第5話 わたしを束ねないで

「ふぅぅぅぅー」と彼女が、到着してから三回目の深呼吸をした。

畑だらけの中でポツンと建てられた家に向かって、三歩、進んで、また三歩、戻る。

彼女はそんな作業を何回も繰り返している。


「大丈夫?」

「すみません。わかってるんです、行かなきゃって、それでも、ちょっと怖くて……」

ひどいことを言った人に謝りに行く。

その人が許してくれるとわかっていても、やっぱり怖いものは怖いんだろう。


そんなのあたりまえだ。

俺だって同じ状況なら、きっと怖い。

足も止まる。


だけどこれは、俺がどうにかできることじゃない。きっと彼女が自分で進まなきゃいけないんだ。なんとなくそう思う。


それに彼女の足は止まってない。

懸命に進もうとしている。

ここから先は彼女の時間だ。

だったら俺にできることは一つ。


「大丈夫。時間なら俺が何回だって戻せる。だからいくらでも悩めばいい」


「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて」


それから彼女はたくさん悩んで、考えて、そして一歩踏み出した。

一歩、また一歩と。


「行ってきます」


そう残して進む彼女を、俺はなんだか羨ましく思えた。

きっとあれは俺にはできないことだ。


そうして彼女は俺を置いて進んでいく。

俺はどうなんだろう?

そろそろ答えを出すべきだ。


それでも、やっぱり俺の進路調査書は真っ白で、未来は真っ暗だった。



全てを終えて戻ってきた彼女は、なんだか大きく見えた。


「もういいのか?」

「はい、いろいろありがとうございました」


その潤んだ目を目ていると、胸が苦しくなる。

彼女だってわかってるんだろう、ここで別れることがどういうことか。


もう二度と会えない。

それはどれだけ悲しいことなんだろう。

十七歳の少女にそれを選択させることは、どれだけ残酷なんだろう。


だけど、俺たちには何もできない。

時間を戻せても寿命は戻せない。


つくづく俺は無力だ。


俺は精一杯の、絞り出した力で、彼女を引き寄せた。


「すみません。ずるいなぁ、ホント」


そうして彼女は泣いた。

涙は人を強くするんだろうか?

俺にはわからない。


それでも、きっとこの涙に意味はある。

そう思う。そう……思いたい。


「本当に、ありがとうございました。思いっきり泣いたらすっきりしました」

その笑顔は虚勢なんだろうか?

でも、何よりも美しかった。


「ああ、行こっか」

そうして進み出そうとすると、

突然、彼女が視界から消えた。


慌てて辺りを見渡すと、頭を抱えてうずくまる彼女を見つけた。


「おい! どうした?」

思わず声を荒げる。

よくない想像が、頭を巡る。


「だ、大丈夫……です」

「大丈夫なわけないだろ!」

また大きな声を出してしまう。

何やってるんだ、俺は。

こんな時まで何もできないのか?


彼女が話せるようになるまでとにかく待つしかなかった。俺にはそれしかできなかった。


「す……みません。もう平気です」

「本当に? なんなら少し休んで……」

ようやく話せるくらいにはなったみたいだが、汗がしたたる顔は、どう見ても大丈夫には見えない。

「本当に平気です。それより急がないと」

「急ぐ?」


「はい、最後にもう一つ、わがまま言いたいんですけどいいですか?」

「いいよ。なんでも聞く。だから少し安静に——」

「よかった……じゃあ、お願いです。

私と一緒に、ヒーロになりましょう」


彼女の言葉に、俺はあることを思い出す。

そうだ、俺はすっかり忘れていた。

彼女のお願いには、警戒すべきだってことをさ。



「テロ?」

「はい」

「テロってあの。ドカーンってやつ?」

「ドカーンってやつです」

我ながら馬鹿な表現だ。


彼女の話を聞きながら、俺たちは北海道にある遊園地に向かっていた。


「さっき、思い出したんです。今日のお昼、あそこの遊園地でテロがおきます」

「本当に?」

日本でテロ。現実味がわかなかった。

「未来人の予言ですよ、リアルジョンタイターです。信じられませんか?」

まあ、彼女がそう言っている以上、信じるしかない。


「わかったよ。それにしても、二日連続で遊園地に行くことになるとは思わなかったな」

「いいじゃないですか、楽しくて」

「楽しみに行くんじゃないだろ?」

「そうですね。でも、私たちならできますよ。だって、時間を戻せるんですよ? 無敵です。見せてやりましょうよ、この力も役に立つって」


無敵。

心躍る響きだ。

彼女に注意しておきながら、俺もなんだか楽しくなってきていた。

そうか俺は無敵なんだ。

でも、それは時間を戻す力があるからじゃない。

俺が無敵なのは彼女と一緒だからだ。


だから俺はどんなことだってできる。




「近づくな! 近づいたら、こいつがどうなるかわかるな?」

遊園地に入ると、幸か不幸かすぐに目の前で事件はおきた。

なんとも展開の早いことだ。


それにしても、人質ってもう少し考えて選ぶものじゃないんだろうか?

胸の名札によると、絶賛人質中なのは磯崎さんというらしい。遊園地のスタッフだろう。

二十代後半くらいの男性で、それなりに背も高く、人質にするにはあまり適してない。


まあ、でも、そんなことどうでもいいんだけどさ。


少し手に力を込める。

もう何回もやってきたことだ。

すんなりと、彼が人質にとられる前に時間を戻す。

これで彼は人質から解放だ。

もう人質にされたことも覚えてないだろうな。


そうして彼女の方を向くと、無言で頷く。

そろそろヒーロになる時間だ。


犯人の方に向き直り、時間を戻しながら走る。

1秒ごとに時間を戻して、俺だけが進む。

時間を戻すために力を込めた右手を、握り拳へと昇華させる。


まただ。

生の実感。

いま、確実に生きてるだろうという、感覚。

彼女と一緒に行動して、何回も感じてきた。


いま、この刹那の中で、やっと気づいた。

生きるってことがどういうことか。


心臓が動いてるだけじゃない、

呼吸してるだけでもない、

脳が働いてるだけでもない、

それだけじゃないんだ。

自信を持って言える、彼女と一緒にいる今なら言える。

俺は生きていると。


頭に浮かんだのは、あの白紙の進路調査書。

俺はあの紙に書くのは、とても大切な自分の進路のことだって思ってた。

与えられた色を使って、自分なりの進路を描かなきゃいけないって、そう思ってた。

自分の将来をどうするか?

そう聞かれてると、ずっと思ってた。


でも、きっと違うんだ。

あの紙に書くのはそういうことじゃない。

あの紙で聞かれてるのは、たった一つだけ。

YesかNoで答えられる、簡単な質問。


「自分の将来に責任を持ってあげられますか?」


たったそれだけ。

自分の将来に責任を持つ覚悟はできたか、それを聞いてるだけ。


だからあんな紙に書くことはなんだってよくて、ミュージシャンでも会社員でも、スポーツ選手だって、本当になんでもいいんだ。


ただ覚悟を持ったか。

大事なのはそれだけ。


なんなら、希望を書く欄すらいらない。

枠をはみ出して、紙いっぱいに大きく書けばいい。

自分の色で。

自分の色がないなら、誰かに分けて貰えばいい。

それはいつかきっと自分の色になるから。


刹那の時も終わりが近づき、俺は拳を振るう。

それと同時に、目一杯息を吸って宣言しよう。やっと気づいた大事なことを。


先生、俺の進路は未定です。



「何考えてるんですか! あの人爆弾とか持ってたんですよ。それをあんな……危険すぎます」


犯人に一発お見舞いしてから、俺たちは能力を駆使して車へ走った。

そのまま現場に残ったら、面倒くさいことになりそうだったしな。


そうして車に乗り込むと同時に、彼女がすごい剣幕でそうまくし立てた。


「ごめん……」

「あんなことして、怪我でもしたらどうするんですか! 」

「でも、君だって、頷いたじゃん」

つい、反論してしまう。

「それは……あんなことすると思わなかったから…… もっと慎重にいくと思うじゃないですか。相手はテロリストですよ?」

「なんか、つい……いけるかなって」

いま思うと無鉄砲だったなと、思わず苦笑する。

でも、あの時は本当になんでも出来る気がしたんだ。


「それに実際、できた」

俺の言葉に呆れたのか、彼女が「ふぅ」と息を吐いた。


そうして目があう。

どっちが先だっただろう。

わからないけど、どちらかの口から小さな笑い声が漏れた。

そうしたらもう二人とも止まらなかった。

目を合わせて、車内に笑い声が響く。


「海行きたいです、海」

しばらくして、彼女がそう切り出した。

「わがまま、さっきので最後じゃなかったのかよ?」

「いいじゃないですか。ほら、早く行きましょう」

「まあ、いいけどさ」

もう彼女のわがままには慣れっこだ。

ここまできたらいくらでも付き合おう。


どこまでも、一緒に……

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