9、踊る魚のはなし

 坂の下の屋敷の御長屋にいる母野ものという武士の父親は、六七年前に相模さがみ国許くにもとでお城のほりをうっかり落としてしまったそうです。

 濠はなかなかに深く、中に入って探すというのも間々ならないので、ただそのあとを見ていることしか出来ませんでしたが、惜しく思ったのは、に入れていた珊瑚珠さんごじゆでした。

 それから数日たって、お城の濠に不思議と赤くひかる魚が一匹、踊るようにまわって泳いでるのを見かけるという噂が出るようになり、お殿様までもがその見聞にお出ましになるという騒ぎにもなったそうですが、踊る魚の赤い色はまるで珊瑚珠のようだったといいます。


 母野の父親は「あの珊瑚珠は魚が変化へんげしていたものがたまたま人の手に渡っていたものだったのであろう、水魚之交すいぎよのまじわりというが水が魚を引き寄せたのだ」と言っていたそうですが、珊瑚は海のものであるはずなのに、真水の濠に引き寄せられて魚の姿になっていたということを考えれば妙な点もある、として母野は「海に棲み山に棲み天にのぼると言われる竜の、人知れず移動する方法だったのでは無いかと考えている」と度々たびたび語っていました。

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