第32話 入れ知恵

 評議会はすべてのロボットと人間に、フジヤマに近づくことを禁じた。フジヤマ周辺の住民は強制避難となり、何万というロボットと人間が地下シェルターに収容された。


 そして評議会は軍に攻撃を命じた。ミサイルはフジヤマの標高を超えた遙か上空の弾道軌道から次々と落下、けれど夜空に花火の如く、宇宙樹には一発も届かず爆散する。宇宙樹の上に極めて濃密な空気の層があって、それを突破できないのだ。


 戦闘ヘリ部隊が、そして爆装した攻撃機部隊が空に上がったが、フジヤマ周辺に発生した強力な磁界に、操縦する軍事ツーラーが破壊され、雲の上の猛烈な強風によって下界へと叩き落とされてしまった。陸路頂上へと向かった特殊部隊も磁界に捕らわれ、フジヤマの麓で進むも戻るも出来なくなってしまった。事実上、あらゆる攻撃手段が無効化された瞬間だった。




「静かだなあ」


 何の模様もない真っ白な天井を眺めながら、ロボ之助はベッドに横になっていた。外で何が起きているのかなど、知る由もない。窓から見える景色は動かず、ただ明るくなるか、いまのように暗くなるだけ。


 と、そのとき足音が聞こえた。こちらに近づいてくるようだ。またアルルンだろうか、それともイプちゃんかな。そう思っていると、足音が禁錮室の前で止まった。そしてロックを開ける音。扉が静かに開くと、そこには。


「あれ、君は」


 ぶかぶかのスーツに、小脇に抱えた大きな分厚い本。イオタ666の姿がそこにあった。




 フジヤマの状況を見つめていた知恵の神殿の中央司令室に、突然走り込んできた人影。着たきりのガウンに、乱れた白髪。ジョセフ・カッパーバンドであった。イプシロン7408が目を剥いた。


「逮捕されたのではなかったのですか」


 アルファ501はモニターのフジヤマから目を離さずに答えた。


「取り調べろとは命じられたが、逮捕しろとは言われなかった」


「呆れた。評議会の公私混同は末期ですね」


「反乱罪が適用されるぞ。口は慎め」


「頼む」


 息も絶え絶えの状態で、ジョセフは懇願した。


「攻撃をやめてくれ。あそこには、ドリスが、ワシの孫娘がいるのだ」


 アルファ501は振り返らない。


「軍の攻撃をどうこうする権利は我々にはない。いつものように評議会にねじ込めば良いでしょう」


「評議会は……ワシを排除する気だ。神殿に立ち入ることすら許さない」


 それは当然だろうとイプシロン7408は思った。


「攻撃は中断している。あなたの孫が無事かどうかは不明だが」


 忌々しげなアルファ501に、ジョセフは取りすがった。


「頼む、誰かあの子を、ドリスを助けてくれ。金ならいくらでも払う。あの子は、あの子はこんなところで死んではいけない子なんだ」


 怒りを秘めた静かな声で、アルファ501は返事をした。


「通常なら人命は尊重される。それが評議会の基本方針だ。だがいまは非常時、宇宙樹が出現している。人間一人の命と全世界の命運を天秤にかけることはできない」


「そんなことはわかっている、だが」


「わかっていない!」


 アルファ501の厳しい声に、ジョセフは一歩退いた。


「あなたは自分のしたことを理解しているのか。孫を助けろと誰かに頼める資格など、あなたには本来ないのだぞ」


 睨みつけるアルファ501の視線に、ジョセフは目をそらした。


「……ならば、構わん。ワシがフジヤマに行く。それなら文句はあるまい」


 しかしそのジョセフの周囲を、ツーラーが取り囲んだ。


「な、何だ。邪魔をする気か。ええい、どけ」


「許可はできない」


 青く輝くモニター画面からクエピコが告げた。


「評議会はロボットと人間に、宇宙樹への接近を禁じた。原則としてツーラー以外は接近を許可されない」


 ジョセフは吐き捨てるように応じた。


「原則論しか言えない機械の分際で、人間に命令しようと言うのか。おごるな!」


「許可はできない」


 クエピコが繰り返したとき。


「じゃ、おいらが行くよ」


 振り返った一同が見た、中央司令室の入り口に立つ影は。


「ロボ之助さま」


「神さま、なぜここに」


 驚くアルファ501とイプシロン7408にクエピコの声が告げる。


「アルファ501の署名で禁錮室の解錠申請が出されている」


「何だと」


 イプシロン7408は気づいた。ロボ之助の背後に隠れる者がいることに。


「そこにいるのは誰。出て来なさい」


 赤いボディの後ろから姿を現したのは、イオタ666。伏し目がちに、拗ねるように口をとんがらせている。


「あんた……何してるの、公文書偽造は重罪ってことくらい知ってるでしょ」


「だって」


「だってじゃない!」


「もういいじゃないか」ロボ之助が割って入った。「イオくんがドアを開けてくれなかったとしても、おいら自分で開けて出て来るよ」


「だから、あなたには伝えなかったのです」


 アルファ501はため息交じりにつぶやいた。ロボ之助は笑顔を浮かべた。


「だけどクエピコに聞いたら教えてくれたはずだよ、きっと」


 青い画面から声がした。


「回答する。問われれば答える」


「ほらね」


 そしてロボ之助は、ジョセフに顔を向けた。


「ドリちゃんのお爺さん、ドリちゃんはおいらが助けに行くから、ここで待っててね」


 ジョセフは目を丸くしている。


「本当なのか。助けてくれると言うのか」


「何を馬鹿なことを言っているのですか。そんなことが許可される訳ないでしょう」


 イプシロン7408は眉を釣り上げた。けれどロボ之助は手を振った。


「許可なんて知らないし、要らないよ。そうだよね、クエピコ」


 少し間を置いて、クエピコの合成音声が告げる。


「回答する。ロボ之助は現代のシステムの管理下にはない。搭載されているHEARTシステムが我々のコントロールの及ばぬものである以上、行動を阻止できる蓋然性は低い」


「そんな」


 しばし愕然とすると、イプシロン7408はイオタ666を睨みつけた。


「あんたの入れ知恵ね」


 イオタ666はそっぽを向くと、小さく笑った。


「ではあの危険な場所にロボ之助さまを行かせると言うのか」


 アルファ501も厳しい顔をしている。


「回答する。行かせる訳ではない。止める方法がないというだけだ」


「ならばせめて誰か」


 誰か同行を、と言いかけてイプシロン7408は口をつぐんだ。それは叶わぬことだと誰よりも理解していたはずではなかったか。その感情はあまりに人間的に過ぎはしないか。冷徹なインターフェイスはこう答えた。


「回答する。ロボットと人間の同行は一切認められない。同行可能なのはツーラーのみ。しかし各神殿のツーラーは非常配置に就いており、動かせるツーラーは極めて限られたものだけだ」


 中央司令室の床が四角く開いた。下から何かがせり上がってくる。そのスペースの片隅に立つ小さな黒い塊は、カアと一声鳴くと翼を開いた。


「このFCT=86B型がロボ之助に同行する。抗磁性能に優れ、搭載される光学装備も比較的高性能だ」


 そのどこからどう見てもカラスのツーラーは、羽ばたいて飛び上がると、ロボ之助の頭に止まった。


「よろしくね、カー吉」


 そのロボ之助の言葉に、カラス型ツーラーは一瞬ギョッとしたように見えた。




「我々にはこれくらいしか出来ませんが」


 知恵の神殿の玄関で、アルファ501はロボ之助に、ガソリン入りのポリタンクを手渡した。


「ありがと。これで充分だよ。それじゃ、行ってくるね」


 ロボ之助はアルファ501に、イプシロン7408に、イオタ666に、そしてジョセフ・カッパーバンドにうなずくと、背を向けた。


「本当に」


 ジョセフは思わず声をかけた。


「本当に助けてくれるのか。何故だ」


 ロボ之助の背中から突起が現れた。そこから羽根が三枚開き、プロペラとなった。


「だって、友達だから」


 プロペラが回転する。風が巻き起こる。カー吉を頭に乗せたまま、ロボ之助は夜空に向けて飛び上がった。右手にポリタンクをぶら下げて。



 舞い上がるロボ之助を、遠くから見つめる眼があった。ブラウンの革のコートに黄金の髪。キルビナント・キルビナはきびすを返すと、神殿の屋根から屋根へと駆けた。その足は、一路フジヤマに。

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