3-5 死闘のはじまり

 一瞬の隙を突いて逃げ切った零式たちは、集合住宅の廃墟に身を隠していた。瓦礫と大して変わらない建築物は零式たちを隠すのに十分な死角を作っている。割れた窓硝子から差し込んだ月明かりだけが彼の居場所を知っているかのように、零式の顔を照らした。


【周辺地形のスキャン及び索敵が終了。安全であると判断し、接続を解除します】


 右腕で回転する機神歯車から、セナの音声には似合わない無機質な報告がされる。同時に、現実世界に印刷されるかのように、データの流れがセナを構築していく。


「……零式くん」


「僕は、機神兵になってしまったのか……」


 零式は自分の右腕に填められた白銀の歯車を見詰める。管理者権限を持つセナが抜け出しているため、回転はしていない。加えて、零式の損傷を修復した際にエクトプラズムを消耗したのか、一二本ある内の一本の歯が欠けてしまっている。


「私は……あなたを生き返らせました。しかし、そのためには私のOSが最高効率で適用される機神兵に作り替える必要があったんです」


「そうか、僕は既に死んでしまったんだな。あまり違和感は感じられないが……」


 そう言って、零式は自身のホルスターに収められた拳銃に視線が移った。黒を基調とした作りに銀の装飾が為された質素なデザインの二丁拳銃だ。

 《番外式カーネル:柩送り》という名称は思い出すことができる。


 しかし、それよりも大切な何かを零式は思い出すことができなかった。


「……いえ、違和感は確実にあるはずです。零式くんを生き返らせる際に、魂――言わば、自我データの修復が必要になりました。特に記憶領域の損傷が激しく、修復させるには私自身の記憶をパッチにする必要があったんです」


「……そうか」


 確かに、零式はセナと出会う前の記憶を失っていた。思い出せるのは、彼女と病室で出会った以降の事柄ばかりであり、それより前は白い霧がかかったように不明瞭だ。


「今のあなたは『私が知っている』零式くんであり、『零式くんが知っていた』零式くんではありません……! ごめんなさい……大切なものを奪ってしまって、ごめんなさい……」


 セナの大きな瞳から涙が溢れるようにして流れ出す。

 そんな彼女の頬を、零式は無表情のまま手の平で包み込んだ。生きていると実感できる暖かい涙が手の平を伝って落ちていく。


 そして、零式はにっこりと微笑んだ。


「君が謝る必要はない。それよりも、君が無事で本当に良かった」


 零式にとって自身の生死など些末な事柄に過ぎなかった。今の彼には、セナが生きていてくれたという事実だけが重要なのだ。

 それは、零式自身の本心なのか。それとも、機神兵としての本能なのか。


「僕を助けてくれて、ありがとう。死んでしまった僕を生き返らせて、僕の居場所になってくれてありがとう。生きていてくれて、ありがとう」


 セナは、零式の笑顔に戸惑った。出会ってから、いつも死んだような無表情を貫き通していた彼が微笑んだという事実が信じられなかった。


「で、でも……私は、あなたの遺体を冒涜したんで……ひゃっ!?」


 セナの小さな身体を、零式は抱きしめた。抱きしめた、と言ってもほとんど零式がセナにもたれ掛かっているような状態だ。


「それに記憶が失われた僕でも、あの日のことは覚えている」


 あの日のこと。それはセナに『あらゆる脅威から君を必ず守る』と約束した日のことだ。

 記憶が失われた零式にとって、それだけが自身の存在意義を確立してくれる約束だった。


 しかし。


「……だ、駄目……です。それは……駄目なんです……!」


 零式の両手を振り払い、セナは彼から少しだけ距離を取った。


「……何故だ。僕に君を守らせてくれ。このままじゃ君は壱外に解体されてしまうだろう!」


「それで良いんですッ!」


 セナの声が静かな廃墟に反響した。


「私のOSは『あらゆるモノを創造する』機能を有していますが、【破壊姫】のOSは『あらゆるモノを破壊する』機能を有しています。相性が絶望的に悪いんです……このまま再戦したとしても、私はもう一度あなたを殺すことになってしまう……!」


「だが……」


 セナに近付こうと一歩踏み出そうとした瞬間、零式の身体が『見えない何か』で縛られたかのように硬直してしまう。


「ぐっ……セナ、君は……ッ!」


「零式くん。機神として、あなたの主として、私は命じます」


 金縛りに遭ったかのように動かない身体は既に零式のものではない。機神兵として作り替えられた身体の所有権は、機神であるセナにある。

 自身を守る傀儡である機神兵の身体を動けなくすることなど、機神には動作もない。


「私が【破壊姫】と交戦して時間を稼ぎます。だから、零式くんは逃げて逃げて、生き延びてください」


「待て……! 僕を一人にしないでくれ……ッ!」


 手を伸ばしたい。だが、身体は一ミリたりとも動く気配がない。神経回路が焼き切れたかのように、零式はただセナを見詰めることしかできなかった。


「さようなら……零式くん。あなたと過ごした数日間は、とても楽しかったです」


 そう言い残し、セナは零式に背を向けて走り去っていく。

 彼女の首に巻かれた黒いマフラーが、力なく尾を引いて遠くなっていくのを零式はただ眺めることしかできなかった。




 数分後に、ようやく零式の身体は自由を取り戻した。


「……くそっ!」


 零式は廃墟と化した集合住宅から飛び出し、月明かりだけを頼りに一縷の風となって、瓦礫だらけの住宅街を走り抜ける。


 そこまで遠くには行ってないはずだ。これ以上、彼女を危険に遭わせるわけにはいかない。

 過去の自分が約束したことを果たさなければならない。何の拘束力をも有さない約束だが、それでも自分とセナは意志の確認を果たしたのだ。

 その責任は負わねばならないだろう。


「それに、僕はもう機神兵なんだ。機神を守る責任が、権利が……僕にはある」


 などと口籠もるが、足の速度は緩めぬままだ。気がつけば住宅街の廃墟を抜け、未だインフラ整備どころか人が住める環境すら整っていない街並みが目に飛び込んでくる。

 第四外周区の整備待ちの区域だ。十分に人が住めるほどに整備がされるまで、民間人が立ち入ることは禁止されている。


 それであるにも関わらず、妙な声が聞こえた。


「よぉ、零式。そんなに急いでどうした?」


 死が真上から降ってきた。


「――」


 咄嗟に地面を蹴り砕き、その危険地帯から脱出する。寸刻置いて、零式が居たその場には巨大なクレーターが穿たれる。砂粒状になるまで砕かれたコンクリートが宙を舞い、霧のように視界を奪った。


 しかし、これだけの破壊力。そして、背筋を凍らせる死の気配。


「壱外ッ!」


 砂状の霧の中に、漠然とした影が揺らめく。その影が腕をたった一振りすると、それを包み隠していた霧が一遍に吹き飛ばされ、視界が明瞭を取り戻した。


「なんだ、俺の識別名を覚えていてくれたのか。人の顔と名前が一致しなさそうな人間だと思っていたが、案外物覚えが良いんじゃねえか」


 しわ一つない、とはお世辞にもいえない喪服。それを纏った壱外はそう言って一笑する。

 がらりという音と共に何処かで建物が崩れる音が廃墟に響いた。その建材が砕け散る爆音は、まるでこの男の登場曲のようである。


 しかし、壱外の右手首に填められた機神歯車は回転していない。すなわち、それはルインという肉体は別の場所に居ることを意味している。


「……一つだけ疑問がある。君の機神は何処に行った?」


「ああ、ルインの野郎なら別の場所に居る。それに、接続した状態で接続していない機神兵を殴っても楽しくねえだろ?」


 研ぎ澄まされた刃物のような切れ味のある眼が細くなる。口角をにやりと上げて、壱外は地面に突き刺さったままの右足を一気に引き抜いた。

 機神と接続していない機神兵は、接続している状態と比較してかなりの戦力差がある。それもそのはず、機神がいなければOSが使用できないからだ。


「それに、上層部は接続していない機神兵同士の戦闘データが欲しいようでな。そのために、俺だけがてめえに会いに来たってわけだ」


「どこまで九九式機関は僕たちを馬鹿にすれば気が済むんだ……」


 零式は嘆声を漏らした。しかし、壱外という敵性反応に気を抜くことはない。


「まぁ……零番の姉ちゃんは今頃、うちの機神様と仲良くお話でもしてんじゃねえの? つーことでよ、こっちもこっちで機神兵らしく仲良くしようぜ?」


 婉曲的に壱外は零式に宣戦布告をする。もはや、この廃墟は彼にとって都合の良い戦場でしかないのだ。民間人も立ち入らず、『レプリカント=セヴン』という存在が明るみに出た現在では、他の解体師を気にして立ち回る必要もない。


「僕と君の性能じゃ圧倒的に僕が不利だ。だから、負け戦はしないよ」


 セナという機神と接続したことによって、零式に付与された知識がある。それはセナが有するOSの仕様であったり、性能などの知識だ。


 アーセナルに搭載されているOSである【白い職人】は戦闘用OSではない。しかし、それを完全に補うことができるほどに『物質の創造及びに再構築』という能力においては他に及ぶ物はないだろう。それが彼女に搭載されたOSのアドバンテージなのだ。


 それ故に、相手が【破壊姫】という『物質の破壊』に特化したOSとは相性が悪い。

 いくら零式が刀剣や銃火器を生成して壱外に猛攻を振るったとしても、それら全てが損傷を与える前に破壊されてしまっては元も子もない。

 おまけに、戦闘に特化した機神兵である壱外は零式の数倍の機動が可能だろう。


 これらを踏まえて、相性的に零式が勝つ可能性は非常に低い。低すぎた。

 そのため、壱外の隙を突いてセナの元に向かうのが最も効率的だろう。


「へぇ、俺と戦う意志はもうなくなっちまったのか」


 そう言うと同時に、壱外が視界から突如として消えた。

 そして、背後に妙な違和感を。


「お前だけが変わったわけじゃねぇ。俺にもお前を倒す理由ができた」


 ぞわりという悪寒が背中を撫で終えるよりも速く、零式は振り向いた。

 が、それはあまりにも遅すぎる。


「死んでも尚、機神の呪いによって生かされる機神兵。てめえを殴り、砕き、削り、穿つ、あらゆる破壊で解放してやる」


 すでに、零式の額には壱外の右手中指が添えられていた。壱外の身体は反動に備えて、力を地面に逃がすように腰を低く落とした構えとなっていた。

 全身の力が中指に込められ、みしりと軋む音が響く。俗に「でこぴん」と呼ばれるそれを機神兵の馬鹿力で解き放つ――


「ぐ、ぁ――」


 零式の額に超大口径の銃弾がぶち込まれたかのような衝撃が叩き込まれる。いや、銃弾をぶち込まれたという表現は間違いだろう。額で爆発が起きたと言った方が良いかも知れない。


 衝撃を逃がしきれず、零式の身体は嘘のように吹き飛んだ。辛うじて残っていた数本の電柱をなぎ倒し、瓦礫の山となったチェーン店舗のラーメン屋に突っ込んでようやく止まる。


「おい、こんなので終わりじゃねえだろう? 見せてみろよ、お前の本気を」


「――あまりほざくなよ。殺すぞ」


 瓦礫の山の中から、明確な殺意を持った視線が壱外を射る。

 今まさに機神兵同士の、本気の戦いが始まろうとしていた。

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