愛と憎しみの迷い道

諸根いつみ

第1話

 なんてことなの。登山に来たら、道に迷ってしまった。山小屋を見つけたはいいものの、無人で、しかも、わたしの彼氏は、誰かいないか探してくると言っていなくなってからもう何時間も経つし、強い雨が降ってきた。わたしは、彼の後輩と狭い山小屋の中に二人きり。

「先輩、遅いですね」

 後輩くんは不安そうだった。わたしもすごく不安だ。

「どうしよう。どこかで動けなくなってるのかも。探しに行ったほうがよくない?」

「だめです。危険すぎます。僕は先輩に、あなたを頼むと言われたんですから、あなたになにかあれば、先輩に顔向けできません」

「ここで待つしかないの?」

「それしかないですね」

 日は落ち、雨はやむ気配がなく、小屋の中はどんどん冷え込んできた。

「……寒い」

 わたしが思わず言うと、彼は少し迷った様子を見せてから、自分の上着を脱ぎ始めた。わたしに着せてくれようというのか。

「だめよ。あなたが凍えちゃう。ねえ、くっついてれば、少しは温まるんじゃない?」

 わたしは、後輩くんに抱きついた。彼氏には申し訳ないが、この際仕方がない。

 後輩くんは、しっかりとわたしを抱き返してくれ、肩や背中をさすってくれた。だいぶ寒さと心細さがまぎれそうだった。

「やっぱり体が冷たいですね。上着を貸しますよ」

「いいの、大丈夫」

 わたしは、後輩くんの気遣いに感動してしまった。

「どうしてそんなに優しいの?」

「どうしてって言われても……」

 しばらく黙ってそのままでいると、わたしはじんわりと温かい気持ちになってきた。

 一方の後輩くんは、わたしを抱きしめていてくれていても、やっぱり居心地が悪そうだった。

 わたしは後輩くんの顔に顔を近づけていった。

「ちょっと、なにするんですか」

 後輩くんは驚いてしまったようだった。

「キスは嫌?」

「なに言ってるんですか」

 わたしは、あまりにはっきりと拒絶されたので、少し傷ついた。

「ごめん。いけないよね。魔が差したの」

「魔が差した?」

「うん。あなたのこと、素敵だなと思ったの」

「でも、あなたは先輩の恋人でしょ?」

「そうだけど。でも、わたしだって自由に人と付き合う権利はあるもの」

「権利がある?」

 後輩くんは笑いだした。

「そんなわけないでしょ。あなたは先輩の恋人なんだから」

「権利はあるわ。わたしだって、人権を保障された一個人なんだから」

「そうなの?あなたにも人権が?」

「そうよ。知らなかったの?」

「じゃあ、自分の意思で、先輩と別れることもできるってこと?自由に決められるってこと?」

「そうよ。実は最近、彼が冷たくなってきたの。もともとあまり優しい人じゃないけれど、わたしに飽きてきたんだと思う」

「先輩が、あなたに飽きてきた?」

「そうよ。多分あの人、わたしが消えても、悲しまないんじゃないかな」

「そんなはず」

「本当よ。あの人を見てれば明らかだもの。そろそろ潮時かなと思ってたところだったの」

 後輩くんの口調が変わった。表情は暗くてよくわからない。

「じゃあ、先輩と別れるっていうの?」

「まあ、そうなるかもね」

 わたしは、彼がなぜ怒っているのかわからなかった。

「お前は先輩のものだろう。なぜそんなことを言うんだ」

「わたしは彼の所有物じゃないわ」

「お前はアンドロイドだろ。人間じゃなくて、物なんだ」

「わたしは人権を保障された一個人よ。アンドロイド法第五条によって、人間と同等の権利を認められた、等級Aの最高級アンドロ――」

「先輩の大切な物だからと思って今まで優しくしてやってたのに。先輩と別れるなんて」

「わたしの勝手でしょ。どうしてそんなに動揺してるの?」

「俺は先輩が好きなんだ。先輩と付き合ってるお前が羨ましくて、憎くて仕方なかった。お前はまだ先輩の恋人なのに、もう先輩にとって大切じゃないなら――」

「痛い、離して」

「バラバラに壊してやる」

「やめて!」

 わたしは彼の取りだしたナイフを見て、悲鳴を上げた。

「アンドロイドの破壊は法律で禁止されているわ!罰金百万円以上、もしくは禁錮一年以上よ!よく考えて!」

「このアンドロイドめ!あばずれ!」

 哀れな人間のナイフが、わたしの人工皮膚に突き刺さった。

 わたしは仕方なく反撃し、彼を窒息させ、気絶させた。これでしばらくは眠ったままだろう。多分凍死はしないだろうが、したとしても、このケースの場合、わたしに刑事責任が及ぶことは、まずない。

 わたしは、彼が先輩を好きだと言った意味について考察し、彼氏が戻ってくるまでの暇つぶしとすることにした。

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愛と憎しみの迷い道 諸根いつみ @morone77

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