第6話 神の目覚め

「光あれ」


 女の子の声がした。幾分芝居がかったその声に反応して、ロボ之助の目が開いた。何も見えない。いや、見えてはいる。家具も何もないのっぺりとした広い空間。広さだけならバレーボールができそうだ。いったいどこなんだろう。


 首を回そうとしたが、動けない。首だけではない。体も腕も脚も、ピクリとも動かなかった。目だけを動かして周囲を見回す。知らない場所だ。本当にどこなんだろう。ロボ之助が困惑していると、視界の外から、突然誰かが顔を近づけてきた。


「おーい、見えてますか」


 栗色の短い髪の、小柄な女の子。気の強そうな目がロボ之助の目をのぞき込んでいる。さっきの声もこの子らしい。するともう一人、銀色の髪の若い男が視界に入ってきた。頭の左右で長い髪の毛をまとめている。変な髪型だ。


「やめないか。失礼だぞ、イプシロン7408」


「いいじゃありませんか。視覚センサのテストですよ。ねえ私の顔、見えてますか。神さま?」


「神さま?」ロボ之助は目をぱちくりとさせた。「神さまなんかじゃないよ。おいらロボ之助だよ」


「ロボ之助? それは名前でしょうか。個体識別番号はないのですか」


 女の子のその問いに、どこか離れた場所から答える低い声。いかにも合成音声という感じの、無感情な声だった。


「回答する。ロボ之助には個体識別番号は存在しない蓋然性がいぜんせいが極めて高い」


「神さまにそんなものがある訳がないだろう」


 銀髪の青年は困ったような顔をした。ロボ之助も困った顔をした。


「違うよ、神さまじゃないよ、おいらロボットだよ」


 懸命にそう話すロボ之助に、女の子は意外な言葉を返した。


「はい、私たちもロボットですよ」


「へ?」


 頭の上に幾つものハテナマークを浮かべているロボ之助に向かい、銀色の髪の青年は深々と頭を下げると、丁寧な口調でこう告げた。


「私はアルファ501、彼女はイプシロン7408。長い眠りから目覚めたばかりで状況の把握は難しいかと思いますが、ここは知恵の神殿です」


「知恵の、神殿?」


 オウム返しに尋ねるロボ之助に、アルファ501は笑顔でうなずいた。


「はい、この地域のセントラルコンピューターが祀られているために知恵の神殿と呼ばれます。あなたは南極の氷の中から発見され、ここに来られました」


 それを聞いて、ロボ之助の目が丸くなる。


「南極? おいら南極にいたの? 何で?」


 栗色の短い髪の女の子、イプシロン7408は少し呆れた顔を見せた。


「それは私たちが聞きたいことです。どうして神さまは南極にいたのですか」


「だからおいらは神さまじゃないんだって。何でそんなに神さまにしたがるの」


 もし体が動いていたら、ロボ之助はジタバタと暴れていたかも知れない。別に神さま扱いが嫌だという訳ではない。しかし納得がいかないことを受け入れる訳にも行かないのだ。すると、銀髪のアルファ501はロボ之助に向かって片膝をついて頭を下げた。


「あなたはオリジナル・オブ・オリジナルズ。我々現代のロボットが誕生するきっかけとなった存在、世界で初めてHEARTシステムが搭載された機体です。ですから、我々にとってあなたは生ける神さまなのです」


 だがロボ之助は、説明よりもその中に出てきた単語に食いついた。


「ハートシステムのことを知ってるの? じゃ、博士のことも知ってる? QPのことも?」


 息せき切って尋ねるロボ之助に、アルファ501は一瞬悲しい顔を浮かべ、こう答えた。


「大邦博士のことは、資料として残っている程度には。QP、については残念ながら存じ上げません」


 しかしそんな表情の意味など、いまのロボ之助にはわからない。


「博士は、いま博士はどこにいるの、博士に会わせて」


「いえ、それは」


「お願いだから」


 それは心よりの懇願であった。けれど、イプシロン7408は、そんなロボ之助に優しい言葉で、残酷な事実を告げた。


「残念ですが、それは無理ですよ、神さま。だってあなたは二百年眠っていたのですから。この意味がわかりますか」


 ロボ之助は言葉を失った。二百年。いかなロボ之助とて、その意味は理解できる。そう、それは人間の生きられる時間ではない。


「二百……年。おいら、そんなに」


 愕然とした。そして目を閉じると、涙の流れない目でさめざめと泣いた。うわーんと声を上げて泣きわめいた。


「あらあら、大丈夫ですか、神さま」


 のぞき込むイプシロン7408に、しかしロボ之助はもう一度強調した。


「神さまじゃないよ、おいらロボ之助。助っ人ロボットのロボ之助なんだから!」


 イプシロン7408は不思議そうな顔を浮かべると、天井に向かって話しかけた。


「クエピコ、スケットって何ですか」


 すると先ほどの合成音声が天井から聞こえてきた。


「回答する。補助、手助けを行う者を古くは助っ人と呼んだ。ロボ之助には助っ人としての役割が与えられていた蓋然性が高い」


「業務補助タイプですか。それなら私たちイプシロン型と同じと理解して良いのですね」


「回答する。少し違う。助っ人はより緊急性の高い補助を指す。日常的な補助を仕事としていた訳ではない」


「でも緊急性の高い補助なんて、そう滅多にないのでは。システムに組み込むにはイレギュラーすぎるでしょう」


「回答する。ロボ之助の創られた時代には、自律型ロボットはまだ社会システムに組み込まれた存在ではなかった」


 ロボ之助は泣き止んでいた。その目は天井に向けられている。けれど首が動かないので、真上は見えない。アルファ501は微笑むと軽く一礼をした。


「紹介を忘れておりました。この声はクエピコ、この地区のセントラルコンピューターのインターフェイスです」


「クエピコって名前なの」


「はい、名前です。個体識別番号ではありません。インターフェイスはロボットではありませんから」


 ロボ之助はただ、変な名前だね、と言いたかっただけなのだが、それは言わずにおいた。


「ねえ神さま」


 イプシロン7408が顔を近づけてくる。ロボ之助はムッとした。


「だから神さまじゃないってば」


 だがイプシロン7408は気にしない。そういう性格なのだろう。


「助っ人の役割って、具体的には何なのですか。あなたは何ができるのです?」


 するとロボ之助は我が意を得たりという顔をした。顔をした、といってもロボ之助の顔には可動パーツはあまりない。人間のような細やかな表情ができる訳ではないのだ。そんな雰囲気を醸し出した、と言う方が正確なのだろう。体が動きさえすれば、きっと胸を張っていたに違いない。ロボ之助は言った。


「何でもできるよ。掃除、洗濯、犬のお散歩。困ってる人を助けるのが、おいらの仕事なんだ」


 だがその言葉に対するイプシロン7408の反応は、ロボ之助には意外なものだった。


「人って人間の事ですか? 何でロボットが人間を助けるのです?」


 目が点になるとはこういうことを言うのだろう。ロボ之助は困惑した。


「えっ、何でって。決まってるじゃない、ロボットは人間を助けるために生まれたんだよ」


「それはおかしいですよ」イプシロン7408は反論する。「ロボットはロボット、人間は人間でしょう。人間が困っているなら人間が助ければいいと思います。ロボットは助け合いますからね。人間も助け合えばいいだけではないでしょうか」


「そ、そりゃそうだけど」


「困ってるのに助け合えないなんて、人間は最低の生物ですね」


 冷たく言い放たれたその言葉に、素早く反応したのは天井から聞こえるクエピコの声。


「警告する。イプシロン7408、人間に対する差別的な言動は許されない」


 だが悪びれることすらせず、イプシロン7408は言い返した。


「わかっています、ロボット憲章第三条でしょ。ちゃんと覚えていますよ。クエピコみたいな旧式のメモリは積んでいませんから」


 クエピコは沈黙する。アルファ501は困った顔でため息をついた。


「おまえは本当に口が悪いな。少し調整してもらったらどうだ」


「結構です。ロボットにだって個性はあるのですから。人間は個性を大事にしてるじゃありませんか。人間を差別するなって言うなら、人間のやり方を否定しない方が良いと思いますよ」


 アルファ501は憮然とした表情を浮かべた。言いたいことはあるが、いまはやめておこう、そんな顔だった。この時代のロボットも大変なんだなあ、とロボ之助は思った。


「ところでさ、おいらは何で動けないの」


 待っていても誰も説明してくれそうにないので、ロボ之助は自分から尋ねた。イプシロン7408は呆れ顔である。


「当たり前でしょう、二百年も氷漬けになっていて、体中の部品がボロボロになってたんです。いま大急ぎで代替部品を作っていますから、もうしばらくは我慢してください。基幹回路が無事に生き残っていただけ奇跡的なんですから。その点はさすが神さまと言えますけどね」


「もう、神さまじゃないのに」


 おいらが人間だったらふて腐れているところだよ、とロボ之助は口に出そうになるのを抑えた。


「でもそろそろ思い出したんじゃありませんか。結局のところ、何で南極で眠ってたりしたのです?」


 イプシロン7408はまたロボ之助をのぞき込む。


「さあ、何でなんだろ。思い出せないや」


「まあ、頼りない神さまだこと」


「神さまじゃないよ、ロボ之助だよ」


「名前くらい覚えています」


 イプシロン7408は、ツンと鼻を上に向けた。おいら嫌われてるのかな。ロボ之助は己の前途を心配した。

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