4-3 『僕は』

 自己同一性とは、どのように証明すれば良いのだろうか。

 肉体による証明か。では、機神兵となった自分は別人だろうか。

 記憶による証明か。では、記憶を喪失した自分は別人だろうか。

 意識による証明か。では、意識が失われた自分は別人だろうか。

 霊魂による証明か。では、魂を改変された自分は別人だろうか。

 自己同一性を証明できない自分は、過去の自分とは違う『何か』なのだ。

 この結論に到達すると同時に、ある疑問が浮かび上がってくる。

 過去の自分とは異なる『僕』の、存在意義とは何なのか。

 『僕』の存在を認め、確固たるものにしてくれる存在は誰なのか。

 そもそも、『僕』という存在は――何者だ?




「――くん」


 途切れ途切れになった何者かの声が聞こえた。

 極楽から垂らされた蜘蛛の糸のように、その声は深淵に沈み込んだ意識を雁字搦めにしてサルベージする。その糸からは、絶対に離してたまるかという強い意志が感じられた。


 それは同時に、手の平で優しく包み込まれるような感覚でもある。


「――ろ、きくん」


 刹那、意識が復旧を始めた。


 自我データが取り込まれ、『僕』の存在意義が再定義される。

 それは、『僕』の存在を認めてくれる『彼女』をあらゆる脅威から守ることだ。


 肉体による証明、記憶による証明、意識による証明、霊魂による証明の全てが棄却されたとしても、『彼女』が『僕』を認めてくれるなら、それだけで『僕』は『僕』で居られる。


「――零、きくんっ」


 霧が掛かっていた意識に明瞭さが取り戻される。

 聞き慣れてしまった『彼女』の声が届く度に、意識がより強固になる。


 『僕』は。

 『僕』は!


「――零式、くんっ!」


 自身の名を呼ぶ声が、零式の意識を完全に覚醒させた。


「ッ!」


「ひゃんっ!」


 ごちん、と額から鈍い音が響いた。

 零式が勢い良く身体を起こした所為で、看病していたセナと額をぶつけたのだ。

 零式自身は痛くも痒くもないが、目の前に居る少女は涙目で赤くなった額をさすっている。


「……! セナ、無事だったのか!」


「ぜ、零式くぅぅぅんっ」


 零式の意識が回復したことを確認したセナが飛びついてくる。そのまま、彼が横たわっている寝台に乗り上がり、両手を大きく開いて抱きしめてきた。


「か、身体を修復したのに目を覚まさないから、もう手遅れかと思いました……わ、私、心配したんですよ……?」


 大粒の涙で顔もシーツもぐしゃぐしゃになることを厭わずに、セナは零式の胸元に顔を擦りつけた。どうやら、かなりの心配をかけたらしい。

 零式はセナを落ち着かせるために、自身も彼女を抱きしめようとした。


 しかし、その瞬間にあるものが視界に映り込む。


「――ッ!」


 零式はセナが首に巻いている黒いマフラーを一瞬にして解き、神経の電気信号を読み取って形状を変化させる金属繊維に零式自身の意志を走らせる。


 零式の『殺意』を読み取った黒いマフラーは毛糸のような触感から変質し、鋼鉄のように硬質化する。その先端は鋭く尖り、まるで暗器のように射出される。


「駄目ですッ!」


 セナの叫び声によって、マフラーの先端は琉琉の喉元で停止した。


「あんた……寝起きに人を殺そうとするの止めなさいよ……」


「セナ、止めるな。こいつは敵だッ!」


 呆れたように溜め息を吐いている琉琉に、零式は殺意を込めた視線を送る。

 九九式機関という組織は、レプリカントや機神を解体するために存在している。その組織の副支部長という地位に立つ女性が目の前に居るのだ。それは、敵以外の何物でもない。


「……それが、違うんです。琉琉さんは、私たちの味方……です」


「それは、どういうことだ」


 琉琉の楽しげな表情と、セナの悲しげな表情を交互に見詰める。

 だが、両者とも無言のままだった。

 その静けさに支配された空間の中、限られた証拠から結論に到達する。


「……まさか、僕たちを利用するつもりか?」


 零式の問いに対し、琉琉は背筋がぞっとするほどに美しい笑みを浮かべる。その笑みに、零式は震え上がるような恐怖を感じた。まるで、この琉琉という女性に最初からこうなるように踊らされていたのではないか、と思ってしまう。


「じゃ、そういうことでー。零式はちゃんと身体直すんだぞー?」


 そう言って、琉琉は病室の扉を開けて出て行く。


「ま、待て! まだ話は終わって――」


「零式くんッ!」


 寝台から起き上がり、琉琉を追わんとする零式。そんな彼を、セナは後ろから抱きついて制止する。簡単に振り解けるような力だが、零式は琉琉を追うのを止めた。


「すみません。私たちが助かるためには、この方法しかありませんでした」


 零式を抱きしめている両手が小刻みに震えている。


 琉琉に取引を持ち出され、セナはただ首を縦に振ることしかできなかった。

 考えたくもないが、あの場で首を横に振っていたら今頃どうなっていたのだろうか。一つだけ言えることは、自ら死を望むほどの地獄が待っていたことは間違いない。


「そうか、君には辛い決断をさせたようだ」


「……辛い決断なんてしていません」


 それは、まるで悔恨の言葉のようだった。


「本来、私は『神を冒涜する』ために産み落とされた機神です。だから、私の存在意義は『機神を解体すること』と定義されています。琉琉さんの取引で、私が機神を解体して人類を守ることのできる存在になれると判断した時、私は本当に嬉しかった……! 自分の承諾によって零式くんを危険に晒すことになるのに!」


「……それが君の意志なら、僕はそれに従おう」


 懺悔のように涙を流し続ける小さな身体を、零式は抱きしめる。


「君は、君だけを守るために、全ての機神を解体してやる」


 そう呟く零式の瞳には、燃えるような闘志が宿っていた。

  

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