第2話 再開された二次審査会
二、 再開された二次審査会 会場
審査員長であった古藤先生が亡くなったために延期されていた笹嶋生命科学研究振興財団の研究助成金の二次審査会が、古藤先生が亡くなったちょうど一カ月後に財団ビル十階の会議室で再開された。
天城と藤森、持田、長谷川に前回は欠席していた谷崎が席についている。それと今日は財団の理事長である笹嶋も窮屈そうに椅子に座り、額の汗を拭いている。全員が揃ったところで、笹嶋が切り出す。
「えー……この度は、その、大変なことになりましたが、亡くなった古藤先生のためにも、と申しますか……その……本年度の財団助成金を早急に決定いたしたく、お集まりいただいた次第です。皆さまお忙しいとは思いますが、その……できれば財団としましては、本日中の結論をいただきたく……」
この財団の創立者である故・笹嶋元治 博士は、研究ばかりではなく商才や政治的な手腕にも長けていて、一代で財をなした人物だと言われている。だが、目の前の博士の孫の話ぶりをみると、その才は少なくとも孫には伝わっていなかったんだろうと思ってしまう。
「理事長、ちょっといいですか?」
理事長の話をさえぎって、藤森が手を上げる。
「メールでもお伝えしましたけど、今回のこの助成金の申請書で少なくとも五通、同じタイトルと要旨で申請が上がってきています。通常、このような偶然は起こらないと考えられますが、一次審査の後、理事会でもこの五通を確認されたのですか?」
そう話すと、前回の事情をあまり把握していない谷崎が「え、何の話?」と聞き返す。
「実は私と他の四人の先生が選んだ別々の申請書が、タイトルも要旨もまったく同じでして……あ、そういえば谷崎先生はどんな申請書を推薦されるおつもりだったんですか?」
今度は逆に藤森が谷崎に尋ねる。
「うん? 僕のは――ほら、これ。マイクロ流路を使った新しい血液検査デバイスの開発ってやつで、申請者は北門大学工学部の助教の先生だね。ちょっとアイデアとしては古臭いけど、予備実験のデータも充実しているし、医学部との連携もできてる。ホームランではないけど、二塁打って感じのいい計画だと思って」
谷崎はそういって申請書のコピーをテーブルに提出する。
「そう言えば、みんなが選んだ申請書が偶然一緒のタイトルや内容だったとして、君たちはそれぞれ何でその申請書を選んだのかな?」
今度は谷崎が他の四人に聞き返す。
――と、その瞬間、会議室の扉があき、あの日、古藤先生の訃報を告げたのと同じ財団職員が誰か別の人間を伴って入ってくる。
「警視庁の方をお連れしました」
そう事務的に話すと、それではと財団職員は会議室を後にする。
「警察? 何で?」
天城が思わず声に出すと、四十代くらいの髭面の男がぺこりと頭を下げ、それに答える。
「実は古藤清彦氏の死亡事故について調査をしておりまして。最後の目的がこの会議だとうかがったものですから、少しみなさんにお話を聞きたくてですね。財団の方に無理を言って時間を作っていただいたというわけです」
天城は、そんなの聞いてないぞ、とムッとする。横を見ると、藤森が小さな頬を同じく膨らませている。
「しかし、古藤先生は運転中の事故だったのでしょ? 何を調べているんですか?」
谷崎が山田と名乗った刑事に尋ねる。
「実はですね……これはまだどこにも発表していないのですが、古藤氏は六十歳の誕生日に運転免許を返上しているのですよ。奥様にも話をうかがいましたが、あの事故を起こした車は娘さんので、古藤氏はこれまでに運転したことはないそうです。それで不審に思いましてね」
会議室がざわつく。
「加えて古藤氏の体内からごく微量ですが睡眠薬と同じ成分が検出されています――いや、これは古藤氏が睡眠薬を日常的に使っていたせいかもしれないのですがね。いずれにしても、古藤氏の死は単なる事故ではない可能性もあるのではないかと」
山田はその巨躯に似合わずゆっくりと落ち着いて話しながら、会議室に居る一人一人の顔を値踏みするように確認していく。
「ほんの些細なことでも構いませんので、ここ最近何か古藤氏に変わったところがなかったか情報ありませんかね?」
もう一度山田が参加者を見回す。全員が下を向いて、声を出さない。
「……もし何か思い出しましたら教えてください。あ、審査会の邪魔になってしまいましたね。それで、今は何を話されていたんですか?」
「ああ、二次審査に上げた申請書を各々どのようにして選んだかを聞こうということになっていました」と谷崎が言うと、「ああ、なるほど」と山田は腕を組む。
「もし差支えなければ、私もお聞きしてもいいですか? もちろん、守秘義務は守ります」
天城と山田が理事長の方を見ると、それに気づいて「あの、その、こちらは別に構いませんが」と額の汗を拭いながら応える。
「……それでは、持田先生。先生があの『鹿児島県固有希少疾患患者から採取したiPS細胞を用いた疾患メカニズム解明』というプランを選んだ理由はなんですか?」
天城の質問に持田は腕を前で組んだまま答える。
「それはまずはタイトルと要旨のインパクト。鹿児島県固有希少疾患は鹿児島県でしか確認されていないまだ新しい希少疾患だけど、それを患者から採取した細胞をiPS細胞に誘導してから、各細胞に分化させて病態を解析していくという手堅い方法と組み合わせてたのも評価できる。それに研究者の業績から見てもオーバーワークに感じるような実験計画でもない――一つ一つがちゃんと根拠があって書かれている感じがして、これを推したんだよ僕は」
それを聞いていた長谷川がうんうんとうなづいた後で、付け加える。
「そうそう、僕も推した計画書もそんな感じ。あと足すとしたら、研究計画のサブテーマがそれぞれきちんと明確に定められてて、その一つ一つに上手く行かなかった場合のリスクヘッジもされている。一番関心したのは、『それぞれのサブテーマがどこまで達成できれば、次のサブテーマに移る』という目標設定が緻密なんだよ。それに各サブテーマに必要な機器や消耗品、人件費などの積算も極めて的確で、僕の読んだ申請書は愛知県の若い女性の助教の先生の計画だったけど、もう十分な場数を踏んできたような――そんな経験に裏打ちされた洗練さがあったんだよな」
天城と藤森はその二人の話を聞いて、思わず目を合わせる。藤森が軽く頷く。
(そうだ、俺が感じていた違和感はこれだ。俺たちはこの申請書の『癖』を前から知っている。これは……)
そして、その二人の様子を、刑事の山田がじっと見つめているのだった。
「では、今日の二次審査会は散会します。皆さま、お忙しいところありがとうございました」財団の理事長である笹嶋が額の汗をハンカチで拭きながらそう告げると、審査員たちがそれぞれの帰る場所を目指して移動する。
天城と藤森は無言のままエレベーターに乗り、入り口のゲートで臨時カードを返してそのまま駅に向かう。途中で、持田や長谷川、谷崎に挨拶をしただけで、それ以外のことは一言もしゃべっていない。
「修平さん、あの……」
藤森が沈黙に耐え切れずに話し出す。天城は藤森の方を見ずにそれを制する。
「三雪、気付いてるか? ……後ろ。あの刑事がついてきてる。今は何もしゃべるな。話は新幹線のホームで。新横浜までの切符を買って中に」
小さく「わかった」と藤森が言うと、天城は手提げカバンの中からスマートフォンを取り出し、どこかに電話を掛ける。しばらくしてから出た相手に少々大げさな感じで話し始める。
「あ、弓削ちゃん? ちょっとさ、見せてほしいモノがあるんだけど。えっと、俺が古藤研究室に居た頃の……そう、ちょうどこっちにいるし、そっちに寄る。じゃぁ、十七時過ぎにはつくと思うから」
そう言って電話を切ると小声で「十六時の下り、こだま、十三号車」とだけ告げて、正面の駅の入り口ではない方に向かう。一方で、藤森はそのまま駅の中に入っていく。
新幹線ホームのこだま671号の十三号車が止まるすぐ近くの待合室で、藤森がちょこんと座っている。元々の小柄な体格と着慣れていないスーツのせいで、就職試験帰りの女子大生のようになっている。天城が何も言わずに横に腰掛ける。
「……なんかさっきの、昔、研究室で付き合ってるのを隠してたときみたいだったね」
「うん? ああ、そんなこともあったっけ」
天城は特に気にせずに買ってきたペットボトルのお茶を呷る。しばらくの沈黙の後で、何か言いたそうにしていた藤森をさえぎって天城の方から切り出す。
「あれ、確実に『先生』の計画書だな」
「……ええ、多分」
また重苦しい沈黙が流れる。
「刑事が追ってきてたってことは、ある程度、警察も申請書の方に興味を持っているということだな……それと古藤先生の死にも関わってると考えるのが自然だ」
「そう――でしょうね。古藤先生は事故死ではなく、おそらく……」
そこまで言うと藤森が下を向く。新幹線のホームは行き交う旅行者の言葉やホームの案内音声、それに新幹線の出す音でガヤガヤと賑やかで、おそらく自分たちに関心を持って聞き耳と立てている物好きなどいないだろう。あの刑事もJR線から新幹線の乗り換え口で巻いてきたので、少なくともしばらくは追ってこないだろう。
「……さっきの電話、本当に弓削さんのところに行くの?」
今度は藤森から切り出す。
「ああ。調べたいものがあるのは本当だ。あの刑事が来るまでに押さえておきたいものでもあるし。それに……」
「それに?」と藤森が返す。
「仮に先生がこの申請書の事件に何らかの形で関わっていたとしたら、早めに手を打たないと。結局、グラントの最優秀賞はあのiPS細胞を使った研究ではなく、マイクロ流路を使った血液検査のやつになってしまった。このままじゃ犯人の思惑通りだ。申請書のことに気付いているのは俺と三雪、お前だけだ。だから――」
そう言って藤森の方を見ると、じっと手元の缶珈琲を見つめている。
「……私は弓削さんのところ、行きたくないな」
好奇心の塊のような藤森が珍しく消極的な素振りを見せたせいで、天城も「どうした」と驚く。
「弓削さんのところには一人で行って? 私は……私で少し調べることあるから」
そう言うとにこっと微笑む。何だったんだ、と少し違和感を感じながらも、二人はホームに入って来たこだま671号に乗り込む。
途中の新横浜で藤森と別れ、天城は十七時一分に小田原で降りる。新幹線口から駅の外に出て戦国武将の像をぼんやりと眺めていると、「天城君!」と少し離れたところから聞きなれた女性の声がする。
見ると、やや茶色い髪を短く切りそろえた女性が急いで出てきたのか白衣のまま手を振っている。
弓削佳織は、天城と同じ時期に東都大学の古藤研究室で働いていた元同僚で、現在は故郷の小田原で勤務医をしている。天城とは違い医師免許を持っていて、そのため同時期にポスドクとして古藤研に入ったものの、歳は少し上ということになる。ただ、昔から同僚ということで、敬語を使ったりもせず、普通に接してきた。
「天城君、久しぶり! 古藤先生の還暦祝いの会以来だから……もう三年振りかしら? 元気だった? あ、そうそう結婚相手見つかった?」
歳の近い元同僚ということもあってか、余計なことまでべらべらと聞いてくる。まぁそれほど嫌な気もしないのだが。
「まだ全然だよ。それより、来る前に頼んでたもの、あった?」
天城がそういうと、弓削は「ああ、あったよ……でも、こんなものどうするの?」と紙の束をいくつか渡す。
それを「ちょっとね」とはぐらかして、ペラペラと何枚かめくる。一つの研究費申請書のタイトルページにたどり着いた瞬間、天城の動きが止まる。
「……弓削ちゃん。俺の前にこの資料を誰かが確認に来なかったか?」
天城が険しい表情でそう聞くと、驚いたように弓削が答える。
「何で知ってるの? そうなのよ、だから天城君が『それを見たい』って言った時に驚いたの。もう十何年も前のものだし、正直、そんなものに価値なんてないと思ってたから。それを天城君の前に見に来たのは―――」
(続く)
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