第5話 潔癖都市
清浄な空気。かすかに感じるのは街路樹が発する香り。街を行き交う人影のほとんどは体臭を有しない。その人間に似せた樹脂製の肌の奥に、オイルの匂いすら封じ込めて、都市空間の支配者たるロボットたちは、町を闊歩していた。
模倣だ。すべてレベルの低い模倣に過ぎない。おそらくロボットたちは人間の文化を追体験したいのだろう。このまま文化の進化が続けば、いずれは服装も現代の人間に追いつくはずだ。だが今の段階ではまだ、見る者が恥ずかしくなる格好をしていることを彼ら自身は理解していない。
模倣は服装にとどまらない。信仰もまた模倣する。街には無数の『神殿』が林立していた。しかしそれらはみな発泡コンクリートと強化ガラスで出来た近代建築であった。立ち並ぶ神殿からも、塗料や溶剤の匂いはしなかった。神殿は大きさの違いはあれ、みな円錐形で、まるで大地を守る棘の如く空に向かって高く高く突き立っている。神殿はそれぞれ別の神を祀っているらしい。しかし何故そんなにたくさんの神が用意されているのか、キルビナント・キルビナには理解できなかった。
キルビナント・キルビナは異邦人であった。そのブラウンの革のコートに包まれた長い手足も、類い希なる造形を誇る美しい顔も、黄金の髪も、つゆほどにも老いることなく二百年に渡って異邦人であり続けた。彼が初めてこの大地を踏みしめたとき、それは現在のこの惑星の主たる住民であるロボットたちが新創世と呼ぶ、大規模な天変地異が発生した直後のこと。大地は砕け、空は燃え、都市は消え去り、見渡す限りの荒野が広がっていた。
だがそれから二百年。都市は信じがたい回復力で再生し、荒れ地をコンクリートが覆い隠した。地上も地下も、垂直方向も水平方向も、鉄道も道路も空を結ぶ飛行機も、すべてが再生し、その影響力は穀倉地帯の空を覆うイナゴの巨大な群れの如く、惑星全体を飲み込んでいった。
言うまでもなく、その原動力となったのがロボットたちであった。当初は人間が、やがて自動機械がロボットを組み立て、人類の代わりの労働力となり、疲れを知らぬ彼らは延々と働き続け、
歌え歌えや歌祭
小鳥が歌い草木が歌う
機械の歌と人間の歌を
命の祈りを歌声に乗せて
歌え歌えや歌祭
神殿の前の歩道を歩くロボットの少女が歌っている。すれ違うロボットたちは優しげな眼差しを少女に向け、中には同じ歌を口ずさむ者もいた。そう、今は歌祭の季節。かつて新創世の始まったとき、小鳥や、森の木々や、その他様々な生き物たちが、突然に人間の声で歌い出したという故事に習って始まった祭である。これも模倣だ。
キルビナント・キルビナは探していた。その青い瞳は、ロボットたちの人間に似せた樹脂製の肌の内側まで透視することができた。その目立つ金色の肩まで伸びた髪はエナジー・センサの集合体、ロボットの動力性能から、ときには内蔵している武器の破壊力にいたるまで、看破できないものは無かった。
彼の電子頭脳には、すぐそばを通り過ぎる無数のロボットたちの情報が蓄積されて行く。ときどきは人間もいた。まあ人間は内部構造を見る前に服装で判別できるのだが、どちらの情報も彼には不要のものだった。
キルビナント・キルビナにはもう時間がない。その身体は寿命を迎えようとしている。その前に、何としても彼の持つ遺伝情報を後代に伝えなければ。それはハルカヤ百三十億の民の記録。この宇宙で彼だけが受け継いだ、遠い星の記憶。しかしそれを伝えるには、この惑星のロボットでも人間でも不十分であった。
キルビナント・キルビナはコートの襟を立てた。それは二百年着たきりでありながら、どこも擦り切れていない不思議なコート。いま、街の中でコートを着ている者など、キルビナント・キルビナただ一人。そもそもロボットは防寒着など着ないし、いまは九月、北半球の温帯地域では人間もコートは着ていなかった。当然目立つ。衆目を集めながら、しかしまるで無人の野を行くかの如く、キルビナント・キルビナは足を進めた。歌に満ちた街の中を。
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