第5話 誰が古藤教授を殺したのか 後編



「率直に言うと、古藤清彦の目的は――この財団内に莫大な『預け金』を作ることです」


 天城と理事長を除く全員が驚いている。特に研究者たちは絶句して、唸り声さえもあげられずにいる。


 それもそのはずで、『預け金』という手法による研究費の不正流用は、発覚すると一発で懲戒解雇となるほどの不正行為である。二〇〇〇年代に入ってだいぶ緩和されてきたとはいえ、この国における科学研究費は単年度決算が基本で、また用途も研究助成事業ごとに厳しく制限されている。


 そのため、カラ出張や架空の領収書などを使って、一旦、研究費を懇意にしている取引先の会社などに支出したように見せかけておいて、業者の口座に研究費をプールしておき、後からそのお金を引き出して使うという手口で、2000年代初頭までは実際に行われていて、それの発覚によって研究者人生を失った者もいる。



「古藤清彦は多額の用途制限のない研究資金を得るために、今回のようなトリックを使って、自分の息のかかった研究者の研究計画が採択されるように仕向けていました。しかし、さっき修平が言ったように、変な噂が立たないように古藤清彦本人の研究室の人間には採択させていません。あくまで自分の研究室以外の研究者が採択されるように仕向けていました」


 ちょっと待ってくれ、と持田が口を挟む。


「仮にそれらのことが本当だったとしても、古藤先生の研究室以外の研究者が研究費を獲得するとなると、どうやって預け金になるというのかね?」


 谷崎はふっと笑う。


「トリックとしては、ごくごく簡単なものですよ。古藤は自分の手元に来た一次審査書類のなかで一番出来のよさそうな申請書を、自分と親しい『予定採択者』に渡し、『このような計画と同じような研究計画を複数採択したいと思ってる。ただ、今回は複数採択される予定なので五千万の満額ではなく、三千万になる予定だ』と告げる。そうすると、話をもらった『予定採択者』は、最初から三千万円の計画を立ててくる」


「その差額の二千万を古藤先生が自分の口座に? 莫迦な。そんなことをしたら財団の支出記録を見ればすぐに足がついてしまうじゃないか!」


 持田は興奮した様子で谷崎に喰ってかかる。


「まさか。そんな不用心なことを古藤がすると思いますか? 彼は財団や自分の所属する大学に、財団からの入金記録が残らないために細心の注意を払っていました。そのための仕掛けがさっきの『三千万のトリック』です。もちろん、これは財団関係者の協力がないとできないことではありますけどね」


 そういうと谷崎は天城の顔を見て寂しそうに笑う。


「古藤の言葉を受けて予算が三千万だと思い込んでる研究者に、まず三千万の採択通知を送る。次に、古藤とその協力者は財団の資金を使って、いつも通り満額の五千万を交付する。

 ……すると、それを見た研究者は慌てて財団に連絡をする。そこで古藤達は『手違いで申し訳ない。二千万の返還をお願いします』と研究者の所属する大学の事務にお願いする。返還先の口座を指定すれば、この笹嶋生命科学研究振興財団の中に古藤清彦が『自由に使うことのできるお金』が溜まっていく……」


「しかし、谷崎先生。古藤先生はCRESTとか大型の研究資金も持っていた方です。そんな……言い方は悪いですけど、少額な研究費のためにわざわざ危ない橋を渡るようなことをするんでしょうか?」


 藤森が口をはさむと、笹嶋理事長がそれに答える。


「それは私から。この笹嶋生命科学研究振興財団研究助成金は通常の年は五千万ですが、数年に一度、ある特定の研究領域に絞った『重点課題特別研究』という公募を行います。その金額は一件あたり一億ですので、おそらくはその際にはキックバックの金額を上げていたのでしょう。

 ……そして、谷崎先生がおっしゃっていた『財団側の協力者』というのは、私の父とその腹心の部下たちです」


 しばらくの間、沈黙が続く。


「谷崎先生。あなたはこれを告発するために、この『鹿児島県固有希少疾患患者から採取したiPS細胞を用いた疾患メカニズム解明』という申請書を書き、自分と付き合いのある研究者に渡して今回のことを計画した――そういうことなんですね? ひょっとしてあなたは、古藤清彦氏の死にも何か関わっているのではないですか?」


 刑事の山田が谷崎に尋ねると、「まさか。あれは純粋に交通事故だと思いますよ。古藤先生は車の運転それほど上手ではなかったですし、それで免許を返上したくらいですからね」とおどける。



「でも、先生は事故の前に今回のことを古藤先生に知らせていましたよね?」



 天城がそういうと谷崎は驚いたような表情を浮かべ、「どこでそれを?」と聞き返す。

「弓削から聞きました。古藤先生が突然訪ねてきて、昔の申請書を見て慌てて戻られた、と」

「まぁだからと言って、俺が古藤先生が死ぬように仕向けたとはならないだろ? あれは不慮の事故だよ……それに俺としても彼には生きてこの場に出てきて、罪を認めてほしかったと思っているのだからな」

 谷崎はもう一度胸ポケットから煙草を取り出すと、火をつけ、一度だけ大きく吸って吐く。それをテーブルの灰皿に押し付けて消すと、ゆっくりと天城の方に向かって歩き出す。


「修平。お前はこの事件をどう見る?」

「どう? 古藤先生の長年の不正を、先生が手の込んだやり方で告発したということではないですか?」

「はははは。お前は変わってないなぁ。実験の勘もいいし、論文もよく読むし、よく書く。それでいて人当たりも良くて、美人の彼女もいた」


 谷崎は優しく藤森に目をやる。


「しかし、お前の決定的な悪い癖――というか弱点は『見切りの早さ』なんだよ。実験データがある程度溜まると、それを元に『こういうことなのか』という不完全な結論を勝手に作って、それを元に見切りをつける。でも、その実験データはまだ取り終えてない不完全なもので、結果、凄くゴールに近い位置にいながら、もたもたして、CellやNature、Scienceといったジャーナルに載る仕事を逃す……前にも注意したはずだけどな」


 そういうと会議室の窓を開ける。入り込んできた風で白髪交じりの髪が揺れる。



「修平。何故、俺はあのタイトルで告発を行った?『鹿児島県固有希少疾患』とは何だ? そして―――古藤はあの金で何をしようとしていたんだ?」


 天城も藤森もハッという顔になる。それを見た谷崎は、もう一度にっこりと、まるで昔のまま、自分の教え子に諭すように続ける。



「修平、そして藤森君。古藤が何をしようとしていたのか、そして『鹿児島県固有希少疾患』とは何なのか、まだこの話は終わっていない。二人で協力して最後まで突き止めなさい。そして、出来ることならこの話が悲しい結末になる前に、お前たちの手で止めてほしい。


 ――お前たちなら出来ると信じているよ」



 そう言い終わった瞬間、谷崎の身体は財団ビルの窓から空中に消える。


 すぐに会議室内と階下で悲鳴が上がり、その結末がどういうものであったかを告げる。山田が怒号とともに会議室を出て、携帯でどこかと話しながらビルの一階を目指して走る。天城はとっさに谷崎が身を投げた窓と藤森との間に入り、自分の胸に藤森の顔を押し付ける。

「修ちゃん……あ……た……たに…………」

 言葉がおぼつかない藤森に「しゃべらなくていい」とだけつぶやく。他の二人の大学教員と財団理事長も驚き、うめき声を上げている。天城は藤森の身体を引き寄せたまま、その頭に手を置き険しい顔で谷崎の最後の言葉を思い返していた。





 一か月後、国立古都大学 大学院理学研究科生物科学専攻 天城准教授研究室。


 谷崎の死や古藤のことに関するワイドショーの勝手な報道も落ち着いてきたころ、山田刑事が天城の研究室に訪ねてきていた。天城の研究室は古都大学大学院の中でも最も古い建物にあり、廊下は薄暗く、居室の天井は配管がむき出して、今にも落ちてきそうである。

「……というところです」

 山田刑事の説明を聞いた天城が頭を掻く。

「谷崎先生がゴーストライターとしてこれまでの一連の不正の申請書を作っていたとはね……」

「私も調べてみて意外でしたよ。谷崎が、古藤が行っていた不正を義憤から告発しようとしていたのかと思っていましたからね。ところが、彼はむしろ不正のために古藤が最初に渡す偽の申請書を毎回作っていたのですからね」

 山田はそういうと一瞬溜めを作ってから、本題に入る。

「それで、天城先生。彼の最後に言っていたことは?」

「ああ、古藤先生の『やろうとしていたこと』でしたっけ」

 そうです、と山田が手帳とペンを取り出す。

「まだ、これからですよ。彼女には、ショックが大きかったみたいで。谷崎先生も言っていましたけど、俺一人では早とちりする可能性高いですからね。もう少し待ちます」

 ふーと息を吐いて手帳をジャケットの胸ポケットにしまいながら、「そうですか」と山田がいう。

「それではご報告までと思っただけでしたので、私はこれで」

 「ご苦労様です」と山田を見送る。


 天城の研究室から一番近くのエレベーターの前まで来ると、山田は何かを思い出したように振り返って声を上げる。


「あ、そうそう! 言うの忘れてました!! あったんですよ、鹿児島県に!」

 突然の大声に「何がですか!?」と天城が驚いて返す。




「古藤清彦の『もう一つの』研究室ですよ!」




(続く)

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