第4話 黒鋼のミッション
1
予定より二週間あまり長い、一ヵ月半の海外での仕事を終え、明津は日本にもどってきた。東南アジアの陽光と熱気に、肌はすっかり黒く日焼けし、舌はタイ料理の香辛料に慣れ、手は多くの敵の命をほうむって血に飽きた。
拳銃を二丁、ダメにしたが、死をプレゼントして地獄に送った敵の数は、二十名を越える。背中や腹、手足にまた傷が増えた。
早朝の便で成田に到着し、渋谷区広尾にあるマンションの「自宅」で、彼は久しぶりにくつろいでいた。バスタブにたっぷりと熱い湯を満たし、まだ生乾きの傷がしみるのもかまわず、全身を流して入る。
入浴を終え、ベッドにもぐりこもうと、バスタオルで体をふいていると、電話が鳴った。出ると、このマンションの管理人だった。宅配便が来ているので、とりに来て欲しいという。オートロック式のマンションなので、荷物はぜんぶ管理人預かりとなる。
トレーニングウェアに着替え、玄関まで降りて荷物を受け取った。緩衝材入りのB5判の封筒だった。差出人は、「株式会社イースト・クラウド・プランニング総務課」になっていた。この会社は、特破本部が隠れみのに使っているダミー会社のひとつだ。品目には「宣伝資料」とだけ書いてある。
自分の部屋に戻って開封すると、平たいプラスチックケースに入った1枚のDVDだった。DVD再生機を内蔵したパソコンのディスプレイを起動する。通常操作で再生するが美しい世界じゅうの大自然や古代遺跡の観光案内画面しか出てこない。もちろん、万が一べつの人間が開封した場合を考え、解読できないよう暗号化されている。
パソコンを操作し、所定の解読プログラムを立ち上げて画像変換し、もう一度はじめから再生する。
明津は、その最初の画面を見て、忘れていた後味の悪さが、みるみる心に広がるを感じた。一ヵ月半、外国で少しも意識せずにいた現実が、帰国と同時に襲いかかった。
最初に出た画面は、真紅のバックにさりげなくタイトルが、拡大ゴシックの黒文字で書かれたものだった。
『天日由利香の訓練記録』
それを見た瞬間、彼は反射的に再生をとめて、黙り込んだ。このプラスチックのいまいましい円盤を、ただちに抜き出して捨てたくなる。タイでの仕事の達成感とその余韻が、みるみるそこなわれる。
これをよこしたのは、もちろん高倉の意志だろう。なんのつもりかは明津には分からない。ふたたび、再生ボタンを押す。
ディスプレイには、次々と天日由利香のおどろくべき訓練の様子が映りはじめた。撮影は克明で正確だった。
訓練のはじめは、「ステップ1」のタイトルのあと、基本的な体力測定だ。ベンチプレスをするが、二○○キロのバーベルを軽々と、なんの苦もなく、あおむけの状態で胸の上から、両腕でのばして持ち上げる。200キロといったら、オリンピック選手の重量あげで、メダルがもらえる。それも数十回もこなして、疲れるようすもない。
握力は左右とも100キロ以上で、プロ力士なみだし、背筋力もプロスポーツ選手でも、200キロを越えれば相当だというのに、彼女は300キロを越える。あまりに天日の力が強すぎて、両方とも計器が測定不能、つまり上限を越えたのだ。
また、腹筋をきたえるジャックナイフや、敏捷性をみる反復飛びなども、普通の人間の三倍以上の速さでこなしてしまう。その場で飛び上がり、壁ぎわに手をつく垂直飛びで、200センチ以上、飛び上がっている。世界的なプロのバスケットプレーヤーでも、120センチぐらいで、世界じゅうがびっくりしている。その様子は、とても「跳躍」などとよべない。長身のすばらしい女の肉体が、飛び上がり、ゆっくりと降りる様は「滞空」といった方がいい。
肺活量は、6800CC。プロ競輪選手たちの平均値をはるかに上回る。ふつうの人間なら成人男性でも4000CCぐらいなものだ。
百メートル全力疾走になると、さらに驚異的だ。八秒九八というとんでもない数字をだした。世界記録が9秒9や8ぐらいだから、はるかに凌駕している。
陸上競技の各種目のテストでは、画面のすみにストップ・ウオッチの数値が走る。恐るべき速さで、彼女は走り、飛び、投げる。ごていねいに、世界記録の水準の数値と比較して「測定結果」という、濃いピンクの文字を浮き上がらせる
走り幅跳び、世界水準8メートル以上に対して、9.5メートル。走り高跳びは、2.3メートルに対して、3.2メートル。砲丸投げの世界記録レベルは21メートルだが、彼女は30メートルを少し越えるぐらい飛ばす。槍投げにいたっては、オリンピック級は88メートルなのに、天日の腕は102メートルの数字を樹立してしまう。
水泳に関しても同じだ。陸上競技と同じく、きわめて信じがたいタイムを記録する。
まるで、スーパーマンもどきのSFかアニメを見ているようだった。そこで、動いている姿は「超人」そのものではないか。背中に、見えない翼が生え、見えない別の手足がついているのではないかと、目を疑うほどだ。
訓練映像は、「ステップ2」に進んだ。「柔道」「空手」「合気道」「剣道」などがはじまる。最初のうちは、屈強剛健な教官たちに投げられっぱなし、打たれっぱなしで、受け身も満足にできない状態が続く。
だが、それもはじめの数日だけだ。もともとが、信じがたい基礎体力と反射神経を持った女だ。次々と教官たちを投げ飛ばし、負傷させるようになる。むしろ、相手にけがをさせないように、投げ技や打ち込みの力を制御する方に、数倍の時間がかかったのがわかる。
「ステップ3」は、「射撃」の部門だ。リボルバーと自動拳銃の二種のピストルの射ち方からはじまり、散弾銃でのクレー射撃、ライフル狙撃、サブマシンガン、マシンガンの操作法を学び、各種銃器の分解組み立てを行う。
これも、最初のうちこそ素人のやり方で、見ていられないが、すぐにのみこんで百発百中に近い高成績をおさめるようになる。拳銃では、自動車のドアをぶちぬく強力火薬をつめたマグナム弾入りのリボルバーの方がなじむのか、自動拳銃より得点が高い。
また、銃剣はじめ、各種ナイフなどの刃物の使い方、管理方法なども、徹底的にしこまれる。
「ステップ4」は、各種の格闘技や射撃、ナイフ攻撃などを組み合わせた、より実戦的な訓練がおこなわれる。教官や、同じ訓練生たちとの、室内・野外・市街戦の三タイプの模擬戦闘が繰り返される。水中格闘も当然、課目の中に入っている。海中での夜間戦闘訓練までやっていた。
天日由利香による、教官・訓練生の死者が、ここで初めて出た。制御しきれずに暴走するパワーが、訓練であることを忘れ、やりすぎてしまったのだ。
「ステップ5」のサバイバル訓練は、陸上自衛隊の空挺団のレインジャー部隊と同じく、人跡のほとんどない奥地の山岳数百キロを、わずかな携帯食料と武器だけで踏破するというものだ。これも、日本海から中央アルプスにかけての三百キロを、由利香は五日間で踏破している。
そして、最後の「ステップ6」は、特破本部の超能力エージェントたちとの戦闘訓練だ。由利香は、念動使いやアポーツ能力者、テレパシストなどの武装エージェントを相手に戦うすべを学ぶ。はじめは、エージェントの能力に一方的にふりまわされ、何度も模擬弾頭を浴びせられ、着色弾で全身が真っ赤になった。
超能力者たちとの訓練は、やはりそれまでの肉体的技能を中心としたカリキュラムとはことなり、互角に渡り合えるまでには、かなり時間がかかったようだ。1から5までの各ステップは、三日から一週間ぐらいでマスターしたが、最後のステップ6については、二週間近くかかっている。
明津は、由利香がすべての訓練課程を終えて、新米エージェントとなるところで、再生をとめた。腕組みをして深いためいきをつく。
天日由利香は、訓練中に辛そうな顔や苦しそうな表情は、まったく浮かべていない。汗や傷や内出血のあざは、その白い肌に数限りなく浮かんでも、痛苦の表情はひとつもなかった。激しい訓練中も、冷徹で底深い沈黙に包まれ、目標を達成せずにはおかない不動の意志だけが感じられる。
白い整った美貌に、温かさや優しさ、女らしい繊細さ、母性的な柔らかさは、ひとつも宿らない。笑顔などというものとは、さらに無縁だった。ひたすら憎悪を糧として復讐を願う、シャープで冷酷な鋼鉄の意志が、すべての人間らしい感情を圧殺してしまったのだ。
明津は、今さらながら“メデューサ”への恐れを覚えずにはいられなかった。
だが、高倉がめざした「いまだかつてない戦闘力を持ったエージェント」の育成には、どうやら成功したようだ。
明津は、DVDの映像の最後に、高倉からのメッセージが入っているのを確認すると、ディスクをとりだした。今の情報を守るために、再生面にカッターで深い傷をでたらめにつけた。その上で、細かく粉砕し、ガス台の炎であぶって変形させてから、燃えるゴミに放り投げた。
高倉からのメッセージは「三日後、指定の時間まで、特破本部に来られたし」というものだった。なんのために呼ばれるのか、用件はいわれなくとも、明津には予想がつく。
2
指定された通りの時間に、特破本部の第二応接室にやってきた彼は、ソファに座って、高倉に顔を向けた。
「で、ここに呼んだ用件は?」
高倉は、いつものように背筋をのばした姿勢で、火のついた葉巻を手にしていた。
「会わせたい人物がいる」
やはり、そう来たかと思うが、顔にはださない。
高倉が、めずらしくちらと笑った。
「そういえば、きみは“気に入らない”といっていたな」
葉巻を持った指でインタカムを押す。
「高倉だ。天日くんを、第二応接室まで」
三分後、天日由利香がやってきた。ドアを開けると、固いブーツの音がゆっくりと近づき、全身、黒ずくめの彼女が、明津の前に立った。
その姿を見て、彼は、驚愕に声をあげそうになった。
二ヶ月近く前、明津は殺されて血に海に沈む悪夢を、連日のように見た。黒いライダースーツを着た長い黒髪の女に、大型ピストルで心臓を撃たれ、首と胴が泣き別れで殺される恐怖の夢。その死の女神さながらに美しい女が、今、悪夢から抜け出して、彼の目の前にいた。
彼女は、サングラスに見える濃いシューティンググラスをかけていた。目がどういう表情をたたえているのか、まるでわからない。つややかで量感のある長くさらりとした髪、通った鼻筋と、形のいい品のある唇、白い肌は変わっていない。
だが、そこに、女性のもつ、やわらかい華やかさを期待するのはまちがいだ。男に対する意図しない、女性らしい自然な情感や媚びのようなものごしも、見た目ほどある訳ではない。頑丈な刃物のようにとぎすまされた復讐心しかないのだ。
真っ黒な皮製で、肩や肘や膝にパッドのついたライダースーツをつけている。形よくつきだした乳房やくびれたウェストからヒップ、ふとももにかけて、みごとなプロポーションが、ぴっちりしたライダースーツに包まれてあらわだ。
その美しい均整のとれた肉体に、オリンピック選手もおよばない超人的な体力と、ためらうことのない復讐の意志が宿っているとは、だれも想像もしないだろう。
頭の先から、足首まで、女性の肉体美をそのまま表したような、その姿にも、ただ一点、そのバランスを崩す箇所があった。
左の脇の下に、大きなホルスターが釣ってある。そこから、黒びかりする大型拳銃の金属の地肌だ、茶褐色のみがきこまれた銃把が見えている。
高倉が、しらじらしいが一応、形通りに紹介した。
「すでに知っていると思うが、今度、特破本部一課に配属された新人の天日由利香くんだ。
改めて、こちらは明津祐次くん、嘱託でおもに二課の仕事を依頼している」
天日は、軽く会釈すると、向かいのソファにさりげなく腰をおろした。しぐさは、ごく自然だが、その実、まったくすきがない。一応、プロの身ごなしはできるようだ。
色の濃いシューティンググラスの奥の目がわからないだけで、彼女の全身から発するものは、見るものが見れば隠せない特徴をもっていた。固く乾いた重い雰囲気と、冷徹で微動もしない意志のもたらす迫力だ。
不安や動揺、迷いや恐れを、おそらくこの女は感じないだろう。超人的な体力を得たことで、他者に対する遠慮会釈が消えてしまったのか。あるいは“メデューサ”の副作用なのか。
由利香は、無表情のまま、唇を開いた。
「訓練中、ずっと聞きたかったのだけれど、そろそろ、教えてほしいものだわ」
高倉に訊いているのか、明津に尋ねているのか、どちらともつかなかった。
「何をかね?」
応じたのは高倉本部長だった。由利香は、高倉に顔も向けずに、固くひきしまった白い横顔のまま答えた。
「敵の組織の名前よ」
「名前などない。世界の裏で暗躍している連中だ。固定的な名前はもっていない。強いていえば、われわれが勝手につけた通称のようなものはある」
「それでいいわ。ないよりましだもの」
高倉は葉巻をくわえ、思い出したように告げた。
「“ナブコム”と呼んでいる」
「どういう意味?」
「“Nameless Aerial Vague Committee”つまり“名無しで空気のように曖昧な委員会”というふざけた略称だよ」
「空気のように曖昧なら、人を殺したり、企業を襲ったりはしないわ。NAVCOMね。よく覚えておくわ」
明津も“NAVCOM”という名前は、久しぶりに聞いた。そんな名前があろうがなかろうが、やつらが敵であることに変わりはない。
「おれも質問があるんだがな」
「なにかね、明津くん」
「この女性とは、まるで面識がないってわけじゃないが、所属がちがう。なぜ今、紹介する必要があるのか、その理由を、聞かせてほしいんだが」
高倉は、葉巻を指の間にはさんで、ゆっくり煙を吐き出してから答えた。
「一課と二課の連携作戦を、これから進めたいと思っている。特破本部の活動目的は、対人・対物・対組織の破壊工作と、カウンター・テロリズムにある。一課は既存の特殊部隊や諜報機関の活動のひとつである暗殺を受けもっているが、二課は“NAVCOM”の超能力テロの防止と殲滅活動が担当だ」
そんなことはわかっていると、明津は言おうとしたが、高倉は続けた。
「先回の本城パーリアでの戦闘で、敵の超能力部隊は、初めて超能力以外の手段による、大規模な破壊活動をおこなった。高性能爆薬による、あの種の破壊は、これまでにはなかった。これは、敵の戦術方針に、なんらかの大きな変化が起こったと考えられる」
明津は、ためいきをつきたい気分で、由利香の顔を直視しないように告げた。
「それで、一課と二課の連携作戦というわけか……何をやろうってんだ」
自分の膝の上に肘をつき、彼は高倉の答えを待った。
「すでに、最初の連携作戦は開始している。きみたちは待機して、指示された地区内で敵を確実に無害化してほしい」
明津は、拳をかためてテーブルをたたいた。
「おいおい、いつのまに、そうなってんだ。勝手に話をすすめてくれるじゃないか。おれはな、あんたの部下じゃないんだ。依頼を受けるかどうかは、こっちの判断だろが」
高倉は無言だった。天日も冷たく傍観しており、重く静かだった。
明津は、高倉をにらみつけた。吐き出すようにいいながら腰をおろす。
「……やってもいいが、ギャラは高いぜ」
「その件については、交渉の余地がある」
天日が、そのとき、さりげなくつぶやく。
「ひとりでもできるわ」
明津は、思わず腹が立ち、また腰を浮かしかけた。
「冗談じゃねえ! 敵がどんなに恐ろしいか、あれだけひでえ目にあって、まだわかんねえのか」
「だからこそ、ひとりでも殺(や)るのよ」
由利香はひたすら冷徹だった。奥底で凍りついた敵への憎悪と、復讐心だけで生きているのだ。
彼女がこっちを、何の情感もない目で、シューティンググラスごしに見つめているのがわかる。何を思ったか、彼女は、豊かな乳房がおさえつけられて盛り上がる胸のわきのホルスターに手をのばした。ばかでかいとしかいいようのない拳銃を、さっと抜き出し、テーブルの上にごとりと置いてみせた。
「この銃に誓って、ひとりでもやってみせるわ」
黒色に焼き付け塗装されたそれを見て明津は驚いた。全長三四センチ、重さ1340グラム。銃身がやけに長いルーガー・スーパー・ブラックホークだったからだ。米国の銃器メーカー、スターム・ルーガー社が1959年に開発した、強力リヴォルバー(輪胴式ピストル)だ。トリガーガードの後部、銃把側が角張っているのが特徴だ。
使う銃弾も、44口径マグナムで、車のエンジンを貫通するしろものだ。外国では、わりと一般的にリヴォルバーで使われる弾丸だが、もともと熊猟で補助用に使うほどの破壊力をもっている。普通のピストルは、発射したとき「パンッ」と乾いた破裂音を発するが、44マグナムになると、「ドーンッ」という轟音じみたものになり、反動(キック)も体全体で受け止めないと、後ずさりしてしまうほど強烈だ。
「女が持つような銃じゃないな……」
あの二ヶ月前の連日の悪夢が予知夢なら、明津はいつか、この強力きわまる44マグナムで、天日由利香に撃ち殺されることになる。
それは、早ければ明日かもしれない。こういう稼業に、死はつきものだ。恐れはしないが、明津にとってこの展開は予期せぬことだった。
死の運命の使者が、ついに現れたのか。彼の最期は、スーパーブラックホークの銃口から撃ち込まれる44マグナム弾で、もたらされるのかもしれない。しかも、味方であるはずの女に撃たれて。
その女もまた、あと半年の命だ。人生はたしかに、皮肉と悪意に満ちている。人は死を忘れて生きるが、死の方では、こんな風に、一度として、人間のことを忘れてくれたことはないのだ。
3
初の一課と二課の「連携作戦」は、明津から見れば、たいした仕事ではなかった。いきなり最初の実戦に駆り出された由利香でも、なんとかつとまるだろう。一課はともかく、二課など、明津ら嘱託を入れても、十人に満たない。それに比べて、敵の超能力者の層は、未確認情報だが、こちらよりはるかに分厚いはずなのだ。
彼は、高倉の命令で、特破本部からまわされた、ごく普通の白い乗用車に乗っていた。前方五十メートルには、由利香がいる。黒いライダースーツとヘルメットを着け、重い排気音を吐き出す750CCの大型バイクにまたがっている。
彼女から、目を離さないようにしながら、明治通りを北上し、池袋駅の東口の前に来ていた。このままなにごともなく北上すれば、北区王子にぶつかる。時刻は午後三時をまわっていた。駅前はいつものように、数多い信号と雑踏のせいで、渋滞ぎみだった。
これまでの作戦だと、現れる敵の数は、予測を超える場合が多いが、今回、明津と天日由利香が消すべき目標は二人組だ。それほど難しい任務ではなかった。
由利香はヘルメットの下に、こちらと通信をやりとりするヘッドセットを付けている。超能力者どうしの会話なら、テレパシイで間に合うが、そうでない相手には、イアホン型の超小型受信機と、襟ボタンに見せかけた送信マイクを使わねばならない。
ターゲットは、先日の本城パーリアを襲撃した連中の残党だ。すでに一ヵ月前から、一課があぶりだしを開始し、敵の動きを牽制しながら、追いこみをかけていた。明津が海外で活動している間に、マッコールを含めた二課が、テレパシー策敵で位置を知らせ続け、犠牲者をだしながらも逃走をはばみ、相手を弱らせ続けてきたのだ。
ターゲットの一人は念動力の使い手、もうひとりはテレポート能力者だ。ふたりとも、政府の極秘資料を盗みだしたり、要人暗殺を企て、ガス爆発や大停電、電車の脱線事故などを起こし、暗黙の脅迫をおこなってきたのだ。
そんな彼らも、今度は、「特破本部」の徹底した追いつめ作戦で、二日以上も夜昼とわず追われ、かなり消耗している。どこかに助ける仲間がいるはずだが、その干渉がおよぶ前に、すみやかにかたづけるのが、明津たちの仕事だ。あらゆる手段を用いて、「念動力」と「アポーツ能力」「テレポート能力」を持った敵を殺さねばならない。
実用性のある超能力は、犯罪者や破壊工作員にとっての強い味方、諜報や警察関係者からみれば、逮捕困難でやっかいきわまりない大敵だ。念力でものを盗み、アポーツで一瞬にして遠くへ送り、テレポートで現場から脱出すれば、警察どころか情報機関でもだしぬける。破壊活動になれば、その力にはあらゆる使い道がある。
だからこそ、数は少ないが、明津のように特破本部二課の仕事を、請け負う者が必要になってくる。
渋滞した車列の中から、前方五十メートルにいる天日由利香の赤いバックパックを負った背中に向けて通話する。
「どうだ、敵の車は。うごきはあるか」
イヤホンから、女の冷徹で沈着な声が響く。
(左車線、動きなし。八十メートル前方、渋滞中)
「これは、包囲してひきずりだした方がいいかもしれねえな……」
ひとりごちる明津の声を、由利香の冷めた声が断ち切った。
(いま、男が運転席から出たわ)
「女は?」
(降りてこない)
「男を追跡しろ。おれは女を監視する」
そのとき、百三十メートル先の敵の乗った車が、パッと白い煙を窓じゅうから噴いた。ドォーンという、腹にひびく爆音とともに、いきなり車が爆発炎上する。白い煙の尾をひいて、無数の破片がネズミ花火のように四方に散華する。真っ黒な煙に縁取られた炎の柱が、視界を圧するキノコ雲となって、瞬時に立ちのぼる。
車はシャシーの輪郭だけを止め、ガラスと金属のかけらを、相当に遠方までまき散らし、轟音とともに燃えあがった。ガソリンタンクに引火し、二度目の爆発が起こる。
歩行者の間から、悲鳴と絶叫があがる。不吉な爆発事故の発生に、雑踏の足なみは乱れ、ようやく動きはじめていた車列も、急ブレーキで次々に止まる。たてつづけに黒煙と火柱が上がって、呆然とする路上の群衆の度肝をぬいた。
明津は、爆発の意図を察知し、急いで車から降りた。現場に急ぎながら、名状しがたい緊迫感の中で由利香に命じた。
「めくらましだ。見失うな」
やつらは追いつめられていた。車を爆発させて注意をそらし、逃げまわる人々と、野次馬たちが集まる混乱を利用し、足止めしようというのだ。
明津は、心の中で激しくののしった。
(ケチな手をつかいやがって)
救急車とパトカーのサイレンが鳴り出す。泣き叫ぶ男女や子供の声が、わんわんと聞こえてくる。道路上の混乱はパニックを呼び、収拾がつかなくなっていた。
走って逃げる人々の群れと、さからって集まる野次馬どもがぶつかって、無秩序状態が渦巻く。車道といわず歩道といわず、前進をはばまれ、もみくちゃにされることおびただしい。
やっと現場に達したときには、爆発に巻き込まれて死傷した十数名の人間たちが、それぞればらばらの恰好でたおれていた。手足をふきとばされ、全身に断片の刺さった中年男性が、大火傷の上、出血多量で死にかけている。血まみれの顔を覆って苦しむ若い女が、生け垣の中に倒れて虫の息だ。
何人かの女子高生が、黒い断片が突き刺さり、焦げた制服ごと裂けた肩や、腰をおさえてすすり泣く。二十代前半のカップルが、髪が焼けちぢれた状態で、腹や足をおさえこみ、その場にうずくまっている。そのそばでは、けがをしてへたりこんだ幼児が激しく泣いている。
車道の上に、ふっとんだ手足や指や人間の肉体の断片が、散乱していた。赤い血と黒いやけどに覆われ、停車した車のボンネットといわず窓といわず、灰やすすにまじって降りかかっている。爆発した車の周囲では、一帯の車に、ガラスの全壊はじめ、大きな被害が出ていた。
渋滞で追突寸前の車間距離だったため、特に後ろのタクシーのフロントガラスは、めちゃめちゃだった。ドライバーは、爆風で無数のガラスの破片を、顔と胸に散弾のように受けて血まみれだ。シートベルトの下でぐったりしてうめいている。
燃える車は、そばによれないほど熱かった。てのひらで熱を避けながら、敵を追いかける。輻射熱で激しい陽炎がゆらめく向こう、車道の車列と歩道の人波の間を、よろめきながら逃げる敵の男の背中が見える。
ターゲットのひとりだ。そいつは、背の高いひょろっとした三十代の白人だ。ジーンズにアーミー調のジャケットをはおり、銀髪の頭には、人気野球チームのキャップをまぶかにかぶっている。
由利香のナナハンは、背後の麻痺した車列の間で動けない状態だった。ぐずぐずしていると、せっかく追いつめた敵を逃がしてしまう。
由利香の氷のように冷徹な声が、イアホンから流れた。
(行くわ)
ふりむくと、由利香がヘルメットをぬいでいた。その下から、あのサングラス様のシューティンググラスをかけた、笑いと無縁な白い顔が現れた。美しい黒髪から唇の前にかけて、シンプルな通信用ヘッドセットをつけている。
彼女は、自転車を乗り捨てるように、ナナハンを道路に突き倒して走りだした。ぎっしりとつまった渋滞の車道を、車や人をよけながら、驚異的な速さで進む。
十メートルもいかないうちに、追跡方法を変えた。バンパーの間を、閃光のようにすりぬけながら、ジグザグに車の間を走るのは面倒だと思ったのだろう。
その場で、いきなり一台のタクシーのトランクリッドの上に、ぽんと両足で飛び乗る。そのままライダーブーツで踏みつけると、車の屋根の上に大股で駆け上がり、フロントグラスをまたいでボンネットに跳び降りた。そう見えたときには、次の車のトランクの上に、ひらりと跳ね渡っている。
すばらしい速さで、由利香は何十台もの車のボディの上を踏みつけ、駆け上がっては飛び渡る。美しく長い髪をなびかせ、踏んで飛び、乗り上げて、また駆け降りる。疾走と跳躍に黒髪がひるがえり、固いブーツが、次々と車のボディを激しい音ともに踏みつける。彼女の“走路”となった車は、車種に一切関係なく、塗装と鋼板をしたたかに傷つけられ、へこまされることになった。
彼女が、いかにすばやく車体の列のでこぼこの連なりを跳び駆けているかは、ガン、ゴン、ドンという三歩のリズムで遠ざかる音でもわかる。飛び乗れない車種のときだけ、左右斜め前の車に跳び乗り先を変えるが、一度もアスファルトの路面に降りることがないのだ。車のトランクと屋根とエンジンフードの上だけを、ブーツのかかとと爪先で、鉄板をえぐる音を発して駆け続ける。
地上の障害走を見ているような錯覚すら起こす、“車上渡り”をしながら、彼女は背中のバックパックに手をつっこんだ。目にもとまらない早さで抜き出したのは、あの漆黒の大型拳銃、ルーガー・スーパー・ブラックホークだった。
必死に駆けて逃げる敵の背中が、路地に曲がって消える直前、彼女は最後の車の屋根の上に達した。
ルーフに飛び乗りながら、片膝を立てて膝射ちの姿勢をとる。両手で銃把をしっかりと握りしめ、両腕を肩の高さと水平に前にまっすぐにのばし、親指で撃鉄を起こすと同時に、狙いをつけて引き金を引く。
ブラックホークの銃口が、二メートルもある太い火箭(ひや)を噴き、青みがかった白色の爆煙を吐き出した。ごくわずかな時間差で、ドーンッという全身に響く銃声が、ビルの谷間に轟きわたった。
背の高いやせた銀髪の白人の敵は、キャップごと後頭部を撃ち抜かれて、うつぶせに地面にたたきつけられた。男のまわりにいあわせた人々が、悲鳴をあげて逃げまどった。倒れた敵の頭のまわりが、血で赤黒くぬれてゆき、絨毯にこぼした液体のように、じわじわ広がってゆく。
ターゲットの顔面は、脳味噌といっしょに粉々に砕けてしまった。ベースボール・キャップは血染めのぼろきれと化し、血と頭蓋骨と眼球ごと、地面にばらまかれてしまった。あまりに突然すぎて、得意の念動力で反撃するひまもなかっただろう。
由利香がナナハンを乗り捨ててから、彼を射殺するまで、たった十秒しか、かかっていない。死の瞬間まで、まさかこんなに簡単にやられるとは、思ってもみなかったはずだ。
明津は、近くで待機する本部の連絡員に、敵の死体のかたづけを手配するよう要請し、すぐ次の行動に入った。
4
死んだ男の片割れの女は、車が爆発炎上する直前に、どこか近くに思念の力で、瞬間移動したはずだ。明津は、そう読んだ。かなり消耗しているから、それほど遠くへ飛ぶ能力はない。おそらく、一回につき、せいぜい十数メートルの瞬間移動が可能な程度だろう。
連続で三回の跳躍は無理だ。コンディションがよければ、数百メートルのオーダーでテレポートが可能な女と聞いている。今の状態では、十分の一の能力も発揮できないにちがいない。
ぎりぎり二度の連続跳躍をしたとして、女の瞬間移動の先は、爆発した車から、半径四○メートル以内だ。ほとんどへとへとになっているのが、明津には容易に想像がついた。
彼が精神集中して、敵の存在を感知できるのは、半径二○~三○メートルぐらいなものだ。しかも、こんな雑踏は論外だ。人であふれた場所では、条件が悪すぎる。ましてや、今は事故を目撃した恐怖やショック、激しい好奇心など、パニックの群集心理で、あたりはテレパシーはおろか、精神集中すら攪乱する雑音だらけだ。
なにより、警察がうるさいことにならないうちに、早く片づけてしまうに限る。一応、警察庁の一員であることを証明する「警察手帳」は所持している。警察学校を出ていない彼が、なぜ警察手帳をもっているかといえば、警察との間に問題を起こさないために、特別にそんなものを渡されているのだ。
警察庁長官から、じきじきに命じられた極秘の任務をおこなっていると、答えることになっている。偽装目的とはいっても、本物の「警察手帳」を出して、それなりの高官の名前をいえば、下っぱはみなひっこむ。
だが、そんなものを出して、いちいちチェックされるのは、わずらわしいだけだ。
付近には、飲食店で下から上までいっぱいの雑居ビルが立ち並ぶ。それらの狭い空間に、女が瞬間移動したとは思えない。たった今、由利香が始末した男は、左側にある路地の方に曲がろうとした。消耗しきった両者は、互いに精神感応で会話できる範囲から逸脱することはない。すぐ近くで落ち合うつもりだったろう。そうなれば、捜索範囲はせいぜい半径五○メートルぐらいなものだ。道路の反対側は無視する。
明津は由利香に指示した。
「ターゲットは、爆発現場から半径五○メートル以内。人気のないビルにいる」
深刻な不景気の影響で、一歩、幹線道路から奥へ入ると、「テナント募集」の貼り紙もわびしい、がらがらの空きビルが目立つ。
明津は、爆発現場のさわぎが、さほど及んでいない区画に駆けこんだ。意識を集中して、敵の女の気配を探す。どこに飛んだか、ここで見つけそこなえば、今度こそどこへ行くかわからない。そうなれば、別の仲間と接触する機会を与えることになる。探すのがもっと厄介でややこしくなるのは、絶対に避けねばならなかった。
気配はあった。この近辺の「上方」つまり、二階以上の場所が「匂う」。ちょうど、ほかの大きなビルの影に隠れるように、五階立ての廃屋に等しいビルが、右手奥にあった。
敵の気配は、そこから強く感じられる。
まださほど古いビルではないが、入口の前には雑草が生え、窓もあちこち割れている。
以前は夜に灯っていたであろう、テナント店の照明看板が、今では文字すらよめずに雨ざらしになって、うらさびれている。
表側は、ショーウィンドウだった大きな窓にも、シャッターが降りて錆びついている。
裏口にまわるが、債権者が立てたのか、木の板を打ちつけて、ドアに至る通路をふさいでいる。
半ば腐蝕しかかったそれを、由利香は黒いブーツのかかとで一気にけり破った。大股で裏口のドアの前に立つ。明津は、ドアのノブに意識を集中した。
「まかせろ」
念動力で、一気にノブを破壊する。
音をたてないように、ゆっくりとドアを開くと、カビとセメントとほこりの匂いが鼻をつく。由利香がさっと薄暗い廊下に入った。紙くずやゴミが散らばる階段を、驚くほどの身軽さと静けさのうちに昇ってゆく。
破れた窓から、雨がふきこんで、階段や廊下のあちこちがじくじく濡れている。明津はすべらないよう、足元に気をつけながら接近する。
敵の気配は、四階だった。すばやくあがって、一室のドアに手をかけ、細く開いて中をうかがう。
何かの事務所だった、がらんとした八畳ほどの部屋に、敵の女はいた。白人にしては小柄だ。亜麻色の髪を後頭部で束ねている。由利香と同じ年頃の女だった。褐色の瞳のまわりに、恐怖と疲労で黒く隈をつくっている。
明津は、ドアをいきなりひきあけた。スーパー・ブラックホークを構えた由利香ととびこむ。
その女は、信じられないといいたげに、憔悴の色の濃い目を大きく見開いた。声をたてることもできない様子だ。雨の流れた跡とほこりで汚れきった大きな窓を背にして、一歩二歩とあとずさりする。
あとずさりしすぎて、ガラスに背中がぶつかる。今度は、窓から壁へと、じりじりと横に移動する。小刻みに動きつつ、逃げ場を探している。
汚れてくすんだ内装の壁のまんなかに背中をおしつけ、敵の女は、あきらめのいりまじった表情で、何ごとかを早口でつぶやいた。フランス語のようだった。
次の瞬間、その女が豹変した。げっそりとやつれていた両眼が、ぎらっと輝いてこちらをにらんだのだ。
由利香は、女の胸めがけて引き金を引く。44マグナム発射の轟音が、ビルじゅうに響きわたった。
予期せぬことが起こった。撃たれると同時に、女の姿がパッと眼の前で消えてしまった。消耗でしばらくテレポートは使えないと明津は踏んだが、力を温存していたらしく、油断させて瞬間移動したのだ。その証拠に、床には血のあとすらない。
「逃がしちまった」
唇をかむ彼に、由利香が冷たくいった。
「手ごたえは、あったわ」
隣の部屋から、何か湿った重いものが倒れ、ガラス瓶がぶつかりあう音が聞こえた。音は、それっきりとだえた。
明津と由利香は、すぐ隣の部屋にゆき、細くドアをあけて中を確かめた。
そこも内装自体は、今までいた部屋と同じで、変わりばえしなかった。たくさんのビールや日本酒の空きビンが、うずたかくほこりをかぶっている。カートンに入ったまま、床の上に積み上げられているのだ。おそらく、ビルがまだ開いていたころ、ほかの店の空きビン置場にされていたのだろう。
カートンにおさまりきれないビン数十本が、床に立ったまま並べられている。それらが、部屋の中央で将棋倒しにころがり散乱していた。
倒れた数十本のビール瓶や一升瓶の上に、さっき消えたはずの女がいた。胸に開いた大穴から、大量の血を噴き出している。
その女は、床と空きビンを、飛び散った肺や心臓の飛沫と、鮮血のしたたりに濡らしながら、あおむけにこと切れていた。褐色の眼を見開き、雨もりの跡とひび割れのある天井を見上げている。最後のテレポートをこころみたはいいが、そのまま天国へ移動してしまったというわけだ。
由利香に撃たれたせいで、壁ひとつ分しか移動できなかったのか。もともとそれだけの力しか残っていなかったのか。どちらともつかないが、もう逃げる必要がなくなったことだけは確かだ。この女も、まさかこんな死に方をするとは、思ってもみなかっただろうと、明津は思う。
彼は、女の死体をみおろしながら、由利香にきいた。
「この女、さっき、なんていったんだ?」
由利香は、スーパー・ブラックホークを握った腕をおろしながら短くいった。
「“この報復は、仲間がきっとする”よ」
明津は、血のにおいのたちこめる部屋の中、ポケットに両手をつっこんで、上を見上げた。
「フランス語の捨てぜりふか。どこの国籍やら……」
ふと、由利香の下げる大型ピストルの銃身の左側面に、小さなピンク色のハートマークがふたつ、横に並べて描いてあるのを見つけた。
「そりゃ、なんだ?」
ドアをあけながら、明津が指さしてたずねると、由利香は鉄のような冷たさで答えた。
「殺した敵の数を、こうして描きこんでいくの。これは、この前、会社で殺した分」
「なるほど」
彼は、女の死体を顎でしゃくり、由利香のシューティンググラスの奥の眼を見つめて
いった。
「これで、四つになったな」
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