第5話 わたしを束ねないで
「ふぅぅぅぅー」と彼女が、到着してから三回目の深呼吸をした。
畑だらけの中でポツンと建てられた家に向かって、三歩、進んで、また三歩、戻る。
彼女はそんな作業を何回も繰り返している。
「大丈夫?」
「すみません。わかってるんです、行かなきゃって、それでも、ちょっと怖くて……」
ひどいことを言った人に謝りに行く。
その人が許してくれるとわかっていても、やっぱり怖いものは怖いんだろう。
そんなのあたりまえだ。
俺だって同じ状況なら、きっと怖い。
足も止まる。
だけどこれは、俺がどうにかできることじゃない。きっと彼女が自分で進まなきゃいけないんだ。なんとなくそう思う。
それに彼女の足は止まってない。
懸命に進もうとしている。
ここから先は彼女の時間だ。
だったら俺にできることは一つ。
「大丈夫。時間なら俺が何回だって戻せる。だからいくらでも悩めばいい」
「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて」
それから彼女はたくさん悩んで、考えて、そして一歩踏み出した。
一歩、また一歩と。
「行ってきます」
そう残して進む彼女を、俺はなんだか羨ましく思えた。
きっとあれは俺にはできないことだ。
そうして彼女は俺を置いて進んでいく。
俺はどうなんだろう?
そろそろ答えを出すべきだ。
それでも、やっぱり俺の進路調査書は真っ白で、未来は真っ暗だった。
*
全てを終えて戻ってきた彼女は、なんだか大きく見えた。
「もういいのか?」
「はい、いろいろありがとうございました」
その潤んだ目を目ていると、胸が苦しくなる。
彼女だってわかってるんだろう、ここで別れることがどういうことか。
もう二度と会えない。
それはどれだけ悲しいことなんだろう。
十七歳の少女にそれを選択させることは、どれだけ残酷なんだろう。
だけど、俺たちには何もできない。
時間を戻せても寿命は戻せない。
つくづく俺は無力だ。
俺は精一杯の、絞り出した力で、彼女を引き寄せた。
「すみません。ずるいなぁ、ホント」
そうして彼女は泣いた。
涙は人を強くするんだろうか?
俺にはわからない。
それでも、きっとこの涙に意味はある。
そう思う。そう……思いたい。
「本当に、ありがとうございました。思いっきり泣いたらすっきりしました」
その笑顔は虚勢なんだろうか?
でも、何よりも美しかった。
「ああ、行こっか」
そうして進み出そうとすると、
突然、彼女が視界から消えた。
慌てて辺りを見渡すと、頭を抱えてうずくまる彼女を見つけた。
「おい! どうした?」
思わず声を荒げる。
よくない想像が、頭を巡る。
「だ、大丈夫……です」
「大丈夫なわけないだろ!」
また大きな声を出してしまう。
何やってるんだ、俺は。
こんな時まで何もできないのか?
彼女が話せるようになるまでとにかく待つしかなかった。俺にはそれしかできなかった。
「す……みません。もう平気です」
「本当に? なんなら少し休んで……」
ようやく話せるくらいにはなったみたいだが、汗がしたたる顔は、どう見ても大丈夫には見えない。
「本当に平気です。それより急がないと」
「急ぐ?」
「はい、最後にもう一つ、わがまま言いたいんですけどいいですか?」
「いいよ。なんでも聞く。だから少し安静に——」
「よかった……じゃあ、お願いです。
私と一緒に、ヒーロになりましょう」
彼女の言葉に、俺はあることを思い出す。
そうだ、俺はすっかり忘れていた。
彼女のお願いには、警戒すべきだってことをさ。
*
「テロ?」
「はい」
「テロってあの。ドカーンってやつ?」
「ドカーンってやつです」
我ながら馬鹿な表現だ。
彼女の話を聞きながら、俺たちは北海道にある遊園地に向かっていた。
「さっき、思い出したんです。今日のお昼、あそこの遊園地でテロがおきます」
「本当に?」
日本でテロ。現実味がわかなかった。
「未来人の予言ですよ、リアルジョンタイターです。信じられませんか?」
まあ、彼女がそう言っている以上、信じるしかない。
「わかったよ。それにしても、二日連続で遊園地に行くことになるとは思わなかったな」
「いいじゃないですか、楽しくて」
「楽しみに行くんじゃないだろ?」
「そうですね。でも、私たちならできますよ。だって、時間を戻せるんですよ? 無敵です。見せてやりましょうよ、この力も役に立つって」
無敵。
心躍る響きだ。
彼女に注意しておきながら、俺もなんだか楽しくなってきていた。
そうか俺は無敵なんだ。
でも、それは時間を戻す力があるからじゃない。
俺が無敵なのは彼女と一緒だからだ。
だから俺はどんなことだってできる。
*
「近づくな! 近づいたら、こいつがどうなるかわかるな?」
遊園地に入ると、幸か不幸かすぐに目の前で事件はおきた。
なんとも展開の早いことだ。
それにしても、人質ってもう少し考えて選ぶものじゃないんだろうか?
胸の名札によると、絶賛人質中なのは磯崎さんというらしい。遊園地のスタッフだろう。
二十代後半くらいの男性で、それなりに背も高く、人質にするにはあまり適してない。
まあ、でも、そんなことどうでもいいんだけどさ。
少し手に力を込める。
もう何回もやってきたことだ。
すんなりと、彼が人質にとられる前に時間を戻す。
これで彼は人質から解放だ。
もう人質にされたことも覚えてないだろうな。
そうして彼女の方を向くと、無言で頷く。
そろそろヒーロになる時間だ。
犯人の方に向き直り、時間を戻しながら走る。
1秒ごとに時間を戻して、俺だけが進む。
時間を戻すために力を込めた右手を、握り拳へと昇華させる。
まただ。
生の実感。
いま、確実に生きてるだろうという、感覚。
彼女と一緒に行動して、何回も感じてきた。
いま、この刹那の中で、やっと気づいた。
生きるってことがどういうことか。
心臓が動いてるだけじゃない、
呼吸してるだけでもない、
脳が働いてるだけでもない、
それだけじゃないんだ。
自信を持って言える、彼女と一緒にいる今なら言える。
俺は生きていると。
頭に浮かんだのは、あの白紙の進路調査書。
俺はあの紙に書くのは、とても大切な自分の進路のことだって思ってた。
与えられた色を使って、自分なりの進路を描かなきゃいけないって、そう思ってた。
自分の将来をどうするか?
そう聞かれてると、ずっと思ってた。
でも、きっと違うんだ。
あの紙に書くのはそういうことじゃない。
あの紙で聞かれてるのは、たった一つだけ。
YesかNoで答えられる、簡単な質問。
「自分の将来に責任を持ってあげられますか?」
たったそれだけ。
自分の将来に責任を持つ覚悟はできたか、それを聞いてるだけ。
だからあんな紙に書くことはなんだってよくて、ミュージシャンでも会社員でも、スポーツ選手だって、本当になんでもいいんだ。
ただ覚悟を持ったか。
大事なのはそれだけ。
なんなら、希望を書く欄すらいらない。
枠をはみ出して、紙いっぱいに大きく書けばいい。
自分の色で。
自分の色がないなら、誰かに分けて貰えばいい。
それはいつかきっと自分の色になるから。
刹那の時も終わりが近づき、俺は拳を振るう。
それと同時に、目一杯息を吸って宣言しよう。やっと気づいた大事なことを。
先生、俺の進路は未定です。
*
「何考えてるんですか! あの人爆弾とか持ってたんですよ。それをあんな……危険すぎます」
犯人に一発お見舞いしてから、俺たちは能力を駆使して車へ走った。
そのまま現場に残ったら、面倒くさいことになりそうだったしな。
そうして車に乗り込むと同時に、彼女がすごい剣幕でそうまくし立てた。
「ごめん……」
「あんなことして、怪我でもしたらどうするんですか! 」
「でも、君だって、頷いたじゃん」
つい、反論してしまう。
「それは……あんなことすると思わなかったから…… もっと慎重にいくと思うじゃないですか。相手はテロリストですよ?」
「なんか、つい……いけるかなって」
いま思うと無鉄砲だったなと、思わず苦笑する。
でも、あの時は本当になんでも出来る気がしたんだ。
「それに実際、できた」
俺の言葉に呆れたのか、彼女が「ふぅ」と息を吐いた。
そうして目があう。
どっちが先だっただろう。
わからないけど、どちらかの口から小さな笑い声が漏れた。
そうしたらもう二人とも止まらなかった。
目を合わせて、車内に笑い声が響く。
「海行きたいです、海」
しばらくして、彼女がそう切り出した。
「わがまま、さっきので最後じゃなかったのかよ?」
「いいじゃないですか。ほら、早く行きましょう」
「まあ、いいけどさ」
もう彼女のわがままには慣れっこだ。
ここまできたらいくらでも付き合おう。
どこまでも、一緒に……
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