3-1 届かぬ想い

 太陽が落ち始め、世界が朱色に染まりつつある中、零式はセナの手を取って走っていた。


 おそらく既に他の解体師や廃品回収業者にもモンタージュが行き届き、不穏分子であるセナを狩ろうと街中を巡回している同業者も少なくないだろう。

 零式は自身の土地勘を頼りに、人気の多い通りを避けて進む。主に路地裏や誰も気がつかないような抜け道を通り、第五外周区を目指す。


 地下鉄道や路面電車などの公共交通機関を使うことはできない。それどころか、買い物を行うだけでも現在地点を特定されてしまうだろう。支払いを行う際には、個体識別用ナノマシンを用いた口座検索が行われるため、誰が何処でどのような買い物を行ったのかが記録されてしまうからである。自身が管理されているという事実を痛感する。


「かなりの距離を走り続けているが、大丈夫か?」


「記憶の復元と同時に、機神としての機能を思い出したので体力は補えそうです……!」


 機神としての機能。それは世界を書き換えるOSの存在であり、彼女の体力を増幅させることなんて容易いことだろう。


「そうか。だが、そろそろ彼女が現れそうだ」


 零式には、わかる。

 古くからの付き合いだからこそ、彼女が現れそうな雰囲気を肌で痺れるように感じられる。


「《懺悔の唄》――」


 その声は、あろうことか前方から聞こえてきた。

 まるで零式がここを通ることを予見して待ち構えていたかのように。


「――二重奏ッ!」


 鮮やかな殺意を刃にのせ、放たれた斬撃がセナを狙い、地を這うようにして迫る。土煙が舞い上がり、当たれば確実に命を刈り取る死神の鎌。


「《柩送り》ッ!」


 咄嗟に右手に持った《柩送り》から一発の銃弾を放つ。その銃弾は斬撃に当たると同時に、文字通り『殺して』綺麗さっぱりと消滅させた。


「――見事なりッ!」


 その堂々とした賞賛の声は路地の出口から響き渡った。


 出口から差し込む夕日が薄暗い路地に彼女を影絵のようにして鮮明に浮かび上がらせた。厳めしい黒と赤を基調とした制服に身を包み、時代錯誤なヘッドホンを装着している。その機関隷属の証である制服は機神の敵であることを意味し、すなわち零式の敵であることと同義である。彼女もそのことを自覚しているのだろう、《懺悔の唄》の切っ先を零式に向けていた。


「……挽歌、君が来ると思っていたよ」


 セナを庇うように、挽歌の射線上へと立ち塞がる零式。


「ああ、貴様の行動ならば手に取るようにお見通しだ」


 彼女が構える《懺悔の唄》には徐々にエネルギーが浸透し、夕日よりも紅い陽炎を刀身から濛々と放ち始める。

 挽歌は流れる水のように滑らかな動きで《懺悔の唄》を納刀し、居合いの構えを取った。


「答えろ零式。何故、貴様はその機神を解体しない?」


 挽歌の視線が零式の背後で怯えているセナを射貫く。何処から捻出したのかと疑いたくなるほどの粘っこい殺意が彼女に向けられていた。


「……」


「――返答次第では、斬る」


 零式は無言のまま彼女の瞳を覗き込んだ。その生真面目な瞳には嘘偽りの色は欠片も存在せず、普段は奥に潜ませている怨恨の炎を隠すことなく燃やしている。

 彼女の気にそぐわない返答であれば、即座に斬り殺されるのは間違いなかった。


 しかし、零式は綺麗に体裁を整えた虚偽ではなく、ただの汚い事実を伝える。


「――それが、僕の正義だからだ」


「……何?」


 零式の答えに、挽歌はあからさまに眉を潜めた。


「僕は機神――いや、セナを解体したくない。君たちが機神の解体を正義とするなら、僕はそれを正義とする。それだけだ」


「だが、零式ッ! それではただの利己に過ぎないと先日も言ったはずだ! 貴様が平然と銃口を向けるヒューマ=レプリカントと、その機神に何の違いがあると言うのだ。どちらも限りなく人間に近付いた醜い贋作に過ぎん!」


「ああ、それがどうした」


 零式は何の感情も込められていないような視線と共に、《柩送り》の銃口を挽歌に向ける。


「――僕は自身の独断と偏見で助けるべきと判断したセナを助けるだけだ。その結果として利己主義者エゴイストと罵られるなら大いに結構。所詮は二者択一における選択の結果に過ぎない。彼女を助けるためなら、無実のヒューマ=レプリカントであろうと、目の前に立ち塞がる宿敵――挽歌、君であろうと殺してみせる」


 向けられた殺意には同等の殺意で返答する。零式はいつでも引き金を絞り、撃鉄を下ろすことができる状態にあり、同じく挽歌も抜刀術による斬撃を放つことができる状態にある。


「――ふふ」


 しかし、両者共にいつでも殺傷できる状態で挽歌は不敵な笑みを浮かべるのであった。


「やはり貴様は私が見込んだ通りの男だな。私とて世に蔓延る邪悪を幾度となく斬ってきたが、貴様ほど筋金入りの邪悪は珍しい。自身の正義を信じて機関に背き、世界を敵に回すとしても独善を貫くか、痴れ者がッ!」


 空気が揺れるほどの激昂の声。挽歌の怒りが振動となって肌に伝わり、一瞬電気が走ったのかと紛うほどの怖気が全身を駆け巡る。


「――ッ!」


 斬撃の襲来を直感し、全神経を《柩送り》に集中させる。

 しかし、その直感は外れた。


「……だが、その一本気な所に惚れたのかもしれんなぁ……」


 小さな声でぼやくように独言した後、挽歌は《懺悔の唄》から両手を離す。


「挽歌、どういうつもりだ」


 相手が獲物である《懺悔の唄》を手放すという行為が理解できず、思わず零式は問いかけてしまう。殺せ、と言っているようなものだ。


「簡単なことだ。貴様にセナが解体できないのと同じ理由で、私には貴様を殺すことができない。そもそも、私には貴様を利己主義者などと罵る権利はないのだ。私自身も偏見と独断で貴様を助けようと、独善の行動を起こしているのだからな」


 そう言うと、挽歌は制服のポケットからペンのようなものを二つ取り出し、零式の足下へと放り投げた。それらは乾いた音と共に地に転がり、零式の靴にぶつかって止まる。


「それは個体識別用ナノマシン不活性剤。いくら公共交通機関や個体識別装置を回避しても、空からの監視から逃げることはできないだろう?」


 挽歌は悲しげに微笑み、人差し指で夕焼けに染まる空を指さした。


「……衛星か」


 衛星の存在を失念していた。

 防衛都市は緻密に設計付けられた監視社会であり、個体識別用ナノマシンで市民が管理されている。それによって全人口数の把握や流行している伝染病などの特定が可能となっているのだが、解体師や廃品回収業者に打たれるナノマシンは市民に打たれるそれよりも高性能となっている。レプリカントの解体を潤滑に行うため、心拍数などの肉体面の管理から位置情報の把握までもが可能なのだ。


 すなわち、零式は発信器が埋め込まれた状態で逃げているのと同義なのである。


「……いいのか? これは立派な逃走援助だ。このことが機関に発覚すれば、君も無事じゃ済まないだろう」


 彼女にも解体師用の高性能ナノマシンが注射されており、零式と接触していることは機関に筒抜けとなっているに違いない。その後に零式やセナからナノマシンの反応が消失したならば、真っ先に挽歌の逃走援助罪が疑われるだろう。


 機神に味方することは反逆とも呼べる重罪だ。最悪、死罪すら下る可能性がある。


「構わぬッ! その程度を臆する挽歌では断じてあらず!」


「……挽歌」


「いいから……私のことはいいから、貴様は……貴方は早く逃げてよ……!」


 零式は足下からペンのような形をした無針注射器を二つ拾い上げ、ジャケットに仕舞い込む。そのままセナの手を引き、挽歌の隣を通って路地を出る。


「ありがとう挽歌。恩に着るよ」


 別れ際に一言だけ感謝の言葉を呟き、零式は再び第五外周区に向けて走り出す。

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