奇談その三十三 思い出した

 卓司は小学六年生。ここ一、二年、夏になると悪夢にうなされる夜が続く。それも、決まって自分の両手が血に塗れていて床に大人の男性が倒れている夢である。始めこそ、同じ夢をよく見るなと思う程度であったが、それが何日も何年も繰り返されると、さすがによく見るなではすまされなくなってきた。

 卓司の家族は母親だけである。父親の記憶はほとんどない。以前、母親に父親の事を尋ねたが、

「離婚したの」

 それしか答えてくれず、どこにいるのかは教えてくれなかった。母親は再婚する事なく、女手一つで卓司を育ててくれている。そんな母親の姿を見て卓司は父親の事を訊いてはいけないのだと考えるようになった。


 その日は暑かった。テレビの天気予報で熱帯夜になると伝えていた通り、その夜は寝苦しかった。卓司はあまりにも暑かったので下着のみで寝た。そして、その日も悪夢を見た。両手が血塗れで床に大人の男性が横たわっている。恐ろしくなって大声を出すと目が覚めた。

「また同じ夢だ」

 卓司は全身にじっとりとした汗を掻いていた。気持ちが悪いので下着を脱ぎ、箪笥から別のものを出して着た。布団に横になり、何もかけずに目を閉じた時、夢の続きを思い出した。

(僕がお父さんを殺した?)

 卓司は自分の足下に包丁が転がっていて、倒れているのが父親だという事を思い出した。震えが止まらなくなった卓司は隣の部屋で寝ている母親を起こしに行った。

「どうしたの、こんな夜中に?」

 母親が眠そうな目で卓司を見上げた。卓司は、

「僕、思い出したんだ。お父さんの事」

 その言葉に母親の顔が引きつった。彼女は起き上がって卓司の両肩を掴み、

「お父さんの事? 何を思い出したの?」

 卓司は涙をこぼしながら、

「お父さんはもういないんだ。死んじゃったんだよ」

 母親の目が大きく見開かれ、

「そう、とうとう、思い出してしまったのね」

 言うや否や、肩を掴んでいた両手を滑らせて卓司の首を絞めた。

「お、かあ、さ、ん……。 ど、う、し、て……?」

 霞む目で見た母親の顔は鬼のようだった。そして卓司は、倒れていたのは父親だけでなく、母親もだった事も思い出した。

(この人は……誰?)

 卓司の最期の疑問だった。

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