奇談その三十四 思い出したその弐

 日下くさか源馬げんまは大坂の陣で敵将の首級を幾つも挙げた屈強の者であったが、太平の世での生き方を知らず、閑職に追いやられた。それでも、源馬は気にする事なく出仕していた。

 ところが、お家が断絶となり、源馬達は牢人となった。才ある者達は他家へと出仕が叶ったが、源馬にはそういう機会はなく、食うや食わずの日々を送っていた。

 そんな中、戦場いくさばで命を助けられたという男から文が届いた。湯治場で温泉宿の主人に収まり、ようやく恩返しをする事ができますという内容だった。心当たりはなかったが、妻に先立たれ、子もいない身軽な源馬は深く考えずに旅支度をして、男の営む温泉宿に向かった。

 宿は想像していたよりも遥かに大きく綺麗で、何十人もの宿泊客がいた。男がえびす顔で現れ、板の間に膝を突いて挨拶をした。源馬は奥の大きな部屋に案内あないされ、一人では食い切れない程の食事を出された。

「お代はお考えなさいますな。これ全て、恩返しにございます故」

 男は、ごゆっくり、と言い添えて部屋を辞した。源馬は男の言う通り、考えるのをやめて食事を摂り、女中の案内で湯治場を兼ねている風呂場に行った。

 風呂にも沢山の人がいたが、生来が人見知りの源馬は湯に浸かって身体を温めると、部屋に戻った。

「腕の立つ按摩がおります。お試しになりますか?」

 男が布団を敷きに来て告げた。久しぶりに長く歩いた源馬は渡りに船と按摩を頼んだ。

「失礼致します」

 しばらくすると、襖が開いて若い女が入ってきた。源馬は女が来るとは思っていなかったので、吃驚びっくりしたが、

「皆様、驚かれます」

 女の按摩は微笑んで応じた。

「早速頼む」

 源馬は腹ばいになって言った。女は手際よく仕事を始めた。

「お客様、お疲れのようですね。随分とあちこちが凝っておりますよ」

 女は身体の凝りが見えているかのように解きほぐしてくれた。

(いい気持ちだ)

 源馬はそのまま寝入ってしまった。


「は?」

 あまりにも虫の音が近くで聞こえるので源馬は目を覚まし、草原の真ん中で旅支度のままで寝ている自分に気づいた。

(そうか、思い出したぞ)

 源馬が戦場で助けたのは狐の親子だったのだ。

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