3-8 エミュレート
戦闘モードに移行し、直感を含む全ての機能の限界が解放される。
遅れて舞い落ちてきた漆黒のマフラーを首に巻き付けて、直感する。
――来る。
そう直感した時には、既に白刃が閃く刀が携えられていた。零式は霞を纏ったその刀身がセナによる特別製であることを承知している。
「さぁて、限界突破の二回戦だ。準備はいいな?」
声はすでに間合いの中にいた。ほぼ零で相手の位置を割り出し、ほとんど直感に等しい感覚で刀身を振る。ちょうど零式の顔面に目がけて放たれた拳を弾き、火花が散った。
拳を弾かれた一外は、反撃を許すこと無く地面を強く踏みつける。その衝撃波によって隆起した大地が零式を空中に放り投げ、自由を奪う。
【基本戦術《工廠/アーセナル》を発動。ガトリング砲の構築を開始します】
宙で一回転し、その間に刀身を口に咥える。金属が擦れる音と共に銃身回転式機関銃を模した巨大な白い籠手のようなものが両手を覆った。
本来は銃身の過熱を防ぐ為に複数の銃身を順繰りに使用する銃身回転式機関銃であるが、OSによって製作されたそれに過熱を心配する必要は無い。
もはや構造自体が違う銃身回転式機関銃の合計十二砲身全てから弾丸が一外に向けて射出される。弾が詰まる可能性ですらゼロに等しく、ばらまけるだけの弾を狂ったように吐き出す。
火薬の焦げるような匂いが炸裂し、砲身は絶え間なく火を吹き続ける。
だがやはり、あの男に飛び道具は効かなかった。
銃弾の嵐をものともせず駆け抜ける一外。彼の身体に命中した銃弾は目途を果たすことができずに砕け散り、彼が走ることによって生じた風圧で彼方へと消えた。
躊躇い無しに銃身回転式機関銃をパージし、身軽になった状態で地に足を付ける。そのままOSの命令を地面に伝え、一外を何重もの障壁が覆った。
「そんな薄っぺらい壁、俺の前では足止めにすらならねぇぞッ!」
展開された障壁を、元からそこに無かったかのように一直線に打ち抜いて飛び出す。OSの起動によって紫に染まった壱外の髪が、あまりの風圧でオールバックのようになっていた。
掌底の構え、零式のものとは比べものにならない威力を秘めた一撃。
空気を爆発される轟音と共に音速を遙かに超えた掌底が撃ち込まれ、零式はそれを刀身で受け止めるのではなく、受け流した。
「……実際に戦ってみると、本当に相性が悪いな。だけど、僕だってただ殴られていただけじゃない。もう君の弱点は看破している」
「ほぉ、威勢がいいもんだ。そう来なくちゃ、こっちも楽しくないんでな!」
掌底を受け流された壱外はそのまま倒れ込み、地面に掌底を撃ち込む。そして、その右腕を軸とし、逆立ちの状態で回転蹴りを見舞った。
スクリューの旋回を直に受けたかのような衝撃。零式は刀身でその蹴りを受け止めるが、衝撃を逃がしきれずに身体ごと弾かれてしまう。
転がりつつ、指を地に食い込ませて止まる。零式が立ち上がると同時に並行して製作されたランチャーが完成し、蜂の巣状に並んだ円筒からミサイルを発射。
ミサイルに搭載されたシーカーが壱外から発生している赤外線を検知、それを目標として定義付けて一斉に襲いかかった。
「ちっ、そんなもん――」
【何をしておる! 回避するんじゃ、壱外!】
ルインに恫喝され、壱外はミサイルを回避しようとするが、既に遅かった。
「ぬわっ――!?」
着弾と同時に紅蓮の炎が辺り一帯を焼灼の色に染め上げた。
硝煙に彩られた爆風が吹き荒れ、瓦礫という瓦礫を強力な圧で吹き飛ばし、頭が真っ白になるほどの轟音で廃墟を埋め尽くす。
「君のOSはすでに把握済みだ。君が破壊できるのは物体だけ、それも僕をOSで破壊しないことから生体には作用しないと考えられる」
涅色の噴煙に人影が揺らめく。
「だから、君には破壊できないものをぶつけてやれば損傷を与えられるというわけだ。
――ところで、君は爆発を破壊することはできるのか?」
片腕が吹き飛ぶだけで済んだ壱外が煙を払って現れた。OSによる自己修復プログラムによって、瞬く間に腕が再生する。
「あーあ、油断しちまった……そうか、そういう弱点があったな、この力は」
【破壊姫】の基本戦術である《破壊/アンチマテリアル》は、触れた物体を瞬時にして木っ端微塵に変えるという恐ろしいものだ。
しかし、それにも制限がある。
基本的にレプリカントや機神との戦闘での運用を考慮された戦術であるため、装甲や兵装などの物体には莫大な効果がある。だが、使用状況を考慮されていない生物、つまり人間には効果がないのだ。
無論、機神兵にも対応できるように、破壊力に特化した機神であることには間違いない。
そして何より至極当たり前のことではあるが、破壊できないものは破壊できない。
例えば先程のような爆発、火炎放射、光学兵器、荷電粒子砲など。実体を持たない攻撃には滅法弱く、物体を破壊することで自身を護るという無敵の防護が通用しないのだ。
「なぁ、零式。てめえはどうして機神なんかのために、そこまで戦うことができる。そこまで傷付いて守るほど、その機神には価値があるのか?」
そう言い終える時には、壱外は跳躍して空中にいた。
無論、空中では地上と比べて簡単に回避行動を取ることはできない。そこを見逃す零式ではなく、自身の両隣にランチャーを組み上げ、完成と同時に火を噴いた。
全てのミサイルが白い雲のような軌跡を廃墟の闇に刻み、一直線に空を舞う壱外へと向かう。
そんな絶体絶命の状況下にも関わらず、壱外はにやりと口角を上げた。
「てめえがやっているのは、ただの自己満足に過ぎねえ」
そして、壱外はビー玉サイズに凝縮された高熱源球体を大量にばらまいた。
その相貌は、まるで紫の星々が降り注ぐようだった。
「――っ」
その行為の意味を悟り、零式は息を呑む。
その球体全てが小型とは言えど、高熱を発しているのである。そして、零式が製作したミサイルに積まれているシーカーは赤外線を感知して目標を追うという代物だ。
つまり、熱を追いかけるという事柄に等しい。
そして、それは現実となった。壱外によってばらまかれた高熱源球体は使い捨て型アクティブデコイの役割を果たし、彼を撃ち落とそうと猛威を振るうミサイル全ての狙いをずらした。
進路をずらされたミサイルは無辺世界を射り、壱外の遙か後方で爆発する。見事にフレアの役割を果たした高熱源球体は第二の役割を執行に移る。
【高熱源球体の捕捉完了。視覚情報へのアップロードを開始します】
大量に降り注ぐ紫の塊全てが高熱を秘めた爆弾であった。セナによって着弾予測時間、爆発範囲、生存するための進路が演算される。
迷うことなく、セナが示してくれた進路を駆け抜けた。視界にはジグザグに走る一本のラインが引かれており、その上を走るだけだ。
ほぼ自動的に固定機銃が組立てられ、霰のように注がれる高熱源球体を迎撃。まるで夏に開かれる戦前の火薬を用いた花火大会のようにエネルギーの塊が爆ぜる。
黒煙が視界を阻む。熱反応があちらこちらに散らばっているために、熱線暗視(サーモグラフ)によって壱外が何処にいるのかさえも確認することはできない。
しかし、それにも関わらず、感じることができた。
強烈な死の気配を。背後に。
「例え話をするとしよう」
途端に振り返るが、既に遅かった。
拳を構える壱外の腕には可視化されるほどに強力なエネルギーが紫の蜷局を巻いている。辺りの小石が局地的なエネルギーに曝され、重力を無視して浮かび上がった。
【模造最終兵器《空虚な人生/プライド・パープル・レプリカ》の使用を許可する】
エネルギーが集まるようにして形成された巨大な拳。それは一外の腕に電磁接続され、ありったけの力を秘めて零式に繰り出された。
迫るそれを形容するならば、純粋な破壊そのものである。あまりの速度に直撃は免れず、真面に食らえば自己修復プログラムなど機能する前に粉々だろう。
――ならば。
ほとんど、思いつきに近かった。――あるいは、模倣であろうか。
【基本戦術《工廠/アーセナル》及び応用戦術《錬成/エリクシル》を発動】
突き進んでくる鉄拳を防ぐかのように、零式は手の平を広げて構える。
【衝突します。踏ん張ってください!】
がしり。
前方に純白に輝く金属で構成された巨大な掌が組み立てられ、紫の鉄拳を受け止めた。
どちらが押し、どちらが押し込まれるということもなく二機の機神の腕は拮抗する。純粋な力勝負では、性能的にこちらが打ち負かされるだろう。
しかし、それ以外でセナは負けていなかった。
そもそも、これは相手の鉄拳を模倣して製造したものだ。
模倣、つまり似せて作るという作業を経る業であり、作ることに関して何者にも負けない性能を有するセナのOSは凄まじい再現率を実現する。
その上、セナの応用戦術である《錬成/エリクシル》による物質構造的強化を施された拳は純粋に本家の出来を上回っていた。
それでも拮抗した状況に持ち込まれるという事実には、【破壊姫】の常識外れすぎる力強さが現れていた。
「機神に権利を主張する人間が居たとする。そいつと自動販売機に権利を主張する人間に何の違いがあるってんだ? 自動販売機のために命を落とす人間をどう思うよ! それが本当に正義なのか? なぁッ!」
「うるさい……! 人にはそれぞれ価値観がある。僕はセナを守りたいから守るんだ。それ以外の機神のことなど知ったことじゃない。お前の薄い倫理で僕の正義を語るなッ!」
地面に足がめり込む。零式が徐々に押されつつあった。
その理由は単純明快であり、高出力の状態維持による機神歯車の回転率の低下だ。
燃料切れ、である。
「それは正義じゃねえ! ただの利己主義だ!」
鉄拳の尻から嵐のような炎が噴き出した。それによって爆発的な推進力を得た鉄拳が、徐々に出力が低下しつつあるセナの掌を零式ごと吹き飛ばすのは動作もない。
「ぐぁ……ッ!」
零式の身体は今まで築き上げてきた瓦礫の山を数峰崩す勢いで吹き飛ぶ。
それと同時に、零式は壱外の発言を脳内で反芻した。
――利己主義。確かに、今の零式は自分の利益のためだけに動いている。セナという機神を守るために、ルインという機神を解体しようと戦っている。
彼女を守るためならば、他の機神がどうなろうと構わない。自分自身は権利が認められない機神全てを助けるなどという崇高な理念の元で動いてるのではない。
ただ、セナという一機の機神を助けたい。彼女の機神兵である自分自身の存在意義を確かなものにするために、零式は戦っているのだ。
――僕が、僕のために戦って何が悪いッ!
【残存エネルギーが著しく消耗されています。これ以上の戦闘は危険です】
最期の瓦礫の山を崩し終えたところで、ようやく零式の身体は止まった。すぐさま視線を右手首の機神歯車に送り、残存歯数を確認する。
そこには残り五枚の歯が残っていた。
言い換えるなら、残り五枚が無くなれば零式は戦闘不能に陥る。
機神歯車は永久機関であると同時に、エネルギーを歯として蓄える仕組みを持っている。いくら無限のエネルギーを生み出す永久機関とはいえ、一度に生み出せるエネルギーには限度がある。そのため、戦闘などのエネルギー消費が激しい場合には生産されるエネルギーよりも消費されるエネルギーが上回ってしまうのだ。
残存エネルギー量を示す歯が全て無くなれば、燃料不足で動けなくなってしまうだろう。
「いや、まだ続けられる。僕はまだ、負けていない」
【で、でも……私たちは未だに決定打すら与えることが出来ていません。このまま戦闘を続行してもこちらが一方的に消耗するだけです……!】
「……決定打、か。考えろ、まだ何か手は残っているはずなんだ」
現状、爆発物によって損傷を与える作戦が最も効率的だろう。しかし、壱外という男に同じ策が二度も通用するとは思えない。実際に、壱外がばらまいたフレアによってミサイルが全て回避されたばかりである。
零式と壱外が絶望的に相性が悪いのが、最大の問題だった。
『創造するOS』と『破壊するOS』では、後者に有利があるのは明白なのだ。せめて、この差を埋めることさえできれば、零式にも勝機はある。
例えば、他の機神のOSを使用する、とか。
「……そうか!」
零式は強化カイデックス製ホルスターに収められた《柩送り》に視線を移した。このカーネルは機神歯車を核として作られた特別製であり、そこには異なるOSが存在する。
【だ、駄目です!】
セナが零式の思考を読み、彼が何をしようとしているのか理解した。それ故に必死になって彼の行動を抑制しようと、OSによる命令を張り巡らせる。
強化カイデックス製ホルスターから《柩送り》を取りだそうとする零式の手が止まった。セナによる動作抑制である。
「セナ、頼む。《柩送り》のOSを君自身にインストールしてくれ。今のままじゃ壱外に勝てる見込みが無い。もう、これに賭けるしかないんだ。頼む、抑制を解いてくれ。セナ」
【私の機神歯車に別の機神のOSをインストールするってことは、貴方の身体を循環するエネルギーに別のエネルギーが混ざり込むってことですよ!? 負担が大きすぎます。人の身体で考えるなら、他人の血液が混ざり込んでくるようなものです。し、死んじゃいますよ】
「どちらにしろ、壱外に負ければ僕は死ぬだろう。なら、僕は最後の可能性に全てを賭けたいんだ。君を、解体されたくはない」
零式の思考に、一切の迷いも淀みもない。
その深淵にあるのは、たった一つの『セナ』を解体されてたまるかという決意だけ。
【~~ッ! も、もう知りません! 絶対に死なないでくださいよ!】
抑制解除。自由を得た零式の手が、二丁拳銃の封印を解く。指先から背筋へと伝わる冷たい感触はどこか懐かしいが、その懐かしさが何かは零式には分からない。
【《柩送り》内にあるOSを仮想マシンにインストール完了しました】
身体の中に別の何かが入り込んでくる感覚。
だが、不思議と不快感はない。
【仮想的にOSをエミュレート可能です。……後は任せました、零式くん】
「――ああ!」
零式の手が今もなお回転し続ける機神歯車に伸びる。高速回転する歯に触れただけで手から火花が散り乱れるが構わない。
ありったけの力を通常回転の逆方向に加える――
白銀の機神歯車が、完全に逆回転の駆動に乗った。
「――かッ――」
体内でエネルギーが暴発するような感覚。
視界が完全にブラックアウトし、有り余るほどの無音が平べったく広がり続ける。
頭の天辺から足の爪先に至るまで、ありとあらゆる神経が燃やされるかのような強烈な刺激に包み込まれた。全てのエネルギーがベクトルを真逆に変更したことによる負荷だ。
加熱に加熱を加えたかのように皮膚が弾けていくのを感じる。体内を循環するエネルギーは沸き立って逃げ場を求めるかのように体内で暴走を繰り返している。
完全に機神兵の許容を越えた駆動であった。長時間の起動は望めそうにはない。早いところ復帰して肩を付けなければ自爆してしまいそうな勢いだ。
【すまし動起を:人職い黒:SO/零:号番造製】
暗闇の中で誰かの声が反響した。熱暴走する頭でその文章の意味を考えるがわからない。
【言語の逆転化を是正。視界の強制明確化、暴走エネルギーの鎮静……不可】
ぼんやりと視界が元に戻る。
徐々に明瞭さを取り戻すが、どこか黒い靄が掛かり完全な視界とはお世辞にも言えない。
しかし、活動するには十分すぎるほどの視界情報であった。
【製造番号:零/OS:
零式の髪は純白から漆黒へと変貌していた。
それどころか、逆回転する機神歯車までもが光のような白から闇のような黒に変わってしまっている。弾けた皮膚の割れ目からは黒と赤の入り交じった陽炎のようなスパークが吹き出し、夜の闇をひたすらに彩っていた。
【言語の逆転化を是正。視界の強制明確化、暴走エネルギーの鎮静……不可】
ぼんやりと視界が元に戻る。
徐々に明瞭さを取り戻すが、どこか黒い靄が掛かり完全な視界とはお世辞にも言えない。
しかし、活動するには十分すぎるほどの視界情報であった。
【ふふ、お久しぶりですね。零式さま】
漆黒の機神歯車から伝えられる通知音声は明らかにセナの声ではなかった。どこか聞き覚えのあるような声だが、零式には思い出そうとするほどの余裕がない。
全身を蝕むような感情は、『殺戮衝動』だろうか。
その熱い欲望に自我が溶かされそうになりつつも、零式は己を保つために舌を噛み切る。
【稼働可能最大時間は五秒です。さあ、貴方に仇為す全ての敵を殺して、殺して、殺して、安寧なる眠りと共に、柩に送りましょう】
視覚情報にデジタル文字の制限時間が表示され、時間が削れるように進み始める。
残り五枚の歯を全て使っての稼働最大時間が五秒である。一秒一枚。
つまり、五秒以内。正確には四秒で決着を付けなければ、機神歯車の歯数が零になる。
だが。
「それだけあれば、十分だ――」
弾かれるように起き上がり、瓦礫が溢れ、もはや道ではない道を突っ切った。
その漆黒の瞳が捉えるのは、たった一つの人影のみ。
ノイズがかった足が地を踏みしめる度、放電のようにエネルギーが爆発する。零式はそれさえも推進力に変え、壱外へと迅雷のように走る。
客観視するならば、零式が駆けた空間には鉤爪に引っかかれたような傷跡のみが残る。
その正体は可視化できるほどに濃縮されたエクトプラズムが残した軌跡であり、人間で言うところの血液であり、漏れ出す命でもあった。
全身が黒炭になったかのように焦げ臭い。稼働限界であるにも関わらず、無理やり身体を動かすという行為によって零式の身体はオーバーヒートを越えた先にある極致に至っている。
――一秒経過。
たった一秒の加速で最大速度に到達。風さえも追いつくような速度で一点のみを見据える。
直後、視界情報を埋め尽くすほどの熱源反応が一瞬にして展開された。
それらは戦略兵器クラスの破壊力を内包しているにも関わらず、その全てが零式だけをめがけて飛来する。
しかし、避けようとはしなかった。
最大速度のまま、エクトプラズムの霧の中を駆け抜ける。怒声のように前後左右で爆音が響き、高熱源体は足場そのものを破壊した。
崩れる。
【地形情報の再定義を開始】
何者かも分からない機神から提供された地形情報を飲み込む。どうやら、第四外周区の地下には遙か昔に使用されていた地下鉄道が眠っていたらしい。
朽ち果てた道路が一瞬にして陥没し、地下空間が露わになる。崩された瓦礫が落ちていく様子は、まるでこちらを飲み込もうとする大きな口のようだ。
身体が宙に浮く感覚と共に、零式は真上を睨み付けた。
――二秒経過。
連鎖するように瓦解する瓦礫と共に零式の身体も落下、することはない。
落ちていく瓦礫を蹴りつけて跳躍。次々と廃墟の足場がひび割れて崩れていく中、形状を保ちつつも折れ曲がり、暖簾のようになった道路にほぼ直角の状態で着地する。
九〇度傾いた世界をそのまま駆け上がる。脚部から染み出す漆黒の閃光はエクトプラズムであり、謎の機神のOSによって情報が書き換えられて強力な磁場を発生させている。
吸い付くように足が瓦礫の上を踏みつける。落ちることなど決して無い。
上空に向いた瞳に映るのは欠けることのない満天の星空だ。
そして、その中に紛れた紫を纏った巨大な拳。所有者の壱外によって遠隔操作され、零式を地下にたたき落とす勢いで前方、正確には上方より空気を爆発させて接近している。
考えるよりも先に身体が動いた。
両手に構えた《柩送り》の銃口を揃え、狙いを定める。
出力も威力も完全にこちらが劣っている。だが、ここで負けるわけにはいかない。
溜め込まれたエネルギーが掌の中で暴れ狂うように爆ぜる。それは同時に、基本戦術の構築準備完了のサインでもあった。
「ぅぅうううおおおおあぁあぁあああッ!」
標的を破壊せんと迫る鉄拳に、あらゆる殺意を込めて《柩送り》の引き金を引く。
【基本戦術《解体/ラグナロク》】
鉄拳に《柩送り》の銃弾がぶち当たり、戦闘を彩るように火花を散らした。今までの戦闘で何度も見たような場面。既視感を通り越して確信する。
ただ、これまでのように力勝負なんてものではなかった。
異変を起こしたのは、鉄拳の方であった。
触れた瞬間に、鉄拳を構成していたあらゆる部品が弾け飛ぶ。超硬度を誇る金属板と金属板を繋ぎ止めていた螺子や見たことが無いほどに複雑な機関が外れ、それらが全て最小単位に至るまで徹底的に解体され始めたのだ。
組立てられる作業の巻き戻し映像を見ているような感覚。強ちそれは間違いでもなかった。
本来、機神を解体するために作られたセナに『あらゆるモノを殺す』というOSがインストールされている状態なのだ。
加えて、機神歯車が逆回転することは機神兵の体内を巡るエネルギーが逆流、エネルギーさえも通常とは真逆の作用を示すことを意味する。
【白い職人】のセナが製産工場を意味するのであれば、【黒い職人】となったセナは解体工場を意味するのが妥当だろう。
完全に最小単位まで解体された鉄拳は、零式の進路を阻害することなく真下へと落下していく。ありとあらゆるパーツが降り注ぐ中、それらが霧散するのを確認して上へ。
――三秒経過。
垂れ下がった道路を登り切ると同時に、それらは役目を果たしたように崩れ落ちていった。 高熱源体によって焼き払われた廃墟。巨大な穴が幾つも穿たれており、少しでも足場が残っているのが普通あり得ないほどの惨状だった。
その煙焔の中にゆらりと揺れる紫の影。その距離は走る必要性も感じぬほどに近い。
ほとんど身体は限界に近かった。何処かで高熱源体を食らってしまったのか、左腕が肩の付け根から消失してしまっていた。全神経が焼き切られるような痛みで襲われているために、その損失に気がつかなかったのだ。
両脚も地を踏むことができているのが不思議なほどに消耗している。もはや黒炭のような相貌の足は軽く突けば砂糖菓子のように崩れてしまいそうだ。
「――
しかし、しかしだ。
すぐ目の前に倒すべき相手が居る。それだけで、身体は命令を聞く。
力強く踏み込み、一気に距離を詰める。最大出力にもはや零式の足が耐えきれるはずもなく、ぼろぼろと砕け散ってしまう。
視界も霞み、機神による戦闘演算もほとんど表示されていない。
だが、壱外がこれまでに見せたことがないほどに笑っているのだけは確認できた。
彼は彼で、零式が全てを賭し、本気を越えた駆動で戦闘に望んでいるのが嬉しかったのだ。
それも、自身の最終兵器である鉄拳を解体した零式を半ば尊敬の眼差しで見ていた。
それ故に、今まで感じたことのない破壊衝動が壱外の全身を駆け巡る。
「――おもしれぇ」
壱外にとっての容赦というのは相手に対する侮辱も当然だ。ボロ雑巾のような零式であろうと容赦せずに最大出力という限界を超えた過剰出力で拳を放つ。
――四秒経過。
必殺の拳を一髪の瀬戸際で掻い潜る。四秒が経過した瞬間に、命令を受け付けないほどまで損傷した身体の中で唯一動いた人差し指が、たった一度だけ一外の機神歯車を掠った。
それだけで、この死闘は終結した。
【き、機神歯車の逆回転を強制停止ッ! 傷口を塞いで、エネルギーの流出を防ぎます!】
そのまま勢いに任せて零式は廃墟の瓦礫の中を転がった。
「が……ぁ」
身体は動かない。たったの四秒だが、その間に受け続けた損傷は零式から自由を奪うには十分過ぎるほどであった。そのほとんどの損傷が外的要因ではなく、内部エネルギーが暴走したことによる損傷、言い換えるならば自傷のようなものだ。
「ぜ、零式くん! しっかりしてください、零式くん!」
顕界したセナが零式を抱きかかえる。今すぐにでも修復プログラムを実行したいが、エネルギーが不足していて不可能だ。
「だ、大丈夫……それより、壱外は……」
そう言いかけて、零式は息を呑んだ。
朧気になりつつある視界に、未だに立ち続けている壱外を確認したのだ。
「……が、がああああああッ!」
しかし、異変が起こった。
壱外の右手首に填められた機神歯車が、アーク放電と見紛うようなエネルギーの拡散と共に彼の身体から外れ、宙に放り出された。
「て、てメえ……一ったい何を……ガあッ……!」
壱外の音声に不純物のようにノイズが走る。それもそのはず、ルインとの接続を完全に断ち切られてしまったのだ。OSというインフラを失った機械が正常に動かないのと同様に、機神を失った機神兵は使い物にならなくなる。
「……コんな終わりカタかよ……。それもム傷で負けるなんて。はは、笑ッちマうな……!」
苦笑しながら壱外が膝を折る音が聞こえる。
彼も機神兵であるということは、機神と接続した者であるということだ。ならば、【黒い職人】によってその関係性を『殺す』ことで最小単位にまで解体することは可能である。
つまり、零式の指が掠ったという事実。それは、機神との接続を強制的に完全解除する一撃必殺を受けたということに等しい。
壱外の倒れる音に続いて、零式の近くに何かが転がる金属質な音が響く。
それが【破壊姫】の機神歯車であるということには、すぐに気がついた。
「いや、僕の負けだ……」
視界の端には微妙の敵性反応が多数ある。
それらは機関が異常を察知して、壱外の応援に向かわせた解体師たちである。
「さて、それはドウかね。案外、上マく行くかもシれないぜ?」
「……そんなことがあるか」
そう言って、二人の意識が途切れた。零式は酷すぎる損傷故の一時的な停止。壱外は機神との接続が切れた事によって生じた強烈な負担のため。
廃墟の路面に伏した二人。ほぼ無傷の少年と満身創痍の少年だ。
それでも、勝負は完全に決していた。
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