畍吟抄・序文

余の陋屋ろうおくの東の方にあやしきことがらを好みし老翁あり。日ごろより町方の風聞のうちにおもしろき事を見いだしては。鼠半紙の裏おもてにはいの頭を並べ蚊のまつげを植えるが如くに誌るしてはすさびとなしぬ。老翁の隠居前の生業は魚賈さかなやにて数多あまたたくわえたる奇談には怪魚珍鱗に類するものありて。余と親しく語ることもしばしばなり。近月の一日。老翁より耳にしたる其の奇話を書き留め置きたる雑記の数葉。偶々たまたま文篋ぶんこより見付け。ぬき書きして一巻となす。それより数日ありての老翁のむすこに会ひて語れば。その蝿蚊の跡いまだ葛凾つづらにのこりて有ればけみせんやとすすむ。数十帖ひとびとの語れることさまざま記しありて捨置すておくおしければ。是を今夕こんせき見出みいでてよめたる所のみ併せて清書し。後日のたのしみとなさんとするなり。あるひはものしる人にわらわれんことぞ多かれ。


秋霊堂樋月 〈印〉




 ――序文については、以上原文を書き写しておきます。はじめの巻に海洋や海産物に関する奇談が連続して記されている理由がうかがえます。

 ――以下、本文は『畍吟抄』収録順に現代語に書き改めました。

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