第8話 せめて僕らは間違わないように



「やはり此処だったのか。月命日だもんな」



 梅雨明け間近のしとしとと降る雨のなかで、『谷崎家』と書かれた墓石の前で手を合わせていた女性に向けて天城が優しく声をかける。



「弓削ちゃん」



 名前を呼ばれた女性はゆっくりと立ち上がる。傘を差さずにしっとりと濡れた髪が頬に張り付いている。あるいは流した涙を隠しているのかもしれない。


「天城君、それに三雪ちゃんも…………後ろの方は古藤先生の時に来られた刑事さんだったかしら」

 弓削はどこか悲しそうな笑顔を浮かべている。

「弓削ちゃん……自首、してくれないか?」

 天城は悲痛な面持ちで言葉を絞り出す。

「自首? 私が何をしたっていうのかしら。血相を変えて突然やってきたあの男の飲み物に睡眠薬入れていた、とか?」

 弓削がにやっと笑い、続ける。



「そんなこと私がやる動機――ないわよね」



「動機はあるんです」


「三雪ちゃん……」

 苦しい表情を浮かべたままの天城に代わって、藤森が話し始める。


「刑事さんたちに頼んで、弓削さんの産婦人科の治療歴……不妊治療の記録を調べました。そこには胚移植の記録と――」



「やめて!!」


 予想していなかった言葉に、弓削は両手で頭を抱え俯く。「そこで」と続けようとした藤森を天城が止める。


「いいんだ、三雪。ここからは俺が話す」



 雨がザァザァと本降りになってくる。しばらくの間、黙ったまま弓削を見ていた天城が口を開く。




「俺達は古藤の鹿児島ラボで行われていた受精卵へのゲノム編集を見てきた。そこでは東京の古藤研究室から送られてきた豚の凍結受精卵を解凍して、やはり同様に送られてきたガイドRNAとCas9タンパク質を指示通りに、解凍した受精卵に打ち込んでいた。

 鹿児島に居た研究員たちは、本当に自分たちは『豚の受精卵に、免疫応答関連遺伝子とウイルス感染関連遺伝子を破壊するためのゲノム編集を行っている』と思っていたよ」


 弓削は俯いたまま何も答えない。




「でも、あれは豚の受精卵なんかじゃない。あれは――ヒトの受精卵だ」




 天城の言葉にびくっと俯いたままの弓削が反応する。


「豚の受精卵は、俺達があの研究所で見たような綺麗な透明じゃない。特徴的な脂肪球を多く持っていて、真っ黒くみえるはずなんだ。

 でも、あの場所で見た受精卵は、同じように透明な受精卵を持っているマウスやラットの受精卵とも違って分厚い透明帯をしていた……だから、あれはヒトの受精卵だって気づいたんだ。


 そこから古藤と連携している産婦人科を探した。そのほとんどが鹿児島県に集中していて、そこで不妊治療を行って産まれた子供のほとんどが鹿児島県固有希少疾患を発症していることもわかった。つまり――





 古藤は鹿児島ラボで豚の受精卵のゲノム編集を行っていると偽装して、提携産婦人科で不妊治療を行っていた患者から採取した受精卵をゲノム編集して、鹿児島県固有希少疾患という新しい疾患を自分たちの手で作り出していたんだ。


 そして弓削ちゃん、その提携病院の一つに君も……」



 うわああと大きな声を上げ、弓削が泣き叫ぶ。天城も藤森もかける言葉を失う。



「……嬉しかった。『先生』と私の子供が産まれる、ただそれだけで」


 ところどころ嗚咽がまじり聞き取れないほどの声で弓削が告白する。


「でも赤ちゃんは……私と谷崎先生の赤ちゃんは産まれてすぐに鹿児島県固有希少疾患を発症して……息をしなくなった小さな躰を古藤が『検体として引き取りたい』と言ってきたときに谷崎先生が気づいたの……『これはおかしい』って」


 天城は蹲って泣く弓削に自分が来ていた上着をかける。


「古藤は自由に遺伝子を書き換えることが出来るゲノム編集を使って、自分たちの手で鹿児島県固有希少疾患という、この世になかった疾患を作り出し、その患者から作ったiPS細胞を使って病態の研究を行うと研究資金を集めるつもりだったんだ。そしてゆくゆくは『鹿児島県固有疾患の治療薬を開発した』と発表し、また莫大な金を集める――


 確かにすぐに出来るだろうな、古藤たちは『何の遺伝子を消したらこの疾患を発症する』とわかっているんだから、その逆で消した遺伝子を発現するような遺伝子治療用のベクターをデザインするだけなんだから」


 山田が蹲っていた弓削に「弓削さん、では……」と優しく声をかけ、立ち上がるように促す。弓削はしばらくしてから立ち上がると、山田とともに墓地から去っていく。



 途中で一度だけこちらを振り向いて「ありがとう」とだけ言葉を発する。



 天城の中でふつふつとすでにこの世にいない科学を冒涜した、かつての指導教官への怒りが湧いてくる。ぎゅっと拳を握ると、そこにやわらかい女の指が触れる。



「修ちゃん。谷崎先生の最後のお願い――止めてくれっていうお願い、叶えてあげられたね」


 藤森の突然の言葉に「えっ!?」と天城が聞き返す。


「たぶんね、谷崎先生は弓削さんが自殺するかもしれないのを止めて欲しかったんだと思う」


「……修ちゃん、私たちは間違わないように科学続けていこうね」


 天城は「ああ」と言うと、少し震えていた藤森の手を握り返した。




(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る