の仰っていた通りよ。わたしたちもあなたと同じで、お金で雇われただけなの。あなたと違って期間限定の雇用ではないけど。これでヒントになるかしら?」

 近衛は曖昧に頷いた。頭には、愛人契約の四文字が浮かんでいた。


 絢と名乗った女はふいと席を立ち、近衛の隣へ移動した。身を乗り出して、耳元へ囁きかけた。

「これからお屋敷へ案内するわ。わたしの他に、あと二人、旦那様に仕えている女が居るから向こうで紹介するわね。何の危険もない仕事よ、安心してちょうだい。わたしたちがやる破廉恥な儀式を黙って見守っているだけでいいの。」

 女の手は彼の腕を捉えて自身の内腿へと誘っていた。むっちりとした肉感が手の平に触れる。女の肌は、わずかばかり汗ばんでいた。


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