3-2 薄命

 挽歌に渡された無針注射器を機神であるセナにスキャンを実行してもらい、内容物がナノマシン不活性剤であると確認すると同時に零式とセナはそれを注射した。


 衛星による位置情報把握が無くなったことが功を奏したのか、第三外周区は解体師や廃品回収業者に出会うことなく切り抜けることができた。


「はぁ、はぁ……ッ!」


 息が切れているのはセナではなく零式である。

 いくら日頃から体力をつけるための訓練を欠かさない零式でも、《柩送り》のOSを起動したまま数時間走り続けるのは厳しいものがある。強力なエネルギーが身体に流し込まれ続けているのだ。絶縁体に高電圧をかけて電気を流せば、疲労して絶縁破壊が生じるのと同じ理由で身体が破壊されてしまう。


「だ、大丈夫ですか……? 少し休憩しますか……?」


 対するセナは全く疲労していない様子で零式に追随する。機神の肉体は核である機神歯車から供給されるエネルギーを通しやすい導体のように生み出される。

 そのため、零式のように機神歯車を用いた武器を無理やり使役している状態と比較して、疲労がほぼ零に近い。


「駄目だ……! せめて第四外周区を抜けるまでは休めない」


 夕闇は既に夜の暗さへと変わってしまっており、墨を流したように濃度の高い闇が第四外周区の廃墟を閉ざしていた。第三外周区のような活気は無く、頼りになるような灯火は一つさえも見つからない。夜空は磨り硝子を通したかのように不透明で、月の所在も分からなかった。


「でも、これ以上無茶をしたら零式くんの身体が!」


 セナが心配そうに身を案じてくれるが、零式はそれを無視する。

 確かに、ここまで来れば解体師や廃品回収業者と遭遇することはないだろう。ナノマシンによる追跡も解決しているため、潜伏場所を特定される可能性もない。


 しかし、だからといって安全であると決まったわけではない。

 この程度の逃走で手配している機神を九九式機関が見逃すはずがないのだ。


 それに、機関はまだ切り札を隠し持っている。


「――零式くんッ」


 不意にセナが手を引っ張り、少女の力とは思えない引力で後ろに引き寄せられる。零式は思わず立ち止まり、何事かとセナの様子を伺った。


「……ッ!」


 何か恐ろしいものでも見た後のように、セナの顔は血の気が引いて青ざめていた。絶望に似た色に支配された瞳はただ一点のみを凝視している。


「そ、そんな……どうして『レプリカント=セヴン』がこんな所にまで……!」


 その視線の先。

 闇に溶け込むような色合いの喪服と、その腕で回転する本紫色の機神歯車。


 『万物を見通す眼』によって正体を暴かれたエネルギーは、その毛髪を機神歯車と同じ本紫色に染め上げている。


「やれやれ……てめぇが素直に零番の姉ちゃんを解体してくれれば、俺が夜勤する必要もなかったんだがなぁ……」


 瓦礫の山に腰掛けた機神兵は溜め息と共に、肺に溜まった紫煙を吐き出した。

 暗闇の中で存在感を主張する煙草の先を零式に向け、機神兵は問う。


「どうして解体しなかった? 廃品回収業者は機神の解体は専門外なのか?」


【壱外や、それは簡単な問題であろうよ。白い小娘に情が移ったに違いあるまいて】


 機神兵の問いに答えたのは、零式ではなく鈴の鳴るような澄んだ声だった。

 頭の中に直接叩き込んでくるかのような音声は、紛うことなき機神の音吐である。


「な……ッ!?」


 零式にはその声に聞き覚えがある。

 先程、迷子になったセナを探すときに手を貸してくれた童女の声そのものなのだ。


【ふぅむ、るいの美声で気がつきよったかえ? ういやつめ】


「君は……機神だったのか!?」


 想定外の事象に驚愕する零式に答えるように、それはこの世界に顕現する。

 壱外と呼ばれた機神兵の真横。強烈なエネルギーの奔流が巻き起こり、両足の爪先から徐々に姿形を形成していく。その様子は、3Dプリンタで印刷される過程に酷似していた。


 ほんの一秒足らずで人型形態の印刷は完了し、見覚えのある童女の姿が現れる。


「如何にもッ! 『レプリカント=セヴン』壱番式機神【破壊姫ルイン】とはるいのことよ!」


 丈の短い浴衣がふわりと闇夜に舞い、本性を現した本紫色の髪の毛が揺れる。

 その幼い体貌とは不釣合いな両手を腰に当てた荘厳たる態度は、自信を通り越して傲慢さが滲み出ていた。言葉遣いといい、見た目との差異によって生じる違和感が際立っている。


「おいおい。てめぇ、勝手にあいつと接触しやがったのか? 監視しとけ、とは言ったが仲良くお喋りしろとは言ってねぇぞ?」


「これこれ、眉間に皺を寄せて怒るでない。この歳になると、どうも若者に世話を焼きたくなっての。少しばかり電探を用いて案内役を買って出ただけなのや」


 機神が有する機能の内には索敵機能も含まれている。それを用いれば、同じく機神であるセナを見つけ出すことは容易だろう。


「あなた達は表立って解体任務を行うことができないはずです……! 解体師に任務が行き届いている状態で私を解体すれば、解体師たちの混乱は免れませんよ」


「ああ、確かに俺たちは秘密裏に作られた機神と機神兵だ。いくら機関の役に立つ機神だからと行って機神を作ったことが明かになれば、他の支部長から十掬の責任が追及されることは間違いない。だから、あの日の夜も解体師と廃品回収業者がしゃしゃり出てきたから、俺たちはただの機神と機神兵を装っててめぇを見逃したわけだ」


「なら、今回もあなた達は私を解体することはできないはずです……!」


 セナが言いたいことは分かる。

 機関から任務が発令されている状態で壱外がセナを解体すれば、誰がセナを解体したのかという混乱が生じることになる。その綻びから、十掬が秘密裏に製造していた機神の存在が明らかとなる可能性も零ではないのだ。


「だがな、既に十掬が他の支部長に『俺たち』の存在を暴露した後ではどうなる?」


「……ッ! まさか、そんなはずは……!」


「腐っても機神であるてめぇを『俺たち』が解体することができれば、他の支部長に有用性を嫌でも見せつけることができる。そうすれば『俺たち』は表立って解体を執行することができるようになって、一機でも多くの機神を解体するっていう十掬の願いも叶うだろ?」


 壱外は瓦礫から腰を上げ、手に持った煙草を地面に落とす。そして火の付いたままの煙草を靴底で踏み潰し、執拗に擦りつけた。


「要するに、これは実演販売なのや。カーネルなどという玩具では再起動しつつある機神たちを全て解体するなど夢の夢よ。だから、るいたちが表立って行動のできる世の中を作り上げる必要があるのや。その塵芥にも満たぬ命、そのために使うてくれぬかの?」


 その綺麗な紫色の瞳をセナに向け、目を細めて笑うルイン。

 蛇に睨まれた蛙のように、身が竦んで動けないセナを庇うように零式は前に出る。


「お断りだ。彼女の命を君一人の見解で測られたくはない」


「……小僧、お主はるいに喧嘩を売るつもりかえ? 悪いことは言わぬ、大人しくしておれ」


「無理な相談だ。……それに、僕は既に罪を背負っている。君に立ち向かおうが、セナを見捨てようが帰る場所はない。だったら、僕は前者を選択するよ」


 零式は両方の《柩送り》を構え、二つの銃口をそれぞれ壱外とルインに向けた。

 その零式の様子を眺めつつ、ルインは困ったように眉をへの字にする。その後、何かを思いついたかのように手をぽんと合わせて口にした。


「そうじゃの。本来は機神の逃亡を扶助した暁には首を吊らせるのが道理というものじゃが、今回はお主とお主を手助けした小娘の罪を不問にしてやろう。これはるいにしては随分と心の広い提案なのや。不満であれば、その白い娘で作った番号付きカーネルをお主にくれてやっても良いぞ? ありがたく享受するのが良かろうよ」


「……ほざけ」


 零式と挽歌の罪を不問にするという提案はこの上なく魅力的な甘言である。この提案をルインが守るのであれば、零式と挽歌は普段の日常に戻ることができるのだ。

 しかし、その日常にセナの姿はない。この世の悪として断罪されてしまうのだから。


 そして零式は再び守ることができなかったという後悔に襲われることになるだろう。


「もう……僕は誰も失いたくはないッ!」


 零式は右足に力を込め、風化したコンクリートを蹴り砕くようにして走り出す。《柩送り》によって強化された肉体は、常人では目視が困難となるほどの速度で駆け抜ける。


「だ、駄目です零式くんッ! 【破壊姫】を相手にするのは危険すぎますッ!」


 セナの警告は零式の耳には届かない。ただ、目の前の障害を排除することだけに集中した零式はあらゆる戦術を脳内で組み立て直す。


 その結果、狙ったのは機神であるルインの方であった。機神のヒューマ=レプリカント態であるルインを破壊することができれば、壱外もOSを使うことができなくなる。

 そのため、敵個体を弱体化するにはルインを破壊するのが最も効率的なのだ。


「すまねぇが、俺の存在意義はコイツを守ることなんでな」


 零式は立ち塞がる壱外に向かって、迷わずに《柩送り》を発砲する。

 壱外はこの銃弾を回避するだろう、と零式はそのように予測していた。そうして生まれた隙にルインを始末すれば自身の勝利は決まったようなものだ。


「――なっ」


 零式の予想は裏切られる。

 壱外は放たれた銃弾を回避することなく、その身に受けたのだ。


「死んでも墓くらいは立ててやる。気張れよ、廃品回収業者ァ!」


 掌底の構え。急接近する零式に向かって、壱外は深く腰を落として――

 ――撃ち込んだ。


「がっ……!?」


 腹部に壱外の掌底が突き刺さり、意識が許容量を超えた痛みで吹き飛びそうになる。

 《柩送り》によって無理やり保たれた意識の中、零式は自分自身の内蔵が攪拌されて使い物にならなくなったことを悟る。それどころか、まだ自分の身体に収まっているかどうかさえも判別をつけることができない。


「ぜ、零式くんっ!」


 強烈な力を撃ち込まれた零式の身体は、まるで玩具かのように吹き飛ぶ。誰かが自分を呼ぶ声が聞こえるが、誰の声か判断することができる余裕が無い。


 寸刻を置いて、零式は間違いなく絶命した。

 

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