第10話 訪問者


「そんな……ありえない、30代の患者なんて」


 思わず口に出した天城の言葉に、三雪の母親が反応する。


「天城さんのご専門は『鹿児島県固有希少疾患』だったかしら? 確かもっと基礎的な発生学分野のお仕事をされていたように思ったのですけど。 ……いえ、亡くなった古藤先生の教え子さんですもの、私よりは詳しいのは自然かもしれないですけど」

「い、いえ。専門というわけでは……」


 さすがに三雪の母親だ、と天城は冷や冷やする。

 古藤の行ってきたさまざまな不正について、まだ世間に明るみに出ていない以上、自分がそれを話すわけにはいかない。


「……お母さん。それで"4番目の患者"さんって……どうなってるの?」


 三雪が自分への助け舟とでもいうように母親に尋ねる。その表情は険しく、整った顔の眉間に深い皺が刻まれている。


「さっきも言ったでしょ? 私は医師ではないし、詳しい話は――――」


 話を遮るように玄関のチャイムが鳴る。


「あら? こんな時間に誰かしら? ごめんなさいね、ちょっと席を」

「あ、いえ。僕もお暇しますので」

 三雪の母親が席を立とうとするのに合わせて天城も立ち上がると、三雪は一瞬驚いたように天城を見上げ、すぐに顔を逸らす。

 「それじゃぁ」と一緒に廊下を玄関に向かって歩くと、確かに玄関の扉の向こうに誰かがいるのか、扉の隙間から自動点灯する玄関先のライトが点いていることがわかる。


「はい、藤森ですが――どちら様ですか?」


 そう扉を開けようとする三雪の母親の少し後ろで、天城は訪問者と入れ違いに外に出るためのタイミングを計る。手に持ったカバンと手土産が入っていた紙袋を持つ手を見つめながら、"4番目の患者"について考えていた。


 『鹿児島県固有希少疾患』は古藤が研究員たちを「豚の受精卵だ」と騙して、ヒトの受精卵にゲノム編集を施し、提携していた不妊クリニックで秘密裏に胚移植を行うことで乳幼児で症状が出るように作り出した疾患だったはずだ。

 それは受精卵ゲノム編集という技術を使っている以上、生まれる前に操作を行い、


 ということは、この30代とこれまでに報告されているなかでおそらく最も年長者である"4番目の患者"たちは、古藤の計画が始まってすぐに受精卵に人為的操作がなされた人間でなくてはならないはずだ。


 ――しかし、そんなことはありえない。


 仮に最も早く応用され始めたジンクフィンガーヌクレアーゼだったとしても、応用研究が始まったのは2000年代初頭だし、いくら古藤であったとしてもその時期にゲノム編集実験を開始出来ていたはずはない。ゲノム編集技術ではない、古典的なランダムインテグレーションなどの方法を使ったとしたなら、そもそも『鹿児島県固有希少疾患』という再現性のある表現形を作り出すことは出来なかったはずだ。

 ヒトES細胞を密かに使う――なんて、さらに技術的なハードルが高すぎるし、仮に古藤の研究基盤でそれが出来たとしても、生まれてくる『潜在患者』の身体は疾患因子を持った細胞と、そうではない正常な細胞が混在する"モザイク"状態となるはずだ。おそらくそれでは乳幼児期での死亡というシビアな臨床症状を再現よく作り出すことは出来ないだろう。


 やはり、古藤の計画は『受精卵ゲノム編集』という一つのブレークスルーを待つしかなかったはずだ。そうすると、やはり"4番目の患者"たちの年齢と辻褄つじつまがあわない――



 そんなことを考えていると、旧知の間柄だったのか三雪の母親が「まぁ! 本当にお久しぶり」と玄関の扉の向こうの人物に話しかけているのが耳に入る。まだ自分のいる場所からはその姿が見えないが、三雪の母親の目線から察するに身長はそれほど高くないようだ。漏れてくる声の感じからして、それほど年配ではない女性のように思える。


 いずれにしても、この玄関先の人物と入れ替わりに外に出ようと会話の途切れるタイミングを待っていると、突然、三雪の母親が笑顔でこちらを振り返る。

「そうそう、今、ちょうど天城さんもいらっしゃってるのよ。古藤先生の教え子さんだった」

 そう言って玄関の扉を大きく開き、訪問者を招き入れる。艶のある黒い髪を短く切りそろえ、細身の身体をストリートカジュアルな服装に包んでいる若い女性で、天城はその人物の姿に目を大きく開き言葉を失う。


「本当に"修ちゃん先生"だ!」


 続けて「お久しぶりです」とにっこりと笑う。天城はうろたえたように言葉に詰まりながら、「あ、ああ。本当に」と返す。



 ――――古藤の娘、古藤ふるとう 由佳ゆかがそこに居た。



「"修ちゃん"……"先生"?」

 三雪の母親が不思議そうに首をかしげる。

「私、天城先生に大学受験の頃に勉強みてもらってたんです。お父さんの研究室の人だから安心できるって」

 何か聞きたそうな三雪の母親の視線に、天城も口を開く。

「古藤先生のポケットマネーのバイトということで、一年ほど。といっても、僕だけというわけではないですが……確か三雪も少しだけ教えてたような気がします」

 名前に反応したのか、古藤由佳が話に割って入る。

「三雪先生もいらっしゃるんですよね? お会いしたいです!」

 その言葉に気を良くしたのか、三雪の母親は「呼んでくるわね」と今来た廊下を居間の方向に戻っていく。「それじゃぁ、僕はこれで」と天城が声をかけたものの、返事はなく、天城と古藤由佳が玄関に二人っきりで取り残される。



 沈黙が流れる。



 お互い次の言葉を見つけられない空気に耐えきれなかった天城は、もう一度「じゃぁ、僕はこれで」と今度は由佳に向けて言い、靴を履く。屈んで靴ベラを使う天城の頭上からさっきまでとは違うトーンで言葉が降ってくる。


「……何での実家に"修ちゃん先生"が居るのかな。二人は付き合ってるのかな? …………嫌だなぁ」


 天城が驚いて立ち上がり、口を開こうとする。それを、由佳は天城の唇に人差し指を当てて遮り、にっこりと笑う。


「冗談ですよ、センセ。お会いできて嬉しかったです」


 天城はたじたじとして襟足を掻く。由佳はそれを見て、またくすくすと笑う。

 天城は「ったく。大人をからかわないでくれ。それじゃまたどこかで。三雪にも先に帰ったと伝えてくれ」と玄関の扉の外に出ようとする。


「…………また"三雪"って言った」


 すれ違いざまにボソッと由佳がつぶやく。「えっ?」と振り返ると、今度はさっきまでとは違う氷のような冷たい笑顔をした由佳が口を開く。



「ねぇ、修ちゃん先生。誰が古藤清彦おとうさんを殺したのか――――



 「な、何をッ」天城の言葉は玄関の扉が閉まる音でかき消される。続けて、扉の向こう側から三雪の母親の声がする。


 確かに由佳は亡くなった古藤教授の娘なのだし、犯人である弓削のことを知っていてもおかしくない。しかし、由佳の意味深な言葉に不安を覚えた天城はじっと玄関を見つめていた。




(つづく)

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