第6話 鼓動の共有

「わたしあなたに会えてよかったです」

軽トラの荷台に座った彼女が、海を見つめながらつぶやいた。

「どうしたんだよ? 突然」

「あなたのおかげで、おぼあちゃんにまた会えて、やりたいこともたくさんやれて、最高の一日でした」


「だから、どう——」

心臓が止まるかと思った。

きゅっと握られたように。

あの時、彼女が持ち歩いてる薬を見てしまった時のように。


不安が心をめぐって、恐怖に押しつぶされそうで……声が上擦る。


「お、おい、どうしたんだよ……なんだよ、それ」


彼女の体が透けていた。

比喩でもなんでもない、文字どおり、消えて無くなってしまうかのように、半透明に。


「ああ、そろそろみたいですね」

自分の手を見つめて、彼女が落ち着いた声を出す。

「そろそろって、なにがだよ。どういうこだよ、説明してくれよ」


「臓器移植すると、ドナーの記憶がレシピエントに移るって話知ってますか?」


「は?」と口から声が漏れたのが自分でもわかった。

なんの話をしているんだ?

移植? 記憶? ドナー? レシピエント?

どういうことだよ?

頭が追いつかなかった。


「これ」と彼女が自分の胸に手を当てた。

「これ、私の心臓じゃないんです。移植された他の誰かの心臓なんです」


言葉が出ない。出せない。

なにを言ったらいいかわからなかった。


「私、この時期危ない状況だったって言ったじゃないですか? あれ、結構深刻な状態だったんです。だけど、突然臓器移植の話が来たんです。いままで、いくら待っても来なかったのに、急に。ホント不思議ですよね」


そこでふと彼女が目を伏せる。


「喜んでいいことじゃないってわかってるんですよ。心臓を移植できるドナーが見つかったってことは、誰かが亡くなるってことですから。だけど、駄目ってわかってても、それでも私は嬉しかったんです。まだ、生きれるって、すごい……嬉しかった…… そうして私は生き延びました」


ピースがはまってしまった感覚があった。

わかりたくないのに、なぜだかわかってしまった。彼女がこれからなにを言うのか。


「もちろん、ドナーの情報は私にはわからなかったんですけど、さっき思い出したんです。臓器に記憶が宿るって本当にあるんですね。びっくりです。その人はさっきあそこの遊園地で、人質になって亡くなるはずだったんです」


繋がってしまった。

全てが……

きっとその人は助かったんだろう。

さっきの俺たちの行動で。

でも、だとしたら彼女は……


「どうして!」と自然と声をあげていた。

「どうして…… ほっとけばよかったじゃないか? そうしたら君は、……生きられた」

最低なことを言っているのはわかってる。

それでも、俺は彼女に生きてて欲しかった。


「無理ですよ」

他人のことなんか気にしないで、自分のことだけ考えてればいいじゃないか。

どうして……そんな、他人のことを……


「だって、私その人のこと大好きになっちゃってましたから」

彼女はそう微笑むと、俺の方に一歩近づいた。


「この心臓に宿ったのは記憶だけじゃありませんでした。この心臓には……時間を戻る力も一緒に宿ってたんです」


こんどこそ思考が止まった。

目の前が真っ白になった。

彼女はなにを言っているんだ?


「この心臓、あなたのなんですよ。私、ずっと前からあなたに助けてもらってたみたいです」


「なん……で」

そのかすれた声は自分の口から出たのに、自分の耳に馴染まなかった。

なんだよ、それ。

なんで、そんな……

彼女が死ななかったら、俺が死んでた?

誰だよ、こんな筋書きを考えた奴は。

どうして、そんなひどいことができるんだよ。


「不思議ですよね。私と出会わなくても、あなたは北海道に来て、遊園地に行ってたんですよ。しかもあなた人質ですからね。笑っちゃいますね」


「笑えるわけないだろ! どうして……俺なんかを助けたんだ」


俺なんかを助けなければ彼女は……


「さっきも言ったじゃないですか。私、あなたのこと大好きになっちゃいました。見捨てるなんて、無理です」


「でも……」


「いいんですよ。どうせもともと助からない命だったんです。少しだけど、いい夢が見れました」


「だったら、俺が死ねばいい。俺が死ねば、君は——」


彼女が手を振り上げるのが見えた、次の瞬間、鈍い音が響いて、頬に痛みが走った。


「許さないよ! 次そんなこと言ったら……私、許さないから」

彼女の頬には涙が伝っていた。


どうして俺は彼女をこんな顔にさせてしまうんだろう。

どうして俺は彼女に何も言ってあげられないんだろう。


どれだけ考えても、適切な言葉は思い浮かばなかった。


「駄目ですよ、そんなこと言ったら、生きてください。しっかりと、私の分まで」


「でも……俺は、君がいないと……」


「大丈夫です。あなたなら、大丈夫」

彼女の体は、もうほとんど見えないくらい薄くなっていた。


「そろそろ、お別れみたいです。あ、これどうぞ。遊園地ミッションクリア報酬です」

そう言って彼女はカバンから干しみかんを取り出した。


「待って」と口にしたいのに、言葉が出ない。


「好きでしょ? みかん」

「俺が好きなのは、普通のみかん……」

なんでくだらないことだけが、口から出る。

俺が言いたいのはそんなことじゃなくて……


「そうだ! 最後に一つ苦情があるんですけど」

涙と笑みが混ざった顔で、彼女はこっちを見つめる。


「この心臓おかしいんですよ。あなたを見てるとドキドキするんです。もう、どうしょうもないくらいドキドキ。おかしいですよね、あなたの心臓なのに。……実は相当ナルシストなんじゃないですか?」


「そんな……わけ……ないだろ」

もう自分でも出ているのかわからないくらい、かすれた声。

それでも彼女はしっかりと聞いてくれた。

涙と一緒に笑みがこぼれて、こんな時間がもっと続けばいいのにと思う。

どうか、終わらないで、いつまでも。


でも、その願いが叶うことはなかった。


「冗談です。じゃあ本当にありがとうございした」


「待っ——」


「大好き」


そう残して、彼女は消えてしまった。

本当にあっけなく消えてしまった。

もうどこにも彼女はいない。

二度と会えない。


車の中には、CDと干しみかんだけが残されていた。

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