第3話 誰が古藤教授を殺したのか 前編


三、 財団ビル十階 笹嶋生命科学研究振興財団 会議室


「……まずは今回の趣旨を説明してほしいですね」


 谷崎先生が再度集まった財団の会議室で、ホワイトボードの前に立つ天城と藤森に向かってそう言う。天城のすぐ脇の椅子にはあの刑事が、そして反対側の藤森の傍には財団理事長も座っている。一方、会議室の入り口側の椅子には、谷崎、持田、長谷川の審査員たちが座っている。


「ええ、そうですね。もう一度先生方にお集まりいただいたのは、今年度の笹嶋生命科学研究振興財団研究助成において、不正行為が確認されたためです」


「不正行為だって!?」


 研究者という生き物は、例外なく『不正行為』という言葉に敏感である。

 例えばありもしない実験データの捏造や改竄、他人の論文の文章を盗むような剽窃、研究費の不正流用や着服など、そのすべてが自身の研究者人生を一撃で破壊するような厳しい罰則が設けられているため、一度不正行為に手を染めてしまうと、同じ研究業界に戻ってくるのは、ほぼ不可能に近い。その刺激の強い言葉に、藤森を含めた列席している研究者がひどく動揺している。ただ一人を除いて。


「……確証はあるんだよな」


 一人だけ落ち着いたままの人物が、そう天城に尋ねる。天城は目を閉じて、自分を落ち着かせるように息を吸ってから、吐き出す。


「もちろんですよ、『先生』。思いつきや確証の少ない段階では強い言葉は使わない、使うときは十分なデータを集めてから――そうでしょ?」


 天城がそういうと、言葉を向けられた人物がにこっと笑みを浮かべる。

 刑事の山田が手帳を取り出しメモを取る準備をしたうえで、ICレコーダーのスイッチを入れる。笹嶋はこの前の会議の時と同じように、額の汗を拭いながら、天城の方に注目している。


「不正行為というのは、もちろん研究費申請についてです。あの『鹿児島県固有希少疾患患者から採取したiPS細胞を用いた疾患メカニズム解明』という研究計画について、誰かが複数の申請者に手引きしたのは間違いありません。

 その裏どりのために、藤森先生がそこにいる財団理事長や他の理事、それに実際の申請者に話を聞いてきてくれました……もっとも、申請者の方々は口を割らなかったわけですけど」


 天城はそう言うと藤森に目配せをする。藤森は小さく頷くと、自分が調べてきたことを話し出す。


「まずは理事長と理事に、一次審査のあとから二次審査の前に行われる理事会での審査について、問いただしました。もし、通常通りの審査が行われていたのであれば、この段階で少なくとも異常に気付くはずです。結果は……そこにいらっしゃっている理事長が各理事に『今回は時間が押しているため、理事会審査を省く』という連絡をしていました。つまり、私たちの一次審査後にすべての申請書を受け取った理事長が、意図的に理事会を開くのを中止している、ということになります」


 藤森がそう言うと、山田が一瞬驚いたような顔をした後で、キッと笹嶋を睨む。笹嶋はそれに反応することもなく、腕を組み、目を閉じている。


「次に私は同じ計画書を出していた東京都の二人の研究者に会いに行ってきました。結果は先ほど天城先生がおっしゃった通り、何も教えてもらえなかったんですけど、その二人、それと直接会いには行ってませんが北海道のもう一人の研究者のホームページの情報を見て、『ある共通点がある』ことに気付きました」


 藤森が続ける。


「それは、この三人ともある科研費(科学技術研究費助成事業)の研究班が行っているサマースクールに参加していて、その三日目にある発表会で『優秀発表賞』をもらっていることです。賞と言っても小さな内輪の会のものですし、対外的にはなんの影響もないようなものですけど。

 でも、直接会いに行った二人の研究者の研究室にはその時のポスターと一緒に優秀発表の賞状が貼りだされていて、もしかしたら、ともう一人のホームページを確認しました。そして、愛知県の若い女性研究者については、賞は取っていなかったんですけど、電話でそのサマースクールに参加していたのを確認しています」


 藤森はそこまで話すと悲しげな表情で、天城の方を見る。天城は黙って頷くと「ここからは僕が」と藤森を椅子に座らせる。


「……今回の事件は、ある研究者が、サマースクールで出会った比較的若くて、まだ充分な実績を持たずに苦労しているような研究者を唆し、この笹嶋生命科学研究振興財団の研究費の審査会を妨害しようとしたものです。そしてこの研究計画は彼らが書いたものではありません。これは――」


 天城はまだ落ち着いた表情でこちらを見ているその人物をじっと見つめ、次の言葉をしっかりと吐き出す。




「谷崎先生、あなたですよね」




(続く)

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