3-6 空虚な人生

 セナはひたすらに廃墟の道を走り続けていた。足を前に前に動かす度に、崩れた家屋の瓦礫が蹴飛ばされて何処か遠くに飛んでいく。

 自身の死を知った零式の反応は、セナが演算していた結果とは異なった。


 ましてや、『ありがとう』などという言語学的に感謝の意を表す単語が彼の口から出るなど思いも及ばなかった。


「私は、感謝されるような行動は取っていないのに……!」


 死を奪ったという事実。


 それによって軽蔑されると思っていた。死ぬということもまた、人間に与えられた権利であり、セナはそれを踏みにじるのと同等の行為を行ったのだから。

 しかし、セナは内心で零式が追いかけて来てくれることを期待していたのかも知れない。


 ひたすらに息切れすることなく全力で走り続け、付いたのは錆び付いた鉄塔だった。周囲の鉄塔は既にへし折れてしまっているのがほとんどなのに、その鉄塔だけは今でも剛直に立ち続けていた。しかし、腐食した鉄の骨組みは今にも崩れ落ちそうだ。


 ここは、零式の自我データを修復する最中に垣間見た場所だった。この場所が零式にとってどんな意味を持つのかは知らない。だが、零式にとってこの場所が大切な意味を持つのは間違いなかった。


 行く場所が限られているセナだ。零式ならば、この場所を思い出して追いかけて来てくれるかも知れない。そんな淡い希望を抱いていたのだ。

 ほどなくして、すぐ近くで何かが動く音がどよめいた。


「零式……くん?」


 音響センサーが反応した方向に振り向く。鉄塔の方角だ。しかし、同時に展開した索敵の結果はあまりにも巨大すぎる反応を示していた。


「ふぅむ、これはなかなか良い景色じゃの。瓦礫の山は見ていて飽きぬのや」


 本紫色の瞳が心底嬉しそうに、第四外周区の廃墟を眺めている。肩とふとももを大きく露出された肌色面積の多い浴衣を着た童女が、鉄塔の骨組みの上に腰掛けていた。


「あなたは【破壊姫】……!」


「左様、よくぞるいの名を覚えておったの。褒めて遣わせるぞ」


 くすくすと袖で口元を隠しながら艶美に笑い、ルインは鉄塔から落ちた。下駄の乾いた木の奏でる音が響くや否や、彼女が座っていた骨組みは原型を留めきれずに崩れ去った。


「……もう私の居場所を突き止めたんですね」


「お主だってそれが目的じゃろう? るいの索敵に自分から引っかかるために、それほどまでのエネルギーを垂れ流しにしておるのじゃろ?」


 その通りだ。零式が逃げる時間を作るために、セナは自らルインの索敵に飛び込んでいったのだから。 そして、それは見事に成功した。


「……?」


 そこでセナは異変に気がついた。ルインの傍には彼女の機神兵である壱外の姿がどこにも見当たらない。索敵による結果もルインの強大な反応ただ一つであり、この場所には壱外は居ないということになる。


「くく、気がつきよったか。るいにとっては暇つぶしのようなものじゃが、壱外にとっては重要な任務らしくての。壱外はお主の機神歯車を回収しに、小僧の元に向かったのや」


「――零式くんっ!」


 セナの機神歯車は零式が右手首に填めた状態にある。

 つまり、機神歯車を所持している零式が壱外に襲撃されている可能性が高い。


「おっと、逃がしはせぬぞ。るいは壱外と勝負をしているのでな」


 零式を助けに走り出そうとしていたセナを足止めするかのように、突如として轟音と共に地面が隆起する。セナは足を止め、ルインに向かって振り向いた。


「それで、その勝負ってなんですか」


「うむ、要するに競争と同じ類いの遊戯じゃの。るいが先にお主を仕留めるか、壱外が先に零式を仕留めるかの競争なのや。負けた方には山葵を食べる罰ゲームでの、るいはどうしても壱外に山葵を山盛りに食わせたいから、負けるわけにはいかんのじゃ」


 自身が壱外との競争に勝利した後のことを想像したのか、ルインはにやにやと悦に入った笑みを浮かべている。

 反して、セナの表情から笑みは消えていた。

 零式と自身の命をくだらない戯れの肴にされているのだ。いくら温厚なセナであっても、到底許せるものではない。


「……埃臭い時代遅れの旧型が、新型を舐めるなよ」


「ほぅ、生煮のがらくたが。ひれ伏せ、破壊姫の御前なるぞ」


 両神の視線が交差する。時が凍るような感覚を得ると共に、燃えるような闘心を秘める。


「基本戦術《工廠/アーセナル》」


 ルインを睨み付けたまま、セナは一度だけ地面をとん、と足蹴にした。


 『世界を書き換えるシステムWorld-Operating-System』であるOSが白銀のエネルギーを介して、世界を書き換えていく。アスファルトで覆われた地面が連鎖的に隆起し、吸血鬼にとどめを刺す杭のように尖った柱がルインに向かって一直線に、あるいは曲線を描いて八方から飛び出した。


 人間の構造とほぼ等しく形成されているヒューマ=レプリカント態の耐久力は機神兵と比べても非常に低く、脆い。機神兵であれば、少量の損傷で済む攻撃でさえも致命傷になりかねない。


 機神が死ぬことはないが、肉体の再構築には材料となるエネルギーの自然貯蔵を考慮すると百年単位の時間が掛かる。

 詰まるところ、肉体の破壊は死と同等の重みがあるのだ。


「基本戦術《破壊/アンチマテリアル》」


 凜とした鈴のような声。

 ルインは戦術の発動シーケンス完了を告げ、逃げることなく迫り来る杭を眺めた。


「お主に戦術的学習機能は搭載されてないのかや?」


 ごりり。

 ルインの華奢な身体に直撃した杭は彼女の身体を貫くことなく触れた瞬間に砕け散り、粉塵となっては風に吹かれて何処かへと飛んでいく。


 まるで、ルインそのものが粉砕器のようであった。いや、強ちそれは間違ってはいない。


「端から、あなたを貫こうなんて思ってはいません」


 ルインへと伸びた杭の上を走り抜け、セナは彼女の真上に躍り出る。

 その両手には白刃が閃く一振りの刀身が握りしめられていた。鍔や柄を生成している暇はなく、柄に嵌めるべき部分をそのまま掴んでいる状態だ。

 生身の身体における全機動力を込めてルインの頭部に刀身を叩き込む。


「そのような鈍刀、へし折ってくれるわ!」


 振り下ろされた刀身を迎撃するように、小さな手の平を突き出すルイン。

 OSによって構築された《破壊/アンチマテリアル》という戦術が起動している今現在、そんな可愛らしい手の平であろうと物体であれば問答無用に破壊する必砕の掌である。


 しかし、その必砕の掌は刀身をへし折ることなく受け止めた。


 衝突による衝撃波が辺り一帯の朽ちた電柱を一斉に薙ぎ払う。小石という小石が弾け飛び、建築物にどうにか残っていたガラスを一枚残さずに粉砕した。


「なっ……!?」


 ルインの大きく透き通った本紫色の瞳が戸惑いの色を浮かべて瞠目する。

 触れただけで折れるはずの太刀はルインの手の平とぶつかり合って真っ赤な火花を散らし続けている。本来、あり得ぬ光景であった。


 そこで、ルインは気がついた。


「お主……ッ! るいが破壊した箇所を瞬時に再構築しておるな!?」


 その太刀には蜷局を巻くように白銀の粒子が包み込んでいる。その粒子は即ちセナのOSによって命令されたエクトプラズムであり、その相貌はさながら妖刀のようだ。


「私だって……負けてばかりじゃいられないんです!」


 ルインによって粉砕され続けている刀身を、そのエネルギーが瞬時に修復し続けているのである。何度折られようと再生する不屈の刀身であった。


「さぁ、あなたにも破壊できないこの刀身を前にどうしますか? 私の戦闘演算能力を舐めないでください!」


「る、るいに……」


 火花が一層激しさを増す。月光にしか頼る所がなかった闇の世界は、新しく生み出された光源によって明滅を乱れた周期で繰り返している。


「るいに、破壊できぬ物なんぞあるかぁぁあああぁあ!」


 ルインの空いた左手に、紫色の高熱源球体が生成される。

 あ、マズい奴だ。セナは本能的にそう感じ、理性が働くよりも先に杭を蹴り砕いて跳躍した。


「応用戦術《潰滅/ヴァジュラ》急速展開!」


 機神が持つOSの基礎機能を複雑に連携させ、組み上げられた応用戦術。ルインに搭載されたあらゆる破壊機能を集積されたものが現世に呼び出される。


「塵となって泣き喚けッ!」


 そう咆哮したルインの左手にある高熱源球体から創造を絶するほどの紫に彩られた光束が放出される。つい数瞬前にセナが居た場所は紫色の暴力に掻き毟られていた。

 その一直線上にあった物体は一瞬にして蒸発し、跡形もなく抉り去られ、見る影もない。


 回避が一秒でも遅れていたら、セナ自身も苦しむことなく一瞬で逝っただろう。


「く……、避けよったか……!」


 一筋の光の尾を残し、破壊光線はルインの手の平に収束して消える。


「はぁ……はぁ。とんでもない戦術を隠し持ってましたね……でも、その様子じゃ連発はできないようですね」


 ルインの肩は上下に動き、息遣いも荒い。あくまでも機神の原動力となるエネルギーが保管されているのは機神歯車だ。機神兵と接続していない状態で大技を連発することは不可能であり、体力の消耗も著しい。


 一気に詰め寄り、隙だらけのルインに一閃を浴びせる。再生し続ける太刀とルインの『破壊』がぶつかり、旋律を奏でた。

 閃光が弾けては消え、二人を暗黒の中で浮き彫りにする。


「くぅぅ……!」


 無尽に繰り出される斬撃を両腕で弾くルインであるが、先程までの威勢は何処にもない。


「動きが鈍くなって来ていますが、先程までの威勢はどうしたんですか!」


「こ、この身体は軽すぎるのや! 最大の破壊力を生み出す基盤となる重量が足りぬのや! 機神が機神たる鋼の肉体さえあればお主など……んん?」


 ルインの言葉が一瞬だけ詰まった。


「――そうじゃの、あれをするか」


「何をぶつぶつ呟いているんです!」


 相手の首を飛ばす勢いで横凪ぎの一振りを浴びせる。しかし、ルインはそれを余裕たっぷりに背後に跳躍して回避し、何もかもを魅力するような笑みを浮かべた。


「偶には頭を捻るのも乙なものよな」


 月を背に空を舞うルイン。胸元から一つの壱型動力炉歯車を取りだし、カリッという軽快な音と共に齧り付いて咀嚼、ごくりと飲み込んで幸せそうに頬を赤らめた。


 その瞳が、怪しく輝きを放つ。


「歯車を食べた……!?」


 その行為の意味を、同じく機神であるセナにも理解はできる。

 動力炉歯車というエネルギー源をルインは補給源として利用したのだ。


「模造最終兵器《空虚な人生/プライド・パープル・レプリカ》」


 本紫のエクトプラズムが小刻みに振動しつつ、二点に凝縮する。あまりにも毒々しい紫霧はみるみる内に実体化し、童女の身体には似つかない無骨な機械の腕を形成していく。


 その全長は、およそ成人男性一人分。ルインの身長を優に超えてしまっており、双対の拳はルインの両隣に地割れを作ってめり込んだ。


「そ、そんな……最終兵器をその身体で模造するなんて……あなたは化け物ですか……!」


 『レプリカント=セヴン』として作られた機神には、旧型の機神と比較して決定的に異なる点が存在する。それは、機神を破壊するためだけに個別に用意された武装であり、機神の負担を度外視した最終兵器の名を冠する規格外な代物だ。


「素敵な造形であるの。無論、『最終』の名を冠するに能わない模造品に過ぎぬ。仮に実物を扱おうものなら、第八防衛都市は軽く消し炭になるのでな。お主を磨り潰して漢方にするくらいなら、これくらいの玩具で十分じゃろう。うふふ、死ね」


 ルインがセナを指差すと同時に、巨大な右腕が回転しながら突撃した。


「――え」


 その巨体に似合わぬ速度に唖然とした。

 無理やり急製造され、小型化された模造品とはいえ、それは【破壊姫】という機神の最終兵器を模造した代物だ。そんな兵器に、人間の肉体であるセナが対応できるはずもない。


 咄嗟に防護壁を何重にも展開するが、その全てが粉砕され、為す術もなく刃で受け止める。


「……くっ」


「これで、遊戯ごとは仕舞いじゃのぅ。せめてもの情けじゃ、全力で破砕してやろう」


 セナを挟み込むように、もう一方の鉄拳が背後から迫る。前方の拳は非力なセナでは押さえきれず、そのまま押し込まれてしまう。

 その相対速度は測りきれぬものとなり、生み出す衝撃は想像を絶する威力となる。


 それに、セナが耐えきれるわけがない。


「――ッ!」


 ぐちゃり。


 生々しい肉の潰れる音。それは即座に鉄拳と鉄拳が衝突して生み出された大音響に掻き消された。赤色が弾け飛び、臓物がばらまかれる。


 間髪を入れずに、双対の拳はもはや原型を留めていない肉片を何度も何度も猛打する。大地震が続けざまに起こっているような揺れが辺り一帯を舐め尽くし、脆くなっていた廃屋がぼろぼろと崩れた。


 破壊の上に破壊を積み重ね、ありったけの破壊で破壊する。破壊した物体でさえも破壊対象と見做し、跡形がなくなるまで叩き潰す単純な作業。


 それが【破壊姫】のやり方であった。


 鉄拳同士が指と指を絡め、一つの巨大な鉄槌の如き相貌を形作る。

 ありったけの力で、もはやクレーターとなった地面に打ち付け、肉片を磨り潰した。


「……ふぅむ」


 ルインは腕を軽く振る動作で鉄拳を両隣に待機させ、クレーターの中を覗き込んだ。徹底的な破壊を前に肉片は何処にも残っておらず、ただ中央が紅く染まっているだけだ。

 しかし、ルインは顔を大きく顰めた。


「ううむ……一本取られたのや」


 はぁ、と大きな溜め息を吐いて動力炉歯車を胸元から取り出す。

 その本紫色の瞳が目にしたのは、白銀のエクトプラズムとして霧散していく肉片であった。ルインが破壊したのはセナによって作られた模造人形である。


「るいに贋物を掴ませるとは、なかなか痛快じゃの。これだから、機神の解体は止められん」


 動力炉歯車が粉々に砕け、粉末が風に乗っていく。

 破壊し損ねた、という事実は【破壊姫】をより猛らせることになる。

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