"Individual Patients"

第9話 4番目の患者

一、


『白山義塾大学先端分子生命講座(藤森・冨永研究室) リトリート開催について


 この度、藤森研究室では下記の日程でリトリート(retreat)を行うこととなりました。例年は二研究室のみで行っていましたが、「学内外の研究室から参加者をお招きし、活発な討論を」という藤森教授の発案により、本年度から広く参加者を募ることとなりました。つきましては、下記の日程で……』


「う――むぅ」

 居室の天井を見上げ、むき出しとなっている配管にめがけて唸る。


 国立古都大学 大学院理学研究科生物科学専攻・天城研究室――この大学の准教授である天城修平あまぎ しゅうへいの研究室は、この国で二番目に古い古都大学大学院の中でも、現存している最も古い建物の中にあり、ところどころ煤けていて今にも崩れ落ちそうな気さえしてくる。


「……はぁ。センセ、いい加減にしてくれます? 正直鬱陶しいですわ」

「あ、ああ。すまなかったね……小西さん、コーヒーお願いできる?」


 彼女、小西重子こにし しげこさんはすでに退官された先代の教授の頃から勤めている古株で、ひょっとしなくても自分よりもこの古都大学には詳しいし、学内の込み入った、根回しの必要な話でも事務職員同士の"ネットワーク"を使って穏便に、かつ迅速に解決してくれる、まさに凄腕の秘書さんである。


「はい、どうぞ。だいたい元カノだかなんだか知りませんけど、仕事の話なんですから、うじうじ、うじうじ悩むのアホらしくありません?」


 口が少々悪いのはどうも先代の教授のときかららしい、というのもどこかで聞いたことがある。


「……ま、まぁそうなんだけど……なんかこう、引っかかるというかなんという……」


 あきれたと言わんばかりに小西さんは肩を竦める。天城は苦笑いをした後で頬杖をついて、もう一度、案内状に目をやる。



「確かに考えすぎ、か。この前の事件のこともあるし、行って話をしてみるか――」




二、


「――――と思ってきてみたら、か」



 呆然として呟いた天城の横で、身長150センチの黒縁眼鏡をかけた若い女性が「あはは……」と両手の手のひらを身体の前で組んで、申し訳なさそうにしている。


 天城の目の前には、時代劇の中でしか見ないような立派な門があり、その門柱には『藤森』と表札がかかっている。


「お母さんがどこからかリトリートの案内を手に入れちゃったみたいで……そしたらお父さんがすぐに冨永先生に連絡しちゃってて……『自分も参加する』って最初は言ってたんだけど、それはさすがに……それで……」


 この立派な家の娘であり、リトリートの主催者の一人である藤森三雪ふじもり みゆきが恥ずかしそうにうつむいてつぶやく。


「しかし、それでリトリートの会場から車で30分以上かかる実家に『俺を連れて来い』――ってなるわけか。まぁ何というか……というか」


 天城がこの家を訪れるのは二度目のことで、最初に訪れたのは七年近く前でその時はまだ任期付きの非常勤――ポスドクであった。その時は隣で小さくなってしまっている三雪と真剣に交際をしていて、いわゆる『両親へのご挨拶』に来た。

 その結果は、わざわざ言葉で説明しなくても、今の俺たちの微妙な関係が瞭然とそれを示している。


「あ……あのね、何かお父さん、まだ"修ちゃん"のこと覚えていたみたいで。急に怒り出しちゃって……」


 はぁ、と重いため息を吐く。


「そりゃぁ、あっちは医学部で俺は理学部とはいえ、"同じ研究分野"だし、藤森先生は古藤先生の後輩でもあるんだから覚えてるだろうさ……の件が無かったにしても」


 天城は言い終えて、ハッとなって言い直そうとする。が、その試みはすでに遅かったようで、最後の言葉に反応した三雪が顔を上げ、にっこりと笑う。

 天城は恥ずかしさですぐに顔を反らしてしまったせいでよく確認できなかったものの、三雪の目にはうっすらと涙が溜まっていたようにも見えた。




三、     『4番目の患者』


「それで――何故、君が私の前に居るのかね?」


 よっぽど「あんたが呼んだからでしょうが」と声を荒げてしまいたかったが、隣に申し訳なさそうに正座で座る三雪のことを思い、踏みとどまる。

 何より前回は、そのせいで終電が終ってしまった松本駅で一夜を明かすことになったのは、自分でもよくわかってる。


「……り、リトリートで近くに寄りましたものですから。み……藤森先生のご厚意に甘えて、ご挨拶までと」


 十本の指で両膝を力いっぱい押さえつけながら、必死の思いで言葉を捻り出す。それでも三雪の父親はふんっと不機嫌そうにそっぽを向く。


「あらあらあら、お父さん、意地悪なんてみっともない。"自分で"参加者名簿に天城さんの名前みつけて、呼びつけたくせに」


 三雪とよく似た、でもどこか落ち着きのある声が近づいてくる。


「――お久しぶりですね、天城さん。『あの時』以来だから……もう七年くらいかしら? 元気でした?」


 「ええ、おかげさまで」、そう答えると幾分か緊張が和らぐ気がする。しかし、この母親もここから離れた国立大学の農学部のキャンパスで教授をしている人で、穏やかな言葉の中に凛とした鋭さも感じる。事実、七年前の「あの時」は彼女もまた自身の夫に同調している。

 運んできたビール瓶とグラスをローテーブルに置くと、夫の隣に座る。



「――それで今は古都大学で、准教授でしたっけ?」


 天城はその質問の意図があまりつかめていないまま、「ええ、まだ二年目ですが」とだけ短く答える。


「あの時は、『不安定なお前には三雪はやれない』と大暴れしてしまったけど――さて、お父さん、今度は何て言うつもりなのかしら。でも『不安定な雇用』っていう要素は取り除かれたのですもの、今度はお話してくださいますわよね、?」

 ゆっくりはっきりとした口調で隣に座っている父親に顔を向けて言うと、「あ、ああ」と父親の方がたじろいでいる。


 タイミングよく――あるいは悪くなのかもしれないが――三雪の父親のスマートフォンが鳴る。


 父親はその場で取ると、電話先の相手の一言目を聞いて一瞬で顔色が変わり、そのまま廊下に立ち去ってしまう。しばらく障子の向こうで何か緊急らしい会話をしたその後で、一度、障子が開く。


「母さん、どうやら"4番目の患者"のようだ。今から行ってくる。すまないが、後は頼んだよ……それと、君、その……ゆっくりしていくといい。すまないが、私はこれで失礼する」



 天城の中では、三雪の父親が照れ隠しのように発した最後の言葉は、冒頭の謎のフレーズに掻き消されてしまっている。何か嫌な予感がする――これが今の状態に一番近い。


「……お母さん、"4番目の患者"って何?」


 それは三雪も同じだったようで、母親に向けて尋ねる。母親は顔を曇らせたまま、それに答える。


「お父さんの働いている病院にね、不思議な――もちろん重篤なんだけど今までに見たことがないような症状の患者さんがこれまでに三人入院しているの。そして、今日で4人目……」

「あの、見たことないような症状って……」

 今度は天城が尋ねる。

「私は医師ではないから……でも、鹿って」


 その言葉を聞いて、天城と三雪はハッと目を合わせる。


「そ、そんなはずは――――」


 何かを続けようとした天城はすんでのところで踏みとどまる。古藤のやっていたことは警察だけが知っている事実で、まだどのマスコミにも流れていない。ここで話してしまうのはマズい。

 しかし、あの"作られていた疾患"はすでに終息しているはずだ。三雪の母親が不思議そうにこちらを見ながら、続ける。


「そうなのよ、『鹿児島県固有希少疾患』って乳幼児しか発症しないって亡くなった古藤先生が発表していたでしょ? 20代くらいになるまで発症しなかった場合は、不顕性ふけんせいキャリアとなる……でもね、今回の患者さんは




 ――――30






(つづく)

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