第4話 夜明けの最前線

「これ、なんですか?」

病院を出ると、止めておいた車を見た彼女が声を漏らした。

「軽トラ」

「運転できるんですか?」

「うん」

「免許は?」

「夏休みの初めに取った」

時間を戻したらいくら失敗しても一発合格だ。

「なんで軽トラ?」

「父親の趣味」


「もういいだろ? 早く行こう」

一問一答大会を終えて、車に乗り込もうとすると、彼女に手を掴まれた。


「あ、ちょっと待っててください」

そう言うと彼女は一人、車に乗り込んでいった。


「じゃーん、どうですか?」

少しして飛び出してきた彼女は、病院服から白いワンピースへと着替えていた。

「持ってたんだ、着替え」

「はい。急いでたんで、適当ですけど。それよりどうですか? 感想は?」

「似合ってるよ」

黒い髪に白いワンピース、透き通った彼女にぴったりの格好だと思う。

麦わら帽子をかぶせたいくらいだ。


「えー、ちゃんと見てくださいよ、ほら、もっと」

「見てるって。かわいいよ」

そう言うと彼女は俯いて黙ってしまった。

少し赤くなった頬が見える。

恥ずかしがるなら、言わなきゃいいのに。


「じゃ、行こっか」

仕方ない、と思い俺から声をかける。

「そうですね、なんかワクワクします」

顔あげた彼女の目は本当に透き通ってる。

いいじゃないか。姫を助け出した後は、冒険の始まりだ。順序が逆な気もするけど、それでいい。


エンジンをかけて、まずは東へ。

退屈な日々を、星も見えないこんな夜を抜け出そうと、彼女を連れて飛び出した。



「いります? これ」

走り始めて一時間くらい経った頃、彼女が謎のオレンジ色の物体を食べ始めた。

「何それ?」

「干しみかんです」

「おいしいの?」


「おいしいですよ。健康にもいいです」

「はい、どうぞ」と言って輪切りにされたみかんを、口に押し込んできた。


「どうですか?」

「……俺は普通のやつのほうが好きかな。やっぱり新鮮って感じがするし」

本音を言うと乾いた感じが、好みとは言えなかった。どちらかというと嫌いだ。

でも、わざわざそんなこと言う必要はない。

「そうですか……でも、だったらおばあちゃんはみかん農家なんで、食べれますよみかん。まあ、今は旬じゃないですけど」

「楽しみにしとくよ」


そんななんてことない話をしながらしばらく走って、何回か時間を戻す。

ガソリンが切れた頃がちょうどいい、時間の戻しどきだ。

「本当便利ですよね、時間を戻したらガソリンも戻るなんて」

感心したかのように、彼女は話す。

「便利なことなんてほんの少しだよ、こんな能力ないほうがいい」

「なんでですか? こんなに便利なのに」

「なんでもだよ」


そうだこんな能力ないほうがいい。

こんな力があるから、俺は……


今は考えるのはよそう。

今、この力を使っているのは事実だ。

それでも俺はないほうがいいと思うけど。


「パーキングエリア、入ろうか」

考えすぎた頭を冷やすためにと、提案する。

それに少し心配なこともあった。

彼女も異論を唱えることはなく、俺たちは一旦休憩することにした。



深夜にパーキングエリアは人も少なく、独特の雰囲気を纏っていた。

「体、本当に大丈夫なの?」

ベンチに待たせておいた彼女に、カフェオレを渡しながらそうたずねる。

病気はもう治ったとさっきは言っていたが、正直それが本当か心配だった。


「大丈夫ですよ。本当に治ったんです。だから心配しないでください」

「じゃああの薬は?」

さっき彼女が干しみかんを取り出した時、バッグの中にたくさんの薬が入っているのが目に入った。

心臓をぎゅっと握られたかのような気分だったよ。あのたくさんの薬は、彼女の病気の大きさを思い起こさせるには十分だった。


「見ちゃったんですか…… でも大丈夫ですよ、あれは手術の後も飲まなきゃいけないんです。けど、あれだけ飲んでれば大丈夫ですから、だから本当に心配しないでください」

「ならいいけど……」

それでもやっぱり、彼女の妙な笑顔が少し不安だ。


「それよりさっきのどういう意味ですか? 時間を戻す能力なんていらないって」

どうやら今度は、彼女が問いただす番らしい。

彼女は真剣な顔つきで俺の目を見ていた。

「別に、そのままの意味だよ。こんな能力いらないだろ?」


「何かあったんですか?」

「別に何もないよ」

「嘘です」

どうやら俺は彼女の目に弱いらしい。

その透き通った目で見つめられると、隠し事なんてできるがしない。


それでも俺は精一杯の虚勢を張って、「あくまでこれは例え話だ」と切り出した。



小学生の男の子がいた。

その子は野球のチームに所属していて、あんまり上手くないけど、それでも野球が大好きだった。


ある日の大会、彼のチームはあまり強くなかったから、初勝利がかかった試合だ。

三点差で劣勢の中、最終回二死満塁、バッターは彼。

まるでマンガみたいなシーンだ。

ここで決めればヒーロー。


結果は三振。

彼は何もできなかった。


チームメイトは彼を責めることはしなかった。

それでも彼は悔しかったんだ。

何もできなかった自分がどうしても許せなかった。


それから彼は毎日練習した。

みんなが帰った後も一人でずっと素振り。


そんな日が何日が続いた頃、彼は自分が練習している近くに、いつもある女の子がいることに気づいたんだ。


その女の子は同じクラスだけど、あんまり話したことのない子だった。

女の子は「頑張ってね」と言って、彼を応援してくれた。

一人でずっと練習している彼が、気になっていたらしい。


それからたまに女の子は差し入れをもってきてくれるようになったりして、二人の距離はだんだん縮まっていった。


そんなある日、彼は自分にある力があることを思い出すんだ。

彼は時間を戻すことができた。


彼は迷わず時間を戻した。

自分が三振したあの、打席まで。


彼は思いっきりバットを振った。

練習した全てを出すように。


逆転サヨナラ満塁ホームラン。

彼はヒーローになった。


チームメイトもみんな喜んでくれて、彼は嬉しかった。


そうして彼はこの喜びを一番にあの子に伝えたいと思ったんだ。

彼は走った。

辛いときに応援してくれたあの女の子の所に。


もちろん、時間を戻したんだ、女の子がそのことを覚えてるはずがなかった。

いや、覚えてるなんて言い方もおかしいな。

そんなことはなかったことになったんだ。


彼は気づいたよ、自分がどんなことをしたのか。


そっけない女の子の態度は彼を傷つけるには十分だった。

もちろん女の子が悪いんじゃない、彼が、いや時間を戻す能力なんてものが悪いんだ。


彼は自分しか覚えてない記憶を永遠に、独りで持ち続けなきゃいけない。


それはとても辛いことだ。


彼がその女の子と話すことは、それ以来一回もなかった。



「そんな辛い思いをするから、こんな力は入らないと?」

ずっと黙って話を聞いてくれていた彼女が、ようやく口を開いた。

「例え話だって言ったろ。俺の話じゃないから断言はできない。それでも、俺ならそんな能力はいらない」


「でも、私は忘れませんよ」

彼女が俺の手に自分の手を重ねた。

「私なら忘れません。一緒に戻れるんだから、忘れたりなんかしません。だから安心して……ね?」

まっすぐな瞳でよどみなく、彼女の言葉が伝わってきた。

俺はなんて言えばいいんだろう?


「そろそろ行きましょうか」

言葉を返せないでいる俺を見かねたのか、彼女が俺の手を引いて、車に向かおうとする。


彼女に手を掴まれると、なんだか安心してついていけた。

忘れないでいてくれる彼女なら、俺の孤独を受け止めてくれる気がしたんだ。


だから俺もそんな彼女の力になりたい。

そう思った。


結局俺は、手を引かれるまま車に乗り込んだ。



もうどれくらい走っただろうか?

途中何回か休憩したが、意識がだんだんと朦朧としてくる。

それくらい走った。


「あ! 入りましたよ、北海道」

横から彼女の元気な声が聞こえた。

辺りを見回すとほとんど何もなく、なんとなく懐かしい感覚に襲われた。

心の奥深くにある何かをノックされた気分だ。


そんな気分に眠気もあわさって、返事が少しぞんざいになってしまう。


「眠いんですか?」

それをぴったり言い当てるように、彼女がこちらを見た。

「少し」

「休憩します?」

「いや、ここまで来たんだし、あと少しだろ?」

それにもう夜明けも近い。

まあ、時間を戻せばいいだけなんだけどさ。

それでも、なんとなくこのまま行きたい気がした。


「そうですか。ありがとうございます。だったら一つお願いがあるんですけど……」

「お願い?」

彼女のお願いというと、少し不安だ。

出会った時のことを思い出す。


「後ろ行ってもいいですか? 荷台。一度乗ってみたかったんですよね。ここら辺ならもう危なくないと思うんですけど……」


「別にいいけど…… 気をつけろよ?」

「はい!」

そう言って目を輝かせる彼女を見ると、子供っぽいところもあるんだなと思う。


「あ、これかけてください。私のお気に入りの曲です。眠気も吹き飛びますよ」

彼女はCDをプレーヤーに入れ、曲を三つ飛ばして車を降りると、荷台乗り込んで行った。


そうして走り出すと同時に、再生が始まった。

「聴いたことない曲だな」

「未来の曲です。といってもほんの少し先なだけですけど。どうですか?」

「ああ、好きだよ」

引き込まれそうになった。

この曲の中に、世界に、疾走感に。

この曲と俺と彼女とで走ってる気がした。

どこまでも、どこまでも……

今ならどこまででも走れる、そんな気がする。


「太陽!」

彼女の声が響く。

外を見ると、満天の星空が太陽に押し出されるように白み出していた。


その光に向かってアクセルを踏む。

もうきっと止まれない。

あの光の先に俺たちの明日がある、そんな気がするんだ。


「すごいですよ! 光に向かって走ってる。ここが夜明けの最前線。私たち最前線を走ってる」

興奮した彼女の声が後ろから耳に届いた。


その声に押されるように、俺は走る。

パーキングエリアで買った、もうぬるくなってしまった水を口に含んで、走る。

生の実感。

いま、多分俺は最高に生きてる。


光を目指して。

俺たちは最前線を飛ばしてる。

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