4-4 別人のような

「うはぁー……」


 九九式機関第八防衛都市支部の廊下を歩きながら、挽歌は弱々しく溜め息を吐いた。

 今にも倒れてしまいそうなほど生気が抜けたような顔で足取りも覚束ないが、厳めしい黒と赤を基調とした制服に、常日頃から帯刀している《懺悔の唄》は健在である。


 それは同時に、挽歌が解体師を続けられていることを意味していた。


「首が繋がっているだけ儲けものと考えるべきか……しかし、また減給とは……」


 挽歌が犯した校則違反は、首を切られても文句が言えないものだ。比喩などではなく、首と胴体が繋がっていること自体がおかしい。機神を逃がす手伝いをするなど解体師にあるまじき行為であり、挽歌自身も極刑は免れないと思っていた。


 しかし、挽歌に課された罰は『一ヶ月の間、無賃労働すること』だった。


 これを十掬に言い渡された時、間違いではないかと何度も聞き返したほどだ。だが、彼女から返ってきたのは『間違いはない』という無味乾燥な返事だけだった。


「だ、駄目だ……空腹で死にそうだ……これでは極刑と何ら変わらんぞ……」


 挽歌の独り言に返答するように、腹の虫がぐー、と不満を漏らす。貯蓄はほとんど底を尽きており、栄養不足で今にも倒れそうな挽歌は他の解体師たちの視線を集めていた。

 いっそのこと、倒れて点滴でも打たれた方が楽になれるかもしれない。


「うう……あの時に残してきた中華料理のことを恨むぞ……壱外」


 貴重な『料理』を食べる機会を忌々しい機神兵に奪われたことを、挽歌は未だに根に持っている。あれから挽歌は好みではないソイレント食にしかありつけていないし、現在に至ってはソイレント食すら食べる余裕がない。


 この前、一度だけ壱外とすれ違ったことがある。栄養失調で亡霊のように青白い顔の挽歌を見た瞬間に『おいおい、べっぴんさんが台無しだぜ』などと言って、何処から取り出したのか飴玉やら乾パンなどの菓子を無理やり渡してきたのだ。


 乾パンを囓りながら睨み付けてやったが、悪い奴ではない。


「しかし、『レプリカント=セヴン』が正式運用されるとはな……」


 『レプリカント=セヴン』という存在が公表され、その内の一人が試験運用されてから一週間ほどが経過していた。表向きはその一員である壱外が機神の解体に成功したと報告されており、その目を瞠るような戦果から、他の支部長の信頼を勝ち取ったのだ。


 しかし、一連の事件に深く関与していた挽歌には琉琉から真実を聞かされている。

 本来は零式が壱外を打ち負かしたこと。

 そして、機神兵となった零式の今後に処遇についてだ。


「……零式」


 生きていてくれて本当に良かった、と挽歌は小さな声で吐露した。

 いくら忌むべき機神の傀儡に成り果てたとしても、零式は零式だ。挽歌はそれだけの理由で長年持ち続けた想いを切り捨てることはできなかった。


「んわっ」


 性に合わないことを考えながら歩いていると、何者かに頭からぶつかってしまう。


「す、すまない。考え事をして――って、零式!?」


 挽歌が顔を上げると、そこには普段と何も変わらない零式が立っていた。強化カイデックス製ホルスターには黒地に銀の装飾が施された棺桶のような二丁拳銃が収まっているし、何を考えているのか分からない無表情はまさしく彼の顔である。


 普段と何も変わらない零式だ。

 寄り添うように白髪の機神が居ることと。

 右手首に白銀に煌めく機神歯車が填められていること以外は、何も。


「ああ、挽歌か。君が元気で良かったよ。この前は助けてくれてありがとう」


「い、いや……礼には及ばぬのだ。そ、それよりも……き、聞いていないよな?」


「……は?」


「だ、だから……私の独り言を聞いていないよな、と聞いておるのだ! き、聞いていないよな? なぁ、セナ!」


 挽歌はセナの肩を掴み、茹で蛸のように真っ赤になった顔で問いかける。突然、話題を振られたセナは困惑した様子で首を縦に振った。


「は、はい! な、何も聞いていません!」


「なら良いのだ。返答次第では、ここで斬ることになっていたかもしれんな!」


 妙に透き通った声で挽歌はそう告げた。

 眼前に居るのは、己の敵であり復讐の対象たる機神だ。

 しかし、それと同時に彼女は『神を冒涜する』ために開発された機神でもある。毒を以て毒を制すという言葉あるように、彼女は必要な悪なのだ。


「二人とも息災のようで安心したぞ。そうだ零式、良ければ『あの店』にまた連れて行って欲しいのだが……駄目か?」


「……」


 挽歌のお願いに対し、零式は何とも言えない表情になる。まるで挽歌の言うことに心当たりが無く、必死に思いだそうと努力しているような顔だ。


 挽歌が『あの店』と言ったのが曖昧な表現で悪かったのだろうか。つい先日のことなので、零式が忘れてしまっていることはないと思うのだが。


「い、いや……あの中華料理店のことだ。あの日、貴様が連れてくれた場所のことだ!」


「……すまない。そんな記憶はない」


「――え」


 零式の返答に、挽歌は呆然とする。


「これから重要な会議があるから、これくらいで失礼する。行くよ、セナ」


「……あ、はい!」


 申し訳なさそうにお辞儀をした後、黒いマフラーを仔犬の尾っぽのように靡かせながら、白い機神は零式の後を付いていく。


「ま、待て!」


 彼らが何処か遠くに行ってしまうような気がして、挽歌は思わず声を上げる。


「零式……そこから先は、地獄への入り口だぞ。貴様は、あれほど苦手意識を持っていた機神の解体を押し付けられることになる……!」


「……僕が、機神の解体が苦手だと?」


 挽歌の台詞に、零式は背を向けたまま足を止めた。


「そうだ、貴様が私に話してくれたではないか。想い人であった機神を自らの手で解体してから、機神の解体に抵抗があると。そんな貴様には、『レプリカント=セヴン』など荷が重すぎるのではないか……?」


 挽歌は零式の身を真剣に心配していた。

 いつか彼の精神が摩耗し、壊れてしまうのではないか。そう思ったのだ。


「それは杞憂だよ、挽歌。そんな感情は任務には不要だ」


「……零式」


 挽歌に背を向けて去って行く零式を眺めながら、挽歌はぽつりと呟いた。


 挽歌と零式は数年前に解体師になった頃から、同期としての仲だ。

 他の追随を許さない戦闘技能と機転の利く頭には、何度も助けられたことがある。マニュアル人間である挽歌はそんな彼に尊敬と慕情の念を持っていた。


 だから、自分は赤の他人よりも零式のことを知っているはずだった。


 しかし。


「いや、貴様は――誰だ?」


 あの零式からは違和感しか覚えなかった。

 無表情を崩すことのない零式だが、それでも僅かな仕草や目の動きなどから感情を読み取ることが出来た。彼は無表情であれ、無感情ではないのだ。


 だが、挽歌は今の零式から感情を読み取ることが出来なかった。まるで機械に顔を貼り付けただけのように無表情で、無感情だった。


 例えるならば、同じ顔をした別人のように、感じ取れてしまったのだ。

   

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