八幡様の踏切/笠原修(『幽』vol.24より抜粋)

八幡様の踏切

八幡様の踏切

 私の実家の近くに、大きな神社がある。


 正式名は葛飾八幡宮であるが、地元の人は皆、八幡様と呼んでいる。


 京成電鉄の京成八幡駅(以下、八幡駅とする)から線路沿いに二百メートルほど東に行ったところだ。


 広大な境内には、市役所分庁舎、市民会館、結婚式場なども建てられている。


 参道は、東西に延びる国道十四号(千葉街道)の途中を、北に折れたところからはじまる。


 参道入口に構えられた南向きの第一鳥居をくぐり、北進してまもなくすると京成電鉄の踏切が現れる。参道の途中を線路が横切っているわけだ。


 踏切を渡ったところには第二鳥居が構えられている。第二鳥居から先の参道は、イチョウ並木が続く石畳の道となる。道の途中には赤い随神門が建てられており、門をくぐって突きあたりが本殿だ。


 市役所分庁舎と市民会館は、本殿に向かってそれぞれ随神門の左側と右側に建てられている。


 本殿の入口前で左右に分かれる道は、どちらも外部への裏道につながっている。八幡様の境内は、本殿への入口以外は夜でも開放されているため、参拝目的でなく、散歩や通り抜けだけのために往来するという人も多い。


 私の実家は、八幡様から北側、つまり参道入口とは反対側へ歩いて五、六分のところにあった。


 実家で二十年近く暮らした私にとって、八幡様は、子供のころの遊び場として、駅方面へ出かけるときの抜け路として、また最も近いお参りの場として、常に身近で馴染みの深い存在であった。


 


 小学校六年生のときのことだった。


 私の家では毎年、大晦日の深夜に、父と二つ年上の姉と私とで八幡様へお参りに行き、その後に第一鳥居の前にある蕎麦屋で年越し蕎麦を食べることが慣例となっていた。このいわゆる二年参りには、飼い犬のレオも連れていくようにしていた。


 その年の大晦日も私たち三人は、例年のように深夜、八幡様へお参りにでかけた。


 紺絣の上に半纏を二枚重ねて羽織った父は、懐手をして下駄をカラコロと高鳴りさせながら、八幡様に続く道を進んだ。分厚いコートを着た姉は、ヘアバンドを耳当てにしていた。


 私はレオのリードを握りながら、姉と横並びになって父の後ろを歩いた。皆の吐く息が白い。


 八幡様に続く道には、私たちの他にも、家族連れやカップルがちらほらと歩いていた。澄み切った冬の星空の下、八幡様で撞いている除夜の鐘の音が、次第に研ぎ澄まされた大きなものになっていく。


 私たちは、裏道から境内に進んだ。境内は参拝客でごった返していた。鐘楼の横では、鐘を撞こうという者が列をなし、拝殿の前でも数十人が参拝の順番待ちをしていた。


 レオを抱きかかえ、順番を待って、お参りを済ませた後、私たちは参道を国道方面に向かった。


 いつの間に買ったのか、父の背中には社務所で売られている破魔矢が差し込まれていた。


 随神門を通り抜け、踏切の手前にさしかかったとき、警報機が鳴りはじめた。カランカランカランカランという、昔ながらの機械式の打鐘音である。それとともに遮断棒が下りた。


 ふだんなら終電の運行が終わっている時間だが、大晦日から元旦にかけては、終夜、臨時の電車が走っている。


 まもなく上り電車が通過したが、その後も、警報機は鳴り続けていた。警報機の電光矢印が、上り方向から下り方向に変わった。


 私は、下り電車が通るのだろうとばかり思っていた。


 ところが、やってきたのは電車ではなかった。


 黒い獣のような車両が、線路上を音もなく自転車ぐらいのスピードで走ってきて、私たちの目の前を通過していった。


 それは荷台だけのトロッコ車だった。大きさは軽自動車ほどで無灯火だった。


 荷台には、黒装束をまとい黒頭巾を被った、忍者のような姿の者二人が乗っていた。


 いつもはおとなしいレオが、トロッコ車に向かってやかましく吠え立てた。


 トロッコ車は人力による駆動方式らしく、走行中、黒衣姿の二人は、車体の中央に前後対称に取り付けられた二本のレバーを、交互に両手で上げ下げしていた。そのレバーというのは、井戸ポンプのレバーを二つ向かい合わせにしたような形だった。


 工事用の車両なのだろうか。私は、変わった乗り物もあるのだなあと思って見ていた。


 トロッコ車が走り去った後、警報機は鳴り止み、遮断棒が上がった。


 


「いらっしゃい」


 踏切を渡った後、私たちは暖簾をかきわけて、第一鳥居の前に建つ国道沿いの蕎麦屋に入った。レオは店の裏の金網フェンスにつないでおいた。


 店内は混んでいたが、座れないほどではなかった。


 高い位置に置かれたテレビで深夜番組が放映されており、テレビの横では大きな招き猫が左手を上げていた。


 四人がけのテーブル席につくと、店員の婆さんが、三人分のお茶を運んできた。


「いつものでいいな」


 父はそう言うと、三人分のかけ蕎麦を注文し、背中に差してある破魔矢を抜いてテーブルの上に置いた。


「さっき、踏切を通った黒い乗り物って」


 私はトロッコ車の話をきりだした。


「黒い乗り物?」


「トロッコみたいなやつだよ」


「なんだそりゃ」


 父は顔をしかめて、湯飲み茶碗を口に運んだ。


「父さん、見なかったの? 上り電車が通った後に来たやつだよ」


 私がそう応えると、父は姉のほうに目を向けた。


 姉はヘアバンドを外し、破魔矢を弄んでいた。


「道子、おまえも見たのか」


「何も見なかったけど」


「黒い服を着た忍者みたいな人が漕いでいたじゃないか」


「忍者みたいな人?」


 父はしばらく考え込んだ。


「レオも吠えまくっていた」


「レオが吠え立てていたのは知っているけど、忍者なんて通らなかったぞ」


「あんた何をわけのわからないこと言ってるのよ。立ったまま眠って夢でも見てたんじゃない?」


 姉は笑いながらそう言って、破魔矢を元のところに置いた。


 トロッコ車は、父と姉には見えていなかったらしい。


 私は何かしっくりいかない気持ちで蕎麦を食べた。


 店を出ると、小雪がちらついていた。


「おまえは見たよな」


 私は金網フェンスに結わえたリードをほどきながらレオに語りかけた。


 私たち三人の二年参りは、私が中学三年生のときまで続いたが、例のトロッコ車を再び見ることはなく、また話題に上ることもなかった。


 高校一年生の秋口にレオが病死したことが理由かどうかわからないが、それ以降、二年参りは全く行かなくなってしまった。


 そしてトロッコ車のことは、私の記憶からうすれ、どうでもよくなってしまっていた。


 


 そんななか、もう一度トロッコ車を見ることがあった。


 大学受験に失敗し浪人生となった私は、受験勉強をするために、毎日、八幡様の境内にある市立図書館にかよった。現在、市役所分庁舎となっているところは、当時は市立図書館だった。


 閉館後はまっすぐに家に帰ったが、このころの私は、昔と違って、家族と会話することはほとんどなく、自分の部屋にこもっていることが多かった。


 そして深夜に一人でよく散歩に出た。


 散歩時間は小一時間であり、お決まりのコースがいくつかあった。


 初秋の深夜、私はある一つの散歩コースを進み、帰りは国道側から八幡様を抜けて帰路についた。


 第一鳥居をくぐり、橙色の灯明に照らされた参道を歩いていると、前方の踏切で警報機が鳴りはじめた。上り方向の矢印が点灯し、遮断棒が下りた。


 午前二時過ぎ。終電時刻はとっくに過ぎている。


 踏切の前まで来て遮断棒が上がるのを待っていると、小学生のときに見たのと同じ人力式のトロッコ車が、音もたてずにゆっくりと走ってきた。今回は反対方向からである。


 トロッコ車は、踏切を過ぎて十メートルほどのところで停まった。


 あのときと同じ、黒衣姿の二人が乗っていた。


 警報機は鳴り止み、遮断棒が上がった。


 黒衣姿の二人はトロッコ車を降りると、ともに屈み腰になり、下り電車用のレールを丹念に磨き始めた。


 二人とも顔に白いお面をつけていた。


 その後、一人が一方のレールに片耳を近づけ、もう一人も同じように他方のレールに片耳を近づけた状態で、それぞれがカンコンカンコンとハンマーでレールを軽く叩く作業をはじめた。


 レールの点検をしているようだった。


 二人とも言葉はまったく発していない。


 トロッコ車を停めたところから踏切までの十メートル近くにわたってこの作業を続けた後、二人は立ち上がり、一人が私のほうを見た。お面なので無表情である。


 私は固まった。


 その一人から見て、私はちょうど警報機の陰になるところに立っていたらしい。私の存在に気づいていないようだった。レールに異常のないことが確認できたのか、二人は互いに顔を見合わせて頷き合うと、再びトロッコ車に乗り、車両中央のレバーを漕いで、上り方向に走り去った。


 


 翌日。正確にはその日の昼下がり。


 いつものように図書館で勉強しているとき、私は、いつもと違う状況に気づいた。


 踏切の警報機がずっと鳴りっぱなしである。


 ときどき「フォン」という電車の短い警笛が聞こえる。


 気にするほどのことではなかったが、私は、一休みするつもりで外へ出た。


 随神門の前にたつ狛犬の横から参道に入る。イチョウ並木が秋の陽射しを浴びて、石畳の上に深い影を落としていた。国道方面に向かおうとしたとき、私は、踏切のあたり一帯が尋常でない状況になっていることに気づいた。


 赤色灯を回転させたパトカーや救助工作車が、数台停まっている。線路沿いの道はいつになく渋滞しており、人だかりがしていた。


 とりあえず私は踏切の前まで歩いた。


 踏切はずっと閉まったままのようだった。


 近くで見ていた中年の女性に聞くと、人身事故があったとのことだった。飛び込み自殺であるとのことだった。


 線路沿いの道から、皆の注目している方に目を向けると、下り電車用の線路内に白い物体が横たわっているのが見えた。轢死体を白シートで覆ったものなのだろう。


 白い物体の横たわっているところは、深夜、黒衣姿の二人が線路の点検をしていたところにちょうどあたっていた。


 下り電車用の線路内には、旗を持った駅員が立っていた。何人かの警察官が線路際に立って、白い物体を見つめていた。


 上り電車にはねられたのだとすると、飛び込んだところは、この踏切だろう。下り電車であれば、飛び込んだところは、八幡駅方面側にある別の小さい踏切だろう。


 大方の処置作業は終わっていたようだった。


 旗を持った駅員が、八幡駅の方に向けて大きく旗をふった。


 八幡駅を出てすぐのところには電車が停車しており、その先頭車両が、短い警笛を発した。まもなく、その電車は、歩くぐらいのゆっくりとした速度で近づいてきた。


 どこかでポイントレールを切り替えているのだろう。下り電車なのに、上り電車用の線路を走ってきた。


 先頭車両が自殺現場の手前にさしかかったとき、再び短い警笛を発した。図書館でときどき聞こえていた短い警笛は、このときに発する合図の音だったらしい。


 まもなく電車が通過した。低速なので、乗客の顔までよく見えた。ドア際に立っていた若い女性客が、自殺現場のちょうど横にさしかかったときに、驚いた顔をして手のひらで口を覆っていた。


 下り電車が通過してしばらく経つと、再び、電車の短い警笛が聞こえた。


 今度は、反対方向から上り電車が近づいてきた。


 上り電車も、歩くぐらいの低速度で、同じ線路を通過していった。


 上り電車が通過した後、体格のよい二人の駅員が、線路内を歩いて八幡駅の方からやってきた。二人の駅員は、白い物体の前で合掌すると、一人がその前を、もう一人が後ろをつかんで持ち上げた。そのとき、白シートの下に赤い内臓みたいなものがだらりと垂れ下がった。


「ひゃー」


 私と同様に、このときの状況を直に見たのだろう。まわりにいた何人かの女性が、いっせいに叫び声をあげた。


 近くに立っていた警察官が、白い物体を持ち上げている二人の駅員に向かって何か言った。


 二人の駅員は白い物体をすぐに降ろした。


 しばらくすると、八幡駅の方から、担架を抱えた別の駅員がやってきて、白い物体の横に担架を置いた。


 体格のよい二人の駅員は、白い物体をていねいに担架に乗せて運んでいった。


 この作業が終わると、線路のまわりにいた駅員、警察官、やじ馬が、ぞろぞろと退散していった。


 まもなく遮断棒が上がった。それとともに、水が流れるように、渋滞が解消されていった。


 私は自殺現場を見つめながら、深夜見た黒衣姿の二人を思い起こしていた。連中は、ここで自殺があることを事前に知っていたのではないか。自殺者が確実に死ねるように、準備を整えていた死神だったのではないだろうか。


 小学校六年生のときに見た黒衣姿の二人も、同じ連中であり、あのときはどこか別の「自殺予定現場」の整備に出かけたのではないか。


 


 八幡様の踏切の自殺現場を見たとき、そして私が実家を離れたときから三十年以上の年月が経っている。


 父は既に他界し、現在、実家は家も土地も姉のものとなっている。実家には姉夫婦と甥が住んでいることから、私が帰ることはほとんどなくなったが、ついこの間、実家に泊まる機会があった。甥が結婚することになり、その結婚式に出席する必要があったためだ。


 泊まる日の晩方、私は姉に、子供のころ二年参りの深夜に蕎麦屋で語ったトロッコ車の話をしてみたが、姉は何も覚えていなかった。四十年も昔のことであり、しかも姉自身がトロッコ車を見たわけではなかったから、覚えていなくて当然かもしれない。


 深夜一時ごろ、私は散歩に出てみた。


 久々に出かける深夜の八幡様である。


 裏道から結婚式場のわきを通る。甥の結婚式場はここではないとのことだった。


 本殿への入口に構えられた鉄門は閉まっていたが、鉄門のすぐ内側に賽銭箱が置かれている。私は鉄門の桟のすきまから賽銭を入れ、軽く拍手を打ってお参りを済ませた。


 その後、参道を通って随神門に差しかかったとき、前方の踏切で警報機が鳴りはじめた。


 終電の時刻は過ぎている。


 私は小走りで踏切に向かった。上り方向の矢印が点灯している。鼓動が高まったのは、走ったためではない。


 京成電鉄は私の実家の近くでは特に高架化は進んでいないので、八幡様の踏切は昔のまま存在している。


 警報機の鐘の音が、柔らかい電子音になったことと、遮断棒がプラスチック製になったことの他は、昔と比べてこれといって変わったところはなかった。自殺防止に効果的であるということで、最近多くの踏切に設置されている青色照明もここにはなかった。


 まもなく、カーブの陰から電車の音とともにヘッドライトが向かってきた。


 轟音とともに通過していったのは、車内の明かりが全く灯っていない、メタリックシルバー色系の現代風の電車だった。各車両の側面上部にある行先表示器には「試運転」というデジタル表示の電光文字が光っていた。


 私は安心する一方で少し気抜けした。


 トロッコ車に乗った黒衣姿のあいつら。連中は今日もこの世のどこかでレールを磨いているのかもしれない。

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