第4話 誰が古藤教授を殺したのか 中編



「谷崎先生、あなたですよね」



 会議室に居る、持田、長谷川、山田が「ええ!?」と大きくどよめく。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。天城君、谷崎さんはiPS細胞の計画以外のものを選出したじゃないか! それとも、その計画書もそのサマースクールに来ていた人物から出されていたとでもいうのかね!?」


 突然同じ審査員の名前が出たことに焦った持田が天城に尋ねる。


「いえ、違いますよ。あの計画書は谷崎先生とはまったく関係のない方が出されたものです。ある意味、本当の研究申請書と言えるでしょう。古藤先生を含めて僕たちが選んだあの申請書は、谷崎先生が書いたニセモノなんですから」


「では、谷崎先生が不正行為を行ったとでもいうのかね、君は! だいたい谷崎先生があの申請書を書いたという証拠でもあるのかね」


 続けて長谷川が怒りを滲ませながら言う。


「証拠ならあります。僕と藤森先生は、皆さんもご存じのように古藤先生の研究室出身です。そして、これはあまり知られていないことでもありますが、谷崎先生も古藤研究室で教員を――助教をされていたんです。僕がまだ博士号取り立てのただのポスドク(博士研究員)だった頃ですが」


 山田が時々紙がよれてしまうような勢いで手帳に文字を書き込んでいく。そして、「それが何の証拠になるのか!」と長谷川や持田が言うと、確かにとつぶやく。


「僕と藤森先生、それに谷崎先生が古藤研究室にいた頃に僕と一緒にポスドクをしていた弓削という医者が小田原に居ます。彼女は当時、古藤研究室で古藤先生ではなく、谷崎先生について研究していたただ一人のスタッフです。

 皆さんは古藤研の内部はわからないでしょうけど、当時――おそらく今も――古藤研究室には准教授や講師といった研究室を主宰する教授の下でその業務を補助する、あるいは独自のテーマで教授に准じた研究活動をするという人材はいません」


 天城は言葉を選びながら、丁寧に説明を続けていく。


「古藤研究室は、古藤清彦という一人のビックボスと、実際に実験データを出す手足となるポスドクや学生を数名束ねてチームを作り、その面倒を見たり、管理をするために各チームに一人ずつ助教を置くというシステムになっています。

 この体制では、古藤先生の進めようとする研究に対して、各チームがそれぞれ別の角度から競うようにデータを出してきて、結果として皆さんご存知のように古藤研究室の高い生産性が維持されています。一方で、この体制は批判的な意見を古藤先生に言う人がいないため、古藤先生の仮説に合わない主張をするチームリーダーや、なかなか実験データの出てこないチームはすぐに入れ替えられることになります


 ……谷崎先生もその一人です」


 そう言って天城が谷崎を見ると、ははっと苦笑する。


「となると、そこの谷崎先生が怨恨で古藤氏を殺害した――と先生は考えておられるのですか?」

 割って入って来た山田を、天城は「そうではありません。今は今回の経緯を振り返っているだけです」と制する。

「古藤研究室の助教たちは短期間で成果を上げて、もっと安定した教員ポストを得ようと皆必死でした。だから、学生やポスドクについても、まるでモノのように扱う人も少なくなかったんですが、谷崎先生はチームの違う僕や藤森先生の相談にも乗ってくれたり、実験の方法やデータのまとめ方、それに研究費申請書の書き方も教えてくれました……」

 谷崎は目を伏せ、腕を組んだまま黙っている。天城はそれを見て、昔の恩師に語り掛けるようにゆっくりと話す。

「先生、僕や藤森、それに医学部から古藤研究室に来てた弓削に学振(日本学術振興会)の特別研究員の申請書の書き方教えてくれたのを覚えていますか?」

「ああ、もちろんだとも。君や藤森君、それに弓削君は特に優秀な学生だったからね」


「……弓削に会ってきました。そこで、弓削が持っていた、先生が以前に書いた研究申請書を見せてもらったんです。彼女、物持ちは異常に良かったし、原本はなくてもコピーは持っているだろうな、と」


 谷崎は目を閉じ黙っている。


「その中に、今回のiPS細胞を用いた研究に近いものがありました。もちろん、まだiPSなんて見つかっていない時のものですし、まるっきり同じものではないですけど、研究計画を細かくサブテーマに分けて、それぞれのサブテーマの説明では、まず最初に明確な目標を書いて、次にそのための方法を説明する。サブテーマごとの説明の最後には、必ず上手く行かなかった場合の対処方法を書いておいて、統括欄ではそれぞれのサブテーマごとの関連を具体的な条件などを示して明確化しておく。費用の積算は出来る限り正確にする……僕や藤森が先生から教わった『申請書の書き方』が全部含まれているような、そんなよくできた計画書です。おそらく先生は、この計画書を下書きに今回の計画書を作って、サマースクールで知り合った若い研究者たちに渡した――そうですよね?」


 谷崎はまだ黙ったままでいる。「ちょっと待ってくれ」と持田が手をあげる。


「谷崎先生の過去の申請書と、今回のiPS細胞のプランがよく似ていたのは分かったが、それは谷崎さんが今回の申請者たちにその申請書を渡したという証拠にはならないし、それに冒頭の理事長の話ともつながらない……いや、そもそも結果的には今回のグラントは北門大学の『マイクロ流路を使った新しい血液検査デバイスの開発』に決まっているわけだし、仮に谷崎さんが不正行為を行っていたとしたら、一体、何のメリットがあったというんだ!?」


 谷崎は黙ったままで、山田刑事は持田先生の意見に「なるほど」と頷いている。天城は会議机の上に置いてあった自分の手帳を開くと、藤森に頼んでいた調査の結果を記したメモをもう一度見る。その後で会議用のテーブルの上に置かれていたお茶で唇を濡らすと、呼吸を整えて、結論を言うために息を吸う。


「持田先生、長谷川先生。今回の事件は、ある『重大な不正行為』の結果として起こったことであるは確かです。ただ――その不正行為を行ったのは、谷崎先生でも理事長でもありません。別の人物です」


 会議室がざわざわとどよめく。


「……天城君、いや昔のように『修平』と呼ぼうか。本当に君は優秀で、何故あの時、僕のチームに居なかったのか、そう思うと世の中の不条理を感じることもあるよ」


 谷崎はゆっくりと立ち上がる。


「いや、もちろん弓削君が才能がなかったと言っているわけではないんだけどね。修平に藤森君のいた島取先生のチームが羨ましくもあったということさ」


 ため息交じりにそういうと、「吸っても?」というので、笹嶋理事長が「ここは禁煙ではないですから大丈夫ですよ」と答える。上着の胸ポケットからラクダの絵が描いてる煙草を取り出して、それに火をつける。


「……修平、もう煙草は吸わないのか?」

「ええ。もう随分と前に」

「そうか。お前がミニスターの細長い箱をデスクの脇に置いてたのがついこの間のように思い出せるよ」


 天城は「なんで、こんなことを?」という疑問を口にしても、自分の予想と同じ言葉が返ってくるだけだとわかっていて、それをあえて言わないでいた。藤森も黙って椅子に座っている。刑事の山田だけが焦れたように、カチカチとボールペンの頭を叩いている。


 やがて煙草を吸い終わった谷崎が、天城に目配せをする。



「……今回の件は、古藤先生が長年行ってきた研究費申請に関する不正行為を告発するために、谷崎先生が仕組んだものです」


 もう一度、会議室がざわつく。何も知らない審査員と山田は、「そんな!」とか「何故そんなことを」などと声を上げる。


「僕は今回の事件を受けて、この笹嶋生命科学研究振興財団の研究助成について、設立当初分から昨年までの採択された研究計画や審査状況を調べました。設立当初の数年間、これはまだ創立者である笹嶋元治 博士が理事長を務めておられた期間ですが、この時には古藤先生はこの助成金の審査には関わっておらず、また古藤研究室の計画が採択されたこともありません」


 天城が淡々と事実を述べていく。


「しかし2000年に笹嶋元治 博士が亡くなり、理事長がその息子さん、つまり今ここにおられる笹嶋理事長のお父さんになったと同じ時期に、古藤先生が審査員として参加するようになります」


 持田が手を上げる。


「その経緯はわかるが、それが古藤先生の研究費申請の不正行為とどう結びつくのかね。去年も一昨年も私は参加しているけど、古藤研からの研究計画は採択されていないぞ?」

 長谷川もうんうんと頷いている。

「そうですね。古藤先生が審査委員長になってから10数年間、学生向けの海外渡航助成金を除いて、古藤研究室は一度もこの財団の研究費を獲得していません」

 「だったら、どうして」と持田、長谷川、それに山田が追及すると、天城はもう一度テーブルに置いてあったコップのお茶を口に含み、続きを話す。

「先にそちらから話してもいいんですが、まず『誰がこの告発を思い立ったか』から、明らかにしましょう。それはもちろん、谷崎先生なわけですけど」



「皆さん、この財団の審査過程をよく思い出してみてください。谷崎先生の告発が今回のように成功するには、一つだけ、どうしても本人以外の協力が必要な点がありますよね?」


「理事会での事前審査……」

 藤森がつぶやく。元々は彼女が最初に気付いた点でもある。

「そう、理事会での事前審査があるのであれば、今回のように同じ内容の複数の申請書が二次審査用に私たちの手元に返ってくるわけがないんです。つまり、これは――」

「理事長が谷崎先生の協力者……」

 藤森のつぶやきに天城が頷く。

「その通り。谷崎先生の今回の計画をあらかじめ知っていた理事長は、理事会での事前審査をスキップして、複数の計画書をそれぞれの委員にもう一度返したんです。というか、谷崎先生の作ったニセの計画書たちが同じ審査員にダブって回らないようにしないといけないわけですし、理事長の関与は最初からってことなんですけどね」

 天城が笹嶋理事長の方を見ると、腕を組んだまま目を瞑っている。


「さて、ここからが本題です。笹嶋生命科学研究振興財団研究助成金の審査規定を見ると、審査委員長である古藤先生は理事会での審査に加わることになっています。ところが、今回はスキップされたわけですから、審査委員長である古藤先生は不審に思って何らかのアクションを起こすのが通常の対応だと思います。ところが古藤先生は何もしていません。まるで――」


 天城は谷崎を見る。谷崎は穏やかな顔をして天城の次の言葉を待っている。


「まるで、理事会での審査がスキップされるのが常態化しているのを当然知っていたかのように」


 今度は長谷川が、「ちょっと待ってくれ」と声を上げる。天城はそれをさえぎって続ける。


「私は採択研究計画とともに2000年以降の審査会の議事録も調べました。審査委員会での議事録は残っていましたが、理事会での審査の記録は2000年以前のものは残っているのに、理事長が交代した後はただの一回も残っていません。おそらく、2000年以降は何らかの理由をつけて、一度も理事会での審査を行っていないのでしょう」


 審査員たちは「何と……」と唸っている。


「持田先生、長谷川先生、それに藤森先生。この状況で何が起こるか想像できますか?」

 天城がそれぞれの委員に話かける。持田、長谷川はぶんぶんと頭を横に振る。藤森だけが眉間にしわを寄せ、険しい表情のまま口を開く。



「二次審査に進む予定の研究計画を、古藤先生だけは一次審査後に作成することができる……」



 藤森の唸るような言葉に天城と谷崎、そして理事長を除く全員が注目する。天城は一呼吸おいてからその続きを話し始める。

「そう、理事会による審査が毎回スキップされることを知っていて、かつ審査員でもある古藤先生だけは、一次審査後のタイミングで申請書を提出することができるんです。『これが私が選出した申請書です』と言ってね」

 天城がそういうと、持田、長谷川、藤森はそろって項垂れる。それほどこれまでの古藤清彦の人物像が清廉潔白で、科学というものに正直なイメージだったのだろう。三人は一様にショックを受けているように見える。


「ここまでは、古藤先生が『やっていたこと』の推測ですが、では、何故そんなことをしていたのか、という点を――」


 そう話そうとしたところで、意外にも理事長が「その点は私が」と天城に声をかける。窮屈そうに座っていた椅子から立ち上がると、癖なのかもう一度額の汗をハンカチで拭き、ゆっくりと話し出す。


「私がまだ会社員をやっていた頃に、父からこの財団の理事長を引き継ぐように言われて、初めてこの『財団ビル』を訪れた時のことです。そこには古藤先生と研究助成金の事務を担当していた年配の事務員が居て、審査の流れを丁寧に説明してもらいました。最初の印象は、『思ったより楽だな』でした。すべて審査員の先生方が計画書について審査してくれて、あとは事務方のチェックがあって私は印鑑を押すだけ――そう気楽に思っていました」


 山田は理事長の話に食い入るように耳を傾け、やはり手帳が破けるのではないかというくらいの勢いでペンを走らせている。


「私がそのことに気付いたきっかけは、祖父の作った会社の役員の方からのまったく関係のない依頼です。その方は祖父とともに会社の設立にかかわった方で、『社史を編纂したいので、笹嶋元治氏の資料を見せてほしい』という要望だったのですが、そこで私は偶然にも祖父が手帳に書き記したこの財団に関する書き置きを目にしました。


 そこには、審査委員を決めるために色々と悩んだような形跡があったのですが、はっきりとした文字で『古藤清彦』という名前に大きくバツ印がつけてあって、その横に『研究資金に関して不透明な部分あり』と。それで私も気になって審査の規定や審査記録を見直していったのですが……」


 そこまで話したところで、今度は谷崎が右手を挙げ、「ここからは俺が話しましょう」と言って立ち上がる。そして天城に向け軽く微笑むと、ふうと一息つく。




「率直に言うと、古藤清彦の目的は――この財団内に莫大な『預け金』を作ることです」




(続く)

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