奇談その二十七 観覧車
平井卓三はある中堅商社の常務であるが、それは彼の実力ではない事は彼自身も周囲の人間もよく知っている。彼の妻が現社長の娘だからだ。そのせいで、彼は常にプレッシャーを感じていた。
(毎日が拷問だ)
卓三はきりきりと痛む胃の辺りを押さえながら、常務室へと廊下を歩いていた。
「おはようございます」
ドアの前で秘書の武藤綾子が待っていた。
「おはよう、武藤君」
卓三は胃を押さえるのをやめて、作り笑顔で応じた。綾子は会釈をするとドアを開き、卓三を通した。
(武藤君は本当に有能な秘書だ。俺には勿体ないくらいだ)
妻には家の中で無視され、娘にはアメリカ人と駆け落ちされ、個人的には散々な卓三は、綾子とのひと時が日常のオアシスとなっていた。
「常務、ご相談があるのですが?」
綾子が神妙な面持ちで言ったので、卓三は微笑んで、
「何か心配事か?」
「実は……」
綾子が話したのは、恋人とのデートの事だった。高いところが苦手な綾子は、できれば観覧車には乗りたくない。しかし、恋人同士で乗るなら、メリーゴーラウンドよりも観覧車と思っている彼氏は、是が非でも乗りたいらしい。
「それで、私はどうすればいいのかな?」
卓三は下心丸出しの顔で尋ねた。すると綾子は、
「私と観覧車に乗っていただきたいのです。彼と乗るための予行演習として」
目をウルウルさせて言った。
(おおっ!)
卓三は夢が叶ったと思い、心の中でガッツポーズをした。
次の日の仕事終わり、卓三は綾子と遊園地の前で落ち合い、脇目も振らずに観覧車を目指した。
「え?」
卓三はその高さに仰天し、尻込みしそうになったが、
「常務と一緒なら、乗れそうな気がします」
目を潤ませた綾子に言われたので、
「任せておきたまえ」
虚勢を張って観覧車に乗った。始めはそうでもなかったが、遥か彼方に東京タワーやスカイツリーが見える頃になると、膝が震え始めた。しかし、綾子に無様な姿は見られたくないと思い、必死に堪えた。
「どうだ、武藤君? 何て事ないだろう?」
そう言って綾子の方を見ると、そこには誰もいなかった。卓三はそのまま気を失ってしまった。
「常務、遅いなあ」
綾子は遊園地の入り口で卓三の到着を待っていた。
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